| 2004年06月17日(木) |
毎晩サッカー観戦〜EM2004〜 |
先ほど、EMサッカー、クロアチア対フランス戦、始まりました。 フランスチーム、全員丸坊主。 ジダンをすぐに見分けられなくなってしまった。背番号10番なのね。
今年は、主人が熱心にサッカーを見ているので、一緒にみている。 予選からみると、力が入る。
私たちが応援するのは、勿論ドイツ。その次ぐらいにフランスかな。 まぁ、強いチームには自然と肩入れするだろうから、今後応援するチームは変わっていくだろう。
ドイツチームは、みんな若い選手に世代交代してしまって、知っている選手はほとんどいない。カーンとシュナイダーぐらいか。
次のドイツの試合は土曜の晩。楽しみだにゃ〜。
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昨日、ショパンの生家にいってきたと日記に書いた。 その帰りのこと。すごく不思議な現象があった。
ショパンの生家に行くには、ポズナン街道から普通の田舎道に入るんだけど、国道から田舎道に500mぐらい入った辻に、きれいな花が添えられたマリア様の像がある。あぁいうのを日本語で祠というのかな。
そこでのこと。 行きは何ともなかったんだけど、帰りにいきなり何かものすごいものを感じてしまった。いわゆる、磁場というものなのだろう。
一緒に行った知人と普通に話をしながら車でそこを通り過ぎようとしたら、いきなり視界がぐにゃりと歪んだ。
コンタクトの状態が悪くなったときや、目が乾いたときに視界が悪くなるけど、そういうのとは明らかには違う。きれいに見える視界がいびつに歪んだのだ。
わたしはあせってしまった。同乗の知人をワルシャワまで無事送り届けないといけない。このまま運転できなくなったらどうしようかと。でもそう思った瞬間、すぐに視界は元に戻った。
元に戻ってすぐに思いついたのは、たった今通り過ぎたマリア様の祠。 何か特別な磁場が関係していたのではないだろうかと。
最近、歳をとってから、人や物のエネルギーを強く感じるような体質になってきた。いやそれは以前から多少は持ち合わせていたけど、ポーランドに住むようになってから、宗教に関する磁場は特に強くわかるのだ。
今までに私が最高に磁場を感じた場所は、クラクフのヨハネパウロ教会。 ちょうど結婚式をしていたところだったんだけど、バリバリバリっと全身総鳥肌。神の見えざる何かを感じた。
ふたつめは、ワルシャワの国立美術館のキリストの磔刑像が陳列してあるコーナー。あまりにも強い磁場で、私は近づくことができなかった。恐ろしくなって、そそくさと、後にした。
そしてみっつめは、昨日のショパンの生家近郊のマリア様の祠。
それ以外にも軽い磁場ぐらいは感じたことがあるけど、ここに書きとめるほどのものではない。
私の実家は神社で、もともと神の霊には、身近なところで生まれ育った。 大人になって、仏教徒の主人と結婚した。 そして、キリスト教の国にトータル14年間住んでいる。文化習慣どっぷりキリスト教である。
私の中には三つの宗教が交錯している。
私は昔から宗教的な教育は受けていないけど、何となく、神様とか守護霊の存在は信じている。
だから昨日、あの時磁場を感じた瞬時に 「私たちが無事ワルシャワまで帰り着くまでお守りください」 と念じた。
そうして無事、ワルシャワに戻り、昼から市内でぷらぷら過ごした。
私は思うに、神や仏の存在云々より、信じる心が大切なのだ。 その信じる対象が、神のこともあるし、仏のこともあるし、自分の能力のこともある。
改めて、信じる心をもちたいと思う。
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おう、サッカー盛り上がってる。1:1 それじゃ、また。
今日、お友達と一緒にショパンの生家へいってきた。 ワルシャワから車で一時間。静かな郊外であった。 一応、そこは観光スポット。 ポーランドを代表する作曲家・ショパンの生家であるから、ガイドブックにも載っている。大人や小学生の団体、何組かの日本人にもであった。 お屋敷と手入れの行き届いた庭がある。 でも、ただそれだけのことなのだ。
思わず苦笑。
