薔薇園コアラの秘密日記

2013年04月15日(月) 桜吹雪のなかで

 今月は、春祭りも一段落して入るので、外祭がいくつか入っているだけで、時間に制約のない時期。

 庭の薔薇たちも順調に新芽を出しているので、薔薇の株を眺めたり、芝生の雑草を取ったり。コメリで薔薇たちの支柱を調達したり。

 ドライブがてらに母と桜の花見に出かけたり。
 リニューアルした魚津水族館に立ち寄ったり。

 今日は、小学生ママさんたちが多いテニスの会に誘ってもらって、先週に引き続き元気にゲームしてきた。久しぶりだったから、先週は怪我が怖くて動けなかったけど、今週は気持ちいい汗を流してきた。穏やかなママさんたちが多くて、一緒に過ごしていて気持ちがいい。
 
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 12日から富山の水墨美術館で始まった、「巨匠が愛した美の世界・川端康成・東山魁夷コレクション展」に早速行ってきた。

 崇敬する作家の写真や生原稿を目にしたら、自然と涙があふれてきた。

 骨董をじっと眺めている姿は何ものも寄せ付けない迫力があったと写真家の説明書きが添えてあった。

 私は、ノーベル文学賞までも受賞した川端康成という人物に興味があるのか、それとも織りなした文学に心酔しているのか、今はわからない。とにかく偉大すぎる。

 東山魁夷を好きになったきっかけは、ヨーロッパの風景を描いた作品のなかで私が懐かしいものを感じたから。

 もちろん日本の風景画も好きだから、ポーランド駐在時代の夏帰国の際に、はるばる長野の善光寺横にある信州長野美術館まで東山魁夷生誕百周年記念展を観に行ったこともある。

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 文学や芸術に触れあうと、何か胸の奥深いところが揺さぶられるような気がする。

 折りしも、日本人のノーベル文学賞候補者だった、村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の発売日だったので、ミーハー的に買い込んで読んでみた。

 感想は……。うーん。まぁおもしろかった……かな? 淡白な村上春樹がもっと油が抜け落ちたような文章だった。ハルキワールドってほどの世界ではない。

 小説の内容とは全く関係ないけど、ガールフレンドが主人公に、水色のネクタイを贈るくだりがあって、ごく個人的にすごく印象的なシーンだった。誰かにネクタイをプレゼントしたくなるくらいに。ネクタイを贈ること=バブルの時代……っぽくて、懐かしく思ったのか。

 私はそもそも、村上春樹の描く主人公の人物像が好きではない。きれい好きで神経質すぎて、読んでいてげんなりする。

 食事の前にきれいに手を洗って、食後には必ず歯を磨く……するような男性とは、生計を一緒にできない。パジャマをきちんと畳んだり、ベッドメイクをしたり。ぐへっ……ってなかんじ。。。

 もっといろんなことを書きたいけど、これ以上書いたら自分のずぼらさを露呈するだけだから、程々にしておこう。

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 小説とは関係ないけど、日常生活に於いて、ひとつだけ質問。

 旅行先で脱いだ汚れた下着は、どのように持ち帰るものか。
 �,修里泙浤鵑砲屬舛海�
 ��脱いだまままるめて袋に入れる。
 ��かさばらないよう適当に四角く折りたたむ。
 �ぅ�ローゼットから出した時と同じようにきちんとしわを伸ばしてたたむ。

 我が家では、……夫婦で全く別の答え。
 パパの性格を知っている人はすぐにお判りですね。 



2013年04月09日(火) やっとみつかったよ。。。

 スリランカから日本に戻って、新居ができるまでの1年間は実家の離れで仮住まいさせてもらっていたんだけど、その間のお引越しのバタバタで、荷物は中途半端に実家に残したまんま。

 あと数箱を新居に運べばいいだけなんだけど、埃だらけだし重いしでそのまんま。だけど、今日の夕方、何入ってたんだっけ? と思ってカートンを何気に覗いてみたら、私がずっと探していた文庫本を底の方でみっけ!

