★えみんこ秘密日記★
++えみんこ

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2024年09月27日(金)  [突発性難聴2日目]

07:30 朝食はなしにしたもので、点滴を打たれまくる。
    契約したパジャマとタオルレンタルが届く。着替えるも、服を畳む気力もなくグチャっとしたま。昨日のうちに検査用にブラもタンクトップも脱いでいた。
10:00 耳鼻科へ、車椅子を押してもらって行く。
    推してもらいながらも酔うし、エレベーターでも酔う。ビニールが手放せない。
    念入りに検査。聴力検査も。

    結果、左耳が高音を聞き取れていなく、ふらつきが酷いことから、内耳から三半規管に炎症が広がってる突発性難聴とのこと。

この病院では10日以内に処置を開始する必要あり。
9日間入院してステロイド点滴をするか、
2週間通院と内服か。
もちろん効果が出やすいのは入院。

ここで私の仕事の話。10月から国のトップが変わるため玉突きで忙しくなるのがわかってるの…。
とりあえず上司と同僚に相談して決めることに。

帰りにゆうちょATMとローソンへ。
ローソンではシャンプーとファンケルの化粧水セット、2Lの水、つぶらなゆず(飲み物)、ショーツ2枚を購入し、テレビカードを買って部屋へ戻り、スマホを掴んで面会室へ車椅子を押して貰い職場へ電話。
来週休むことを了承してもらう。
そこからは入院するということで、父、友人Aへ連絡。
特に職場の近い友人Aへは欲しいものリストと、もしものための印鑑を所望。

※入院の書類に連帯保証人を書く欄があり、同一生計は不可なため、家族で通るのか不安があり、念の為お願いしたもの(結果的に不要に)

私の場合、父はこの夏入退院をして老健施設に落ち着いており、ほぼ歩けないので病院までは来られない。
母は認知症疑い(一人で電車乗れない)
愚弟、仲悪い。私のために会社休んでくれない。
というわけで、頼れる友人Aへ入院クッズをお願いしてしまいました。

で、部屋へ戻り初の病院食。優しいお味。でも戻すのが怖いし点滴のせいかお腹いっぱいで半分残す。
まだ体が辛くて、寝て起きるたけでもフラフラ。
そして、お箸などは自分で用意とのこと。一膳恵んでもらう。

友人Aが見舞いに来る前にもう一度電話のため車椅子を押して貰い移動。今度は土曜に予約していた病院へキャンセルの連絡。

まだ車椅子気持ち悪い。

部屋へ戻り、翌日の婦人科の予約はネットから取り消し。

16:30 友人Aが到着。
    ここから車椅子ではなく点滴のバーとともに歩いて移動。初回は見守り付き。
車椅子より酔わない。
    友人Aが色々持ってきてくれて助かりました。それも点滴バーの機械がピコンピコン言い出したので15分位でお開き。ちゃんと精算したけど、電車代払えていない…。
これで一度点滴が初めて外れた。

部屋へ戻り、ベッドでボーっとしつつ、職場の同僚秘書2名に来週のTWをLINE(リアクションなし)。

18:00 夕飯完食。友人Aが買ってきてくれたお箸で事なきを得る。

20:00頃から再び点滴。30分と1時間。眠りながら変えてもらう。
消灯は21:30







2024年09月26日(木)  [友の生誕をことほぎながら、突発性難聴]

そうなんです。
突如、はじまりました。
時系列では…

一昨日9/24夜、10日賞味期限の切れたたらこを6切れ程食べる。
前日9/25日中、やたらゲップか出る。
夜、調子に乗り白米をおかわりしたら、皿洗いをしながら、倒れる前の予兆とも言うべき耳なり、顔の痺れがおこり、急いでベッドに横になり、そのまま寝て、朝4時頃起きてメイクを落とし、着換えて5:10までうとうとする。

