2002年09月20日(金) |
授業8日目:看護論(看護の理論) |
今日が前半の最終日。 午前中は某病院の看護部長が看護論の講義。 関係ないけど、その病院からも一人参加してますよ。 午後は看護過程(看護の実際)のグループワーク。 事例の検討です。 14Gになるので、アドバイザーの先生方も7名。 その中に短大時代実習でお世話になった先生がいたのにビックリ。 あの頃は助手だったのに…昇進したんでしょうか?(聞いとけよ) 挨拶したら憶えてて下さいましたよ。 …でも、良い記憶はないんだろうな…(苦笑) 散々迷惑をかけ、実習場所で大泣きし、挙句にけんかした憶えがあったり。 私のグループのアドバイザーじゃなくて、ちょっと安心。 でも、あと5回位あるんですよね。 …ゆっくり話す時間はあるのでしょうか?
看護論は楽しい授業でした。 実際の患者さんの話。 実習指導者は、学生さんに実際の看護を見せる事が出来る。 自分がよい看護をし、しっかりした看護観を持っている事が、指導者の条件。
…明日からの仕事で、ちょっと考えてみようと思います。 自分が本当に、自分の看護観を実際に生かせているのかどうか。
2002年09月19日(木) |
授業7日目:看護過程 |
アンビリバボーみてました。 筋ジスの方の強さには、いつも驚かされます。 …どうも私には、脳疾患の症状が先入観として染み付いているらしい。 考え方、変えないとだめだな。と、思いましたよ。
さて、授業。 看護過程も昨日の老人看護と同じく、知っている授業だったのですが、 なぜこっちは面白いのでしょう? 話し方(教え方)なのか、私に看護過程の知識が不足しているのか…(両方なんじゃ…)
さて、15分近く遅く始まった授業でしたが、資料を忘れてきたらしく、色々言い訳してました。 実写投影機準備していたのに、使いませんでした。 明るいままだったので、眠気防止に良かったんじゃないかと…寝ていた人はいましたけどね。
内容は現在の看護過程の課題とか、看護理論・モデルの説明とか、ロイがメインでした。 何でも三月にアメリカに行かれたそうで、もしかしなくても、お偉いさんですね。 とても気さくでそうは見えなかったんだけど…
クリティカルシンキングとかPOSとか、盛り込んで説明。 ま、ちょっと書きますが、看護関係でない人には、きっと訳判りませんよ。★〜★ ★ 現状の問題は知っての通り「アセスメントが出来ない」に加え「介入方法のレパートリーが少ない」「その方法の効果が立証できていない」という事。 やっぱりアセスメントは重要。そこがしっかりしないと、治療でいう誤診の可能性が高くなります。 医療に関してのインフォームドコンセントは行われるようになったのに、看護に対しては患者の同意はないのが現状。 精神・心理面への援助については、患者への説明はどうなんだろうという疑問は残りますが、そんな事言ったら、癌告知とかの問題はどうなの?って反論されそうですね。 まぁ治療と看護ってそのまま比較できるものでもないですけど。 そうそうアセスメント。 情報収集をどうするのかも重要課題。 今後、カルテ開示に向けて、個々の看護に必要な情報だけをとるべきなのでは? 現在は病院の様式に沿って、アナムネ聴取しますしね。 聴取内容がプライバシーに関わるなら尚更かな。 で、基本の5W1H。事実を聞くのは結構難しい。 予約入院される方は比較的とりやすいんだけど、緊急入院は家族からしか聞けないし、その家族もパニくってるし… わざと既往隠す人とかもいますしね。 まぁしっかりと情報をとり、しっかりと分析をする。 ここで簡単に決めつけてしまうと、誤診の可能性大。 術前だから不安があるなんて先入観はいけないよ。と。 で、介入。 アセスメントをしっかりとっていれば、どう介入すれば効果的かなんて判るはず。 勿論その前の目標設定もできますね。 まぁだからアセスメントが難しいんですけど。 で、今後看護ケアの点数化とか(今はまだなってないですよ)患者にケアを選択させる事が重要。 だから精神面…という疑問はひとまず置いときます。 後、看護ケアが患者に与える効果が、どれだけのものなのか?リスクは?なんていう研究が進んでないのも又問題。 で、評価をしっかりとしていく必要がありますね。と。 ★ ま、 自分のケアが相手に与える影響をしっかり考えていきましょう。 看護師免許もその内更新制になるよ。 専門化としてPt・FaのQueサインを見逃さないように! 学生の基礎実習では、実感できる結果が必要(それが学生に大きな影響を与える)
