薔薇園コアラの秘密日記

2005年01月06日(木) ららら、ら〜らら〜ぶ、そ〜ん

 イタリア日記は、もうおしまい。だって、日常生活始まって、もう休暇モードじゃないもん。
 いろいろ思うところもいっぱいあったんだけど、もういいの。イタリアは。

 で、最近の祐子さん。
 ふはは。♪ららら、ら〜ら、ら〜ぶそ〜ん
 数年前の連ドラ「Long Vacation」ロン・バケDVDを観ております。

 これは、東南アジアから最近赴任された奥様にお借りしたもの。
 海賊版です。
 アジアの香りがします。
 字幕が中国語(?)と見慣れない横文字です。

 もうー、びーっくり。
 わ、わ、わたくし、はじめて海賊版というものを目にしました。
 アジアでたくさん出回っているとは聞いていましたけど、実際にメイドインアジアの物を手にしてみたのは初めてでした。
 本当に、いかにも海賊版ってな感じがして笑えます。例えば、ジャケットが思い切り当て字的なところとか、役者の名前が日本語表記と違うところとか。

 ま、ちゃんとワンクール分のドラマが日本語で映れば海賊版であろうが日本版であろうが関係ないですけどね。
 借りてきて早々、どっぷり浸って観させていただいてます。

 ロンバケは、ドイツ時代、JSTVでもやっていたので毎週見ていたし、どこかから回ってきた誰かのビデオでも再度見ている。(そのビデオ、異動の時にみんな処分しちゃったけど)

 で、そしてワルシャワであらためてもう一度。
 何度観ても、新鮮な感じがいい。

 今では、少々色気づいた理人が、キムタクに憧れているので、今のキムタクよりも若くてカッコいい「瀬名君」を、理人のほうが喜んで観ている。

 パパは、昔から、山口智子のファン。
 帰宅して、早速一話目から見始めた。私も一緒に。
 私は同じ日にワンスモア。

 だから、私の頭ン中は、ららら、ら〜ら、らぶそ〜ん……なのです。

 やっぱ、古いけどいいねぇ、ロンバケ。
 
 山口智子扮する「南」、なんて可愛いオンナなんだろう。しみじみ思う。
 あぁいう女の「可愛さ」を理解できるオトコって、ホントのオトコだと思う。

 そんな輩はどこを探しても私の周りにはいませんけどね。

 ふふふ、わたしはね、どちらというと南タイプのオンナかな。

 ただ、うるさいだけの……ってな意味じゃないからね、念のため。
  



2005年01月04日(火) イタリア旅行記その5

 バチカン美術館のラファエロの4つの間の手前に、ポーランドの偉大な歴史画家、ヤン・マテイコの大作が展示してあった。

 「1683年 カーレンベルグの合戦」ヤン・マテイコ作
 第二次ウィーン包囲の様子を表わした画。
 
 私達家族4人は、
「おぉ〜、こんなところにヤン・マテイコの画がある〜、おぅ〜、ヤン・ソビエスキーが描かれてる〜」
 といって、立ち止まってまじまじと見入ってしまった。

 ニッポン人ガイドのオバはんは、この画の前をあっけなくスルー。
 とっとと先に行ってしまいました。

 おいおい、ニッポン人はこんな画、興味ないかもしれないけどねぇ、欧州人にとってはねぇ、この画は、歴史的、宗教的に有意義な合戦なのであるぞ。わかっちょるかにぃ〜?

 「ウィーン包囲」とオスマン帝国の衰退。
 昔、学校の歴史の時間でちょろっと習ったはずだけど、記憶があいまいかな。

 16世紀から17世紀。
 第10代君主スレイマン1世の時代に隆盛を極めたオスマン帝国。

 次第に領土を拡大していったオスマン帝国は、中央ヨーロッパから北アフリカまでイスラムの支配下に入れ、いつしかヨーロッパ諸国を脅かすようになった。

 オスマン帝国にしてみれば、ハプスブルグ家の都ウィーンを陥とせば、イスラム世界をヨーロッパ全土に展開できるのは必至である。そうとなれば、喉から手が出るほど手に入れたい要都・ウィーン。

 そこで、オスマントルコ軍は、1529年、1683年と2回にわたり、ハプスブルグ家の都・ウィーンを包囲した。いわゆる、これが「ウィーン包囲」である。
 この包囲の第1回目は1ヶ月間、第2回目は3ヶ月間にも及んだそうだ。

 そこで、あの画に描かれていた「カーレンベルグの合戦」。
 ポーランド軍を率いたポーランド国王ヤン・ソビエスキー�契い蓮⊃誓札蹇璽濤陳襪離魯廛好屮襯芦箸鮗蕕襪戮�、ウィーン近郊のカーレンベルグの丘にて、オスマントルコ軍をついに撃退した。