前日に、一緒に行く友達と、 「私もまだいったことが無いから是非見にいきましょう!」 とテンション高めに電話で話したんだけど、行ってみたらやや肩透かし。 おまけにお庭の散策中に通り雨。
お昼にはワルシャワに戻って、私が好きなオディンツァのカフェ・レストラン「Zielnik」でお昼ご飯を食べた。 アスパラの前菜とほうれん草のパンケーキ。蜂蜜シロップがとてもおいしかった。お友達にも気に入ってもらえてよかった。
それから、憲法広場の靴屋さんにふらりと入って、サンダルを衝動買い。 旅行会社に寄って、リゾートのパンフをもらう。
子供たちの帰宅直前に、ハハご帰館。 今日はちょっとイレギュラーな一日でした。
そして、明日は、子供たちの漢字検定。 今までに少しは勉強させたけど、詰めが甘そう。総復習をさせねば。
明日大丈夫かな・・・。
小学校高学年のころのお話。 理科で、卵の孵化について勉強する授業があった。
担任の先生が養鶏場から取り寄せた「有精卵」を、ふ卵器の中でひよこに孵るまでの過程を調べる授業だった。
用意された30個ほどの卵は、お店で売っている卵とは違い、ひよこが生まれる卵ということで、小学生の私たちは、卵の殻を割って、お祭りで売っているような雛が出てくるのかと、毎日わくわくしながら大切に見守っていたものだった。
ふ卵器に入れてしばらくしてから、1個の卵を取り出し、中身がどう変化しているか見てみた。赤い血管が生じ、卵から命が芽生えたことがわかった。
もうしばらくしてから、また1つの卵を取り出し、調べてみた。 前回よりも更に血管が増え、明らかに命が形作られている。 私たちは、やがてはひよこになっていく命の過程を目の当たりにした。
その次の解剖の授業くらいで、私は突然、怖くなった。
理科の実験とはいえ、毎回、ひよこになりかけの卵を解剖して、ひよこの命を殺している。このまま解剖をせず残り全部をふ卵器に入れておけば、私たちが楽しみにしているように、ひよこがたくさん孵るかもしれないのだ。私たちは今、とても残酷なことをしているのではないか・・・と。
授業中、卵の中身をのぞきこんでいるみんなの傍らで、私は突然、しくしく泣き出してしまった。担任の先生が私の様子に気づき、すぐに解剖を中断した。
私は泣きじゃくりながら、 「これじゃぁ、殺されるひよこがあまりにもかわいそうだ・・・」 と先生に訴えた。
するとまわりの女の子たちも次々と連鎖反応のように泣き出し、教室のみんながわんわん大泣きするという事態になってしまった。 その日は、そうこうするうちそのまま授業は終ってしまった。
次の理科の時間。 担任の先生がいった。
「先日からふ卵器に入れていた卵を特殊な方法で見てみたら、残りのほとんどが「無精卵」ということがわかりました。だからこれ以上、卵をふ卵器に入れていても意味が無いので、この解剖の実験はこれで中断します。残りの卵は養鶏場にかえすことにします」
確かに、今まで解剖した卵には、何の変化もない「無精卵」もあり、「有精卵」を探し当てるまで、次々割っていったこともあった。残りが無精卵だったといわれれば、単純な子供たちは信じるだろう。
わたしは、教室でひよこが生まれないのは残念だったけど、あれ以上、ひよこの雛を残酷に殺さなくてもよくなったから、あぁ、よかった・・・と思ったものだった。 そして、それ以降は別の実験の授業が始まったので、私は卵のことなどすっかり忘れ去ってしまった。
残りは全て無精卵だったというのは、子供だましの嘘だったに違いない。
担任の先生は、私をはじめ多感な子供たちの涙を前に、いろいろ考えるところがあったのだろう。授業とはいえ、殺生をしているのだ。卵の命、命の卵といえどもあなどれない。 私のほうは、授業の教材にもかかわらず、ひよこかわいさだけの過剰な感情移入で取り乱してしまった。でも今思えば、担任の先生は、多感な私の感受性を真正面で受け止めて、ちゃんと理解してくれていたのだろう。
今でも多感な私があるのはあの先生のお蔭。 私を認めてくれた担任の先生には今でも感謝している。
「卵の命」。今でも忘れられない小学校時代の小さなエピソードなのです。
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