さて、明日まで。頑張ってきます。
2002年09月18日(水) |
授業6日目:教育評価と老年看護学 |
三連休明けの授業はちょっときつかったですよ。 ついでに本日は禁煙です。帰りにそのまま食事に行くので(え?) それでかどうかは知らないけど、異様に眠かったです。
さて、AM教育評価。1回目(2回授業があります) 教育の課題(問題)としては、 「コミュニケーションの閉塞」 「飼い慣らされた主体性」 「学習された無力感の克服」等。 因みに「学習された無力感」というのは、会議とかで何にも言わない人達の気持ちかな。 疑問とか不満とかがあったら、言うべきだと思うけど、 言ったら迷惑が掛かるとか、自分と関係ないとか、早く終わって欲しいとか… 色々な理由で「言ったってどうせ変わらない」と最初から言わない。 それは、学校教育に問題もあるみたいです。
評価についても、評価される側には評価に対して否定的なイメージがあるのに対し、評価する側には肯定的なイメージがあるというズレがある。 理由としては、評価はその方法論とかを学ぶと肯定的なイメージが強くなる(評価の良い所が見えてくる)のが、原因とされてます。 そのズレをなくす為には、評価する側が、評価される側の否定的なイメージを受容し、その上で関わっていく事が大事。
学習への動機付けとか、評価は客観性が大事といわれた歴史とか、その辺も説明されつつ。
結局、評価者は対象を評価するだけでなく、自己評価も行っていく事が必要。と。 心理学とかも影響してきそうだな。とか思いました。
で、PM老年看護学と実習。 一言でいうと楽しくない授業。 何だか、看護学生に戻ったみたいでしたよ。 知っている事を説明されても…ねぇ。 老年は個人差が大きいとか、なぜ老年なのに「発達」課題があるのかとか、 知ってますよ。いくらなんでも。 で、それが学生さんにどんな意味があるのか?実習ではどんな事を学ぶのか? なんて事は二の次だったもんなぁ… 挙句「我が校では」ばっかり。 じゃあ自分の学校の教育方針に使用されている言葉位理解していて貰えませんかね。 …あぁ、愚痴ばっかになってしまった。 愚痴ついでに先生が学生の一人に質問されて答えられなかった学校の教育方針の中の言葉「スピリチュアル(霊的)」辞書で調べてみました。 Spiritual : 霊的な;精神(的)の;神聖な;崇高な;宗教の,教会の.
ついでに私的見解(あくまで私的です違うかも…) 八百万の神&自然信仰が根底にある不可認的存在。 もしくは実在しない存在。 微妙にアニメ思い出していた自分ですが…こういう知識も「形成」?
で、これを授業の感想に書いた私。けんか売ってる訳ではないんですよ。
2002年09月16日(月) |
携帯から書き込みテスト |
連休中なので、ちょっとテスト。
散々パスワード間違えて、やっと繋がりました。
携帯はお手軽だけど、入力が面藤テなのがネックですよ。
長かった合宿も終わりに近づきました。 午前中はマッサージとか。 手を握って感情を伝えてみたり、名前を呼ぶ声に気持ちをのせてみたり、 (声は学生時代にやったなぁ…一応演劇部だったし) 背中を向けている人の中から誰かを選んでその人に向かって声をかけたりとか
午後からは新聞紙の上に乗ったり、新聞紙になってみたり、 相手の体に手を当ててみたり。
そんなこんなで15時前に長い合宿は終わりました
全体を通しての感想。 思ったより楽しかったですよ。 でも、また行きたいかと言われると…微妙。
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