 川端康成「掌の小説」

 この本は、旅行には必ず携行している小説。
 短編集なので寝る前にぱらぱらと開いて目が留まった小説を読んでから眠りにつく。表紙はぼろぼろで、テープで補強して持ち歩いていた。

 もうすぐ富山の水墨美術館で、「巨匠が愛した美の世界川端康成・東山魁夷コレクション展」という特別展があり、共に私の崇敬する作家と画家なので是非観に行こうと思い立ち、その前に、ちょこっと予習がてらに川端康成の文庫本と東山魁夷の画集を探していたのだ。

 何度もネットで、同じ文庫本を買おうかな、と思ったけど、やっぱり自分が読み込んだ自分の手あかのついた文庫じゃないと小説にも親しみが持てなくなるような気がしたのだ。

 実際に、清二の学校から配布された夏目漱石の「こころ」のイラストが若々しい文庫本がリビングに置きっぱなしになっているけど、新しい装丁本は読む気がしない。

 自分が大切にしている純文学作家の古い文庫本は、それなりに読み込んできたからか、それぞれの文庫本一冊一冊に、作家への敬意と私の魂が宿っているのだ。見慣れた古い表紙じゃないとダメなのだ。

 もう背表紙も擦り切れて茶色くなって古臭いけど、寝室の本棚に並べて、これからも少しずつ繰り返し読みしていきたい。

 ツイッターとかブログの文章は斜め読みしかしないから、心が純文学を欲しているんだろうな。

 今から久しぶりに本を読んでみる。
 なんだか、秋の夜長のお楽しみモードみたいだね。

 お風呂の供には、遠藤周作の狐狸庵閑話あたりがいいかな。
 ぱこぱこになっちゃうかな。

 



2013年03月30日(土) 採れたての葱

 採れたての禰宜・寺田祐子です。……じゃないってば。。。

(注:私の肩書、宮司を支える職務の『禰宜(ねぎ)』といいます)

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 つまらないことを書いてしまった。

 一昨日、近所のおばさんの家に立ち寄ったら、帰り際に、畑から葱を掘り起こして持たせてくれました。

 刻み葱にして、冷凍して使ったら便利だよ〜と言ってらしたけど、私はまず、大雑把に切って、お魚グリルで焼いてみた。焼き鳥のねぎまの鶏肉抜き(?!)=つまり葱の素焼きのこと。

 この葱の素焼き、腰が抜けるほどおいしかった〜。葱がすっごく甘いの。特に真ん中の柔らかいところ。葱ってこんなにおいしかったんだーって。

 野菜の自然の甘みって、本当に贅沢。
 今まで食べていたスーパーで買ってきて、冷蔵庫の横の野菜籠に放り投げてあった葱はなんだったんだろう。。。ってなかんじ。

 その晩は、パパと二人だけの夕食だったので、翌日、清二にも食べさせてくて、パパには連ちゃんで同じメニューで申し訳なったけど、またまた葱を素焼きにしてみた。

 ところが、一晩経った葱は、すっかりその野菜特有の甘みが失われていて、普通っぽくて、ちょっとだけ新鮮な葱ってな味でした。

 そこで、私すっかり覚ったのです。

 やっぱり食文化は、採れたての鮮度の高いものを食べないと高栄養は望めないと。

 周りの近所のおばさんたち、みんな70歳以上なんだけど、誰もがつやつやの顔をされている。これはやっぱり取れたての新鮮野菜を日頃食べているからなんだろうな。

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 新鮮な農産物は、太陽の神様と農作の神様の恩恵あってのこと。

 伊勢の内宮に祀られている天照大御神様と、外宮に祀られている豊受大御神さまのことなんだけど、あの葱の甘さを感じた瞬間、思わず両手を合わせて神様を拝みたい気持ちになりました。清々しい気分でした。

 今の自分に、この事に気づかせてくれた近所のおばさんに心から感謝。


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祐子 [MAIL]

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