| 2004年04月18日(日) |
この花の名前知ってる? |
とあるレストランの店先で、鮮やかな朱色が目にとまった。
私の好きなガーベラの花だった。 同じ背の高さに切りそろえられて、にぎやかに活けてあった。
連れの男性に尋ねてみた。 「ね、この花の名前、知ってる?」 「え、ガーベラでしょ?」
と、こちらを振り向きながら疑問形で答えた。 その言い方は、花の名前には自信がなくてあてずっぽうにいったというのではない。ガーベラぐらいは知ってるけど、どうして花の名前なんか突拍子もなく僕に尋ねたの? というニュアンスだった。
私はその時、その彼にとても関心したというか、いたく感動したのだった。
だって、私の周りの男性で、バラやチューリップぐらいは知ってても、ガーベラの花の名前まで即答できるひとは、ほとんどいないんだもん。 一人一人の顔を思い浮かべてみたけれど、やっぱり知らない人のほうが多そうだわ。
その彼は古くから知っている人だけど、そういえば昔から、きれいなものやいいものを見たらその都度記憶に留め、どう感じたかどう心に響いたか、感動を言葉にしてさらりと言える人だったような気がする。
そもそも私の周りの日本人男性で、例えば花をめでて「きれいだなぁ」と素直に言える人はどれだけいるだろう。 体裁があるせいか、花に興味を示すなんてこっぱずかしいなんて思うひとが大半だと思う。 うちのパパなんか現金な人間だから、花を買っても腹はふくれない…などとまでいう。
くだんの彼のような感性のひとが自分の交友関係にもいたんだと、久しぶりに気づかされた。
最近、何か物足りないと思っていた。 冬の間、感性を刺激する機会をもってこなかったからなんだろうな。 ワルシャワに緑が増え始めると、心にも感性が芽ぶいてくる。 木々の緑は、瞳に優しい。ふわぁっとした心で五感を磨こう。
まずは週が空けたら、お花を買いに行ってこようかな。 先週のパーティーのために活けてもらったお花はそろそろ限界。 そうだ、紅いガーベラを買ってこよう。 いつもガーベラを買うとき、あのときの彼のことを思い出す。 きっと、今も遠くで元気に営業マンしてるんだろうな、って。 彼のあの感性、いつまでも失わないで欲しいな、と思う。
いつの間にか、四月の前半が過ぎてしまった。 春休みもイースター休暇もあったので、創作がすすんでいない。 締め切りを設けているわけではないので、お休みしていてもいいわけだけど、一気呵成に書き上げようと思いつつも、イレギュラーに予定が入り、あっという間に日が過ぎていく。
いま、JSTVで棟方志功の特別番組が放送されている。 「わだばゴッホになる」といって、世界のムナカタになった棟方志功。
棟方志功は、戦時中、富山県福光町に疎開しており、私の実家がある魚津をよく訪ねていたらしい。 ちょっとした縁で、父は棟方志功と交流があった。 独特の版画に直筆の一言が添えられた何通もの葉書が家に家宝として保存されている。
志功と父との出会いというのも、物語になる。
戦後、疎開先の富山から東京に戻った志功は、都内で書道の個展を開いた。父が上京して、貧乏な学生をしていた頃のことだった。 多少の書の心得があった父は、是非とも志功の書を鑑賞したいと切望し、画廊へと足を運んだそうだ。
そこで、芳名録に名前と実家の住所を記したところ、棟方夫人の目にとまったようだ。 「お父さん、富山出身の方が観にきてくださっているわよ」 と、(青森弁でだろうけど)夫人は志功に嬉しそうに告げたという。
かつて自分たちが世話になった疎開先の富山県出身者が、東京で勉学にいそしみながらも、こうして自分の個展にまで足を運んでくれたということが、志功にとってはこの上なくうれしかったらしい。
後日志功夫妻から、書の道をかじる父に、是非自宅へ遊びに来るようにと連絡があったそうだ。自分たちの恩のある富山の出身者を懐かしむということもあったのだろう。
そうして、以降、志功と父との長い交流が始まった。 父は仕事柄、いまだにさらさらと筆で字を書いたりする。かつてはその書の腕はかなりのものだったらしく、大きな賞をもらったこともあるらしい。そういった書にかける情熱も、棟方志功の創作への姿勢に大きく影響されたのだろうと思われる。
私の両親は、自分たちがいまだに俳句などをたしなむせいか、ジャンルが違っても、創作に携わるということに対してはとても理解がある。海外で孤軍奮闘している私を温かく見守っていてくれる。
さてと。それでは世界のムナカタに見習って、私も意欲的に取り組むことにするか。
「自遊人」という雑誌に、蒸気機関車のペーパークラフトの付録がついていた。
今朝、理人が、 「これ絶対に僕にちょうだいね! 学校から帰ったら作るからさ」 といって、喜び勇んで学校へ行った。
早めに宿題を済ませ、早速工作に取り掛かった。 仕上がり時間3時間とかいてあった。 二人で紙から切り離したり、くっつけたりしたので、早めに仕上がると思った。が、理人と私のことだから、パーツをなくしてしまったらしい。それも土台になる大きなパーツ。
結局二時間ぐらい、工作カッターとはさみとセロテープを振り回し格闘してみたけど、部品がなければ元も子もない。仕方ない。未完成。
諦めなさい、理人。
いつもはこういう工作関係は、パパが付き合って、最後は工作好きなパパが完成させていたので、私がこうして理人の製作に付き合うことは滅多にない。
理人も、以前に比べて知恵を使うようになり、作業も丁寧に進めるようになっていた。子供の成長に感心した。
私、やっぱ、年ですわ。目がしょぼしょぼして痛い。ビール、コップいっぱいで今、急に眠くなってきた。あぁー。
明日から子供たちのお弁当を作らないといけない。寝る前に簡単に準備をしておこう。
ねぇねぇ、パパ、テレビのボリューム大きすぎます。 いらいらするなぁ・・・。 と本人に伝えず、ここに書く。
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