 以降、オスマン帝国は、中央ヨーロッパにまで拡大していた領土を次々返上し、急速に帝国の勢力が衰退していくことになる。

 つまり、以上の話を単純明快に言ってしまえば、これは、イスラム教対キリスト教の戦いなのであった。

 もし、あの時、あそこの合戦で、キリスト教軍団最前線のポーランド軍が、イスラム教軍団オスマン軍にあっけなく負けていたらどうなっていただろうか? 当然、神聖ローマ皇帝のハプスブルグ家は、オスマン帝国の支配下にはいることになっただろう。そして、今ごろは、ヨーロッパ全土にモスクが乱立し、人々はコーランを唱えていたことであろう。

 つまり、キリスト教滅亡の危機を、ヤン・ソビエスキー�契い�死守したということである。よって、このヤン・ソビエスキー�契い蓮�後にその偉業をキリスト教の総本山であるバチカンでローマ皇帝から称えられたのだった。

 だからねぇ、日本では超マイナーかもしれないけどさ、ヨーロッパのキリスト教圏では、ポーランドのヤン・ソビエスキー�契い箸い┐弌�第2次ウィーン包囲の際に偉業を遂げた王様として、今でもとても有名なんだよ。なんたって、バチカン美術館にその合戦の画が展示されるほどなんだから。


 バチカン美術館ではさ、ミケランジェロやラファエロなど高名画家の有名な画がたくさんあって本当に素晴らしいとおもったけど、こうして、ほかにも所蔵されている作品一つ一つに重要な意義があって、それぞれに由緒と価値があるんだろうなぁ。あまりにも作品の量が膨大すぎて、一つ一つじっくり鑑賞する体力と気力なんて全くなかったけど。。。

 参考 エンカルタ百科事典 及び、昔のポーランド語の先生のお話より。

 



2005年01月03日(月) イタリア旅行記その4

 朝からいろいろ調べ物をしていた。

 「煉獄」と言う言葉をご存知だろうか?

 キリスト教のカトリック教と東方正教会では、来世の天国と地獄の他に、世の終わり(最後の審判)までの世界として、「煉獄」があるとされている。って、エンカルタ百科事典からの引用だけど。

 つまり、「煉獄」とは小罪をおかしたために、死後すぐに天国へいけない霊魂が、浄(きよ)めをうける世界。
 煉獄にいる霊魂は、神からあたえられた苦しみを喜びをもってうけいれ、世の終わりに天国へひきあげられるという。 

 ダンテ(1265〜1321)の「神曲」は、地獄、煉獄、天国をめぐる空想のたびをあらわした壮大な寓意物語。ミケランジェロは、このダンテの「神曲」をもとに「最後の審判」を描いた。

 ミケランジェロ「最後の審判」
 バチカン美術館 システィーナ礼拝堂


 どこかのサイトに合った画像を引っぱってきました。
 無断引用すみません。

 私はシスティーナ礼拝堂でこのフレスコ画を見上げたとき、素人的に全く違った解釈をしていた。

 中央に描かれているキリストは、現世の人間を審判して、来世で地獄と天国に行く人を振り分けているのかと思って鑑賞していたのだ。運命を分けているのかと。

 でも、あのキリストは、現世のキリストを表現したのではないらしい。
 そういえば、ぽっかり宙に浮いてるもんねぇ。
 あれは、昇天した後のキリストなのだそうだ。

 キリストは、ユダによる裏切りで磔刑で処刑後、即埋葬され、3日後に復活。復活後40日に昇天した。

 そして、世界の終わりのとき、昇天したキリストが再臨し、審判者として、生者とよみがえった煉獄の死者のすべての人間を天国と地獄にわけた。

 それを表現したのが、システィーナ礼拝堂のこのフレスコ画になる。

 中央にマリア様と聖人を従えたキリスト。列をなす審判を受ける人々。
 左下に肉体の復活の場面、左側は天に昇る人々。
 そして、右側は地獄に引き立てられる人々。さらに右下には、罪人達が地獄の審判者ミノスのもとに運ばれていく様子が描かれている。
 
 新約聖書によれば、「復活」は、キリスト教におけるもっとも重要な教理なのだそうだ。イエスは死者たちの中から復活することによって、人類に死の彼方にある命の希望をあたえたのだという。

 ふーん、ようやく何かが少しだけわかっってきたぞ。

 キリストの右下では、聖人が人間の皮を剥いだものを手にして、キリストに見せている。(それはミケランジェロの自画像でもあるらしい)

 実はねぇ、おりしもこの旅行中、春樹おじさまの「ねじまき鳥クロニクル」の2、3巻をもっていってて、移動中やホテルでずっと読んでたんですよ。中に、間宮中尉の手紙に、モンゴル国境のノモンハンで戦友が受けた皮剥ぎの刑の描写があって。後のほうでももう一度人の皮を剥ぐシーンが出てきたんだっけ。

 うわ〜、皮剥ぎの刑はもう観たくも知りたくもな〜い! ってな感じだったよ。う〜、ブルブルブル……。

 

 


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