で、本日9/26木。
フツーに起きて通勤。いつもよりか満員電車に空間があり、誕生日である友へ言祝ぎのLINEを送る。

今日の業務
08:30までに出勤
9:00頃ポカリスエット300CCと、豆腐バーショコラ味
09:30-10:30メイン上司に某米国企業の役員が来訪、湯茶対応
10:00前サブ上司達が出勤。今日の予定を確認
(この時点で世界が揺れて椅子に座ってた)
10:30-11:30サブ上司達は会議へ
10:30-10:45メイン上司の部屋の茶器を引き下げ(が、洗い物は他秘書がしてくれた)
11:00-12:00ランチ用弁当ピックアップのためメイン上司と、予約していた車へ(しかし、私は具合が悪く、車で待機)
12:00-13:30上司とゲスト2人はランチ(本来は私も参加でしたが、無理でした)
12:50-13:00ゲスト用バームクーヘンを机の上で切り、私の手持ちの食器とお盆でサーブ(つまりいつもの作業台まで数歩の距離を歩けず、また立てなかった)
13:00-13:30サブ上司の2人は別室の会議、1人はそのまま部屋でWEB会議(いつもなら会議前に飲み物を聞くのを他秘書に変わってもらった)
13:25-13-35メイン上司の部屋の片付け(洗い物へ行くときも左側の壁をズリズリ這いながら行く)
13:40-13:50館内の診療所へ行くも耳鼻科を紹介され見てもらえなかった(スゴスゴ)。
14:00-15:30他秘書2人も行けそうな場所の「めまい外来」を探してくれた。めまいの原因は「脳」か「耳鼻科」か「循環器内科」か…。総合病院は紹介状ないと難しいかと思い、とりあえず大きい駅にあるクリニックへ行くことにして早退。
15:30-16:00いつもよりゆっくり歩いてる。言うなれば雪の日のガニ股の歩き方。階段で意識を失うのは怖いので、少し歩いてエレベーターからホームまで。大きい駅では椅子で休んで、初めて行く病院を壁を伝いながら探してようやくin
16:00-18:30問診、血圧、指先から血を取って調べていただき「耳鼻科へ行ったほうが良い」となり、近場で受け付けてくれそうな医院を見つけて貰い、精算して出ようとした矢先に嘔吐(口の中に水分がひろがって何かやばい、となり、訴えてバケツを用意してもらったので尊厳以外は無事。立て続けに4回吐いた)。
そんなこんなしているうちに耳鼻科終了時刻になってしまい、歩けもしないことから先生が「救急で受け付けてくれるところを」と指示してくださり、看護師さんが探してくれて、先方も「タクシーで具合悪くなるのも困るので救急車手配してください」となり、人生初のストレッチャー乗車は日本を代表する大手駅を運ばれて救急車に乗車しました。

乗車前に一通り救命士さんが聞いてくれるのだけど、ここで重要な局面が。
両耳同時に耳元で指を擦って「聞こえ方に差はありませんか?」
差があったんです。
でもこれ、最初のお医者も、救命の医師も片方ずつしかしなくて、それだと「聞こえて」いたのです。
このことは救命医師には伝えました。

乗車中は救命士さんに、意識を失わないようにとずっと話しかけられ、私もはっきりと受け答えできていたのです。なるほど、看護師さんや救命士さんに惚れてしまう人の気持ちがわかるなあ、などとこの時は揺れもおさまってきていたので、乗せてもらうのが申し訳無かったのですが、病院着いたらここは新宿夜戦病院か!と。
そこで22時過ぎまで各種検査。問診、MRI、心電図、血液検査…。書類を書くときがもうグッタリで、遅々として進まず…。
夏に父の入退院で慣れていたとはいえ、やはりこれを本人が書くのは辛いんだな…。
書いた後、再び嘔吐3回。さすがに胃液のみ。

「とりあえず今日は帰れないよね?入院で、明日の朝に耳鼻科で検査しましょう」総合病院バンサイ!
ちゃんと「個室の希望ありますか?」と聞いてくれてありがたい。もちろん大部屋希望です。

車椅子で運ばれながらも気持ち悪くてグッタリ。
救急車内でもらった嘔吐用袋をお守り代わりに握り、6人部屋へ。
すでに消灯後でしたが、メイクも服もそのままに、コンタクトだけは本能で外してバタンキューです。
タイミングわすれたけど点滴打たれてました。
父へは電話、愚弟にはSMS、上司と同僚へはLINEで現状と翌日の休みを伝えました。明日飲む約束だった友人Aへも断りを。
夜中に2度ほどナースコールしてトイレへ車椅子で運ばれていました。


2024年09月20日(金)  [意識の問題]

なんか、39から40になる時はもっと葛藤や焦燥などの感情があったと思うのよ。

いや、なかった?

日々、忙殺されすぎて化粧したまま気絶したように寝ていて気づいたら年越しちゃってる記念すべき50代の幕開けの午前3:30です。

無くしたものも多くて、手元に何も無いかも知れないけど、それだからこそ手のひらに残った少しのものは大事にしたいと思う、そんな年のはじまりです。




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