薔薇園コアラの秘密日記

2004年03月21日(日) ママの居場所

 春は別れの季節。
 今日、お昼頃に空港へ帰国者のお見送りに行ってきた。

 日本人学校の山本校長先生と、間宮先生が三年間の任期を終えられ、とうとう完全帰国された。私たちと同じ時期にワルシャワに赴任された付き合いの長い方々なので、帰国されるのは名残惜しい。

 でも、帰国されてもワルシャワでの同窓の付き合いは、このままずっと続くに違いない。また会う日まで、しばしのお別れ。
 ちかいうちにまたすぐ会えることだろう。だから不思議と涙は流れない。

 そして、今日は今朝から忙しかった。
 月曜日にWALTERから子供部屋の本棚が届くので、今日中にいろいろ部屋の掃除をしておかないといけない。
 学年末でもあるから、机の上はプリントの束で溢れかえっている。手は真っ黒になるし、ゴミ袋はすぐに満杯になるしでてんやわんやだった。

 今まで、二人共同で使っていた子供部屋を、理人5年生進級を機に理人一人部屋にすることにした。理人は5年生になって勉強量も増えるだろうし、清二に邪魔されることなく集中して机に向かえるようにしてあげたい。

 そこで、私のパソ部屋をあけわたして、清二に使わせることにした。はじめは母子で兼用でもいいかな、と思ったけど、私の部屋にみんなが入り浸って、かえって落ち着かなないだろうから、私のほうが部屋を出ることにした。

 でも、うちは3LDKだから、余った部屋はもうないよぉ。どうしよう・・・。
 で、知り合いに世間話でそのことを話すと、
「我が家に空き部屋ありますから、いつでもどうぞ」
と何人かから言ってもらった。
 ははははは。ありがとうございます。
 お言葉に甘えて間借りさせてもらおうかな。
 お宅はまかないつきですか? 
 ははははは。

 私もいろいろ考えてたんだけど、意を決して、この際、私の机をリビングの窓際の一角に持っていくことにした。正真正銘の窓際族。
 来客があっても、(乱雑な)ライティングデスクまわりが丸見えなのは恥かしいので、リビングのソファとの間に、大きめの観葉植物で間仕切りをして、居住空間からの死角を作った。
 オープンスペースながらも落ち着いた緑の一角になった。

 うーん、ここに落ち着いてみたら、なかなかいい感じ。
 パソのモニターの向こう側は、窓。
 窓の向こう側はワルシャワの南東の空。
 目が疲れたら遠くを見ることができる。
 今までの部屋よりも眺めは格段にいい。
 左90度の視界は空。
 右90度の視界は、テレビとソファの背。
 だけど、このリビングの空間を独り占めしているみたい。

 私はパソを覗かなくても、本を読んだり、おやつを食べたり、ぼんやりするのも自分のデスクに向かって座る癖がある。
 リビングのソファに寝そべるよりも落ち着くのだ。
 今までは一日の大半の時間を自分の部屋にこもって過ごしてきた。
 
 でもこれからは、ママはリビングの住人になる。
 そのほうが家族にとっても自然であろうから。



2004年03月20日(土) 買い物先の駐車場にて

今日、午後から一人でWALTERというドイツ系の家具屋に子供部屋の本棚を買いにいった。

 大きな本棚、2棹と小さいのを1棹。他にも、こまごまとしたイースター用の飾りや、ゴロゴロ付きのワゴンなどを購入。

 2棹の大きいほうの本棚は、そこで配達と組み立てをお願いしたら、100ズォティもしたよぉ。もったいなー。でも腰痛もちのパパはあてにできないし・・・。いいの、お金でこちらの労力が解決できれば。

 で、車のところまでカートを運んで、さあ荷物をトランクに入れよう、というところで、ちょっといけ好かない感じのあんちゃんに声をかけられた。

 ポーランド語でなんじゃらかんじゃら言っていたけど、関わりあいたくなかったので、「ポーランド語、わっかりませ〜ん」といって、あっさり無視してやった。すると、英語に切り替えてしつこく話そうとしてくる。

 わーかった、わかった、わーかってるって! カートを元の場所に戻してくるから、中にはいっているコイン、僕にちょうだい、っていうんでしょ?

 だーめ。ノーサンキュー。
 だめといったら、だーめ!

 といっているのに、かなりしつこい。もう、関わるのも面倒くさいので、奴さんの存在を無視して、カートの中身を車に入れるため、トランクを開けた。

 ぐ。ショッピングバッグに入れた小物ならば私も難なく持ち上げられる。でも、小さいとはいえ本棚のほうはいくら屈強の私といえども軽々というわけにはいかない。

 まだしつこく私の後ろにいたあんちゃんに、やっぱ、にぃちゃん、手伝ってよ、といってみたら、すぐさま、素早く軽々とトランクに収めてくれた。
 はぁ、やっぱり助かった。

 お礼に、そのカートに入っている1ズォティをあげることにした。
 はいはい、持っていきな。ありがとさん。そうやって、一日いくらの小遣いを稼いでいるのやら。まぁ、いいんだけどさ。

 その後、そこの同じ敷地にできた、REALで食料品と日用品をお買い物。
 出口で、またおんなじあんちゃんに声をかけられた。

 あんちゃんは私がさっきの客とおんなじ人だとわかって一瞬ひるんだけど、厚かましく、お手伝いしましょうか? といってきた。

 私は今度こそ、頑なに首を横にぶるんぶるん振ってボディーランゲージで断った。

 あまいんだよ、にぃちゃん。。。

 でも、折りしも雨脚が強まり、買い物荷物も私自身も、ばしゃばしゃと雨に打たれていた。こんな中、車のトランクに買い物袋を移したり、カートをゴロゴロ押して置き場まで返しにいくのも面倒くさい。

 やっぱり、1ズオティをあげてもいいから、あのあんちゃんに手伝ってもらおう……と思いたって、すぐに辺りを探してみたけど、もう他の客を見つけたのか、きょろきょろさがしても、どっこにも見当たらなかった。

 うーむ。傘もささずに私は雨の中、とぼとぼ一人で重いカートを押したよ。
  
 ったくぅ。世の男性諸君よ。雨の中、レディーにこんなつらい思いをさせないでおくれ。ぶつぶつぶつ……。たった1ズォティをけちるんじゃなかった。ぶつぶつぶつ……。



2004年03月18日(木) 無惨! 業者テスト

 本日から春休み。お天気もぽかぽか春休み風。

 昨日は、卒業式と修了式だった。昼からはお楽しみ会。
 いろんな思いで学校で過ごした一日だった。
 涙と笑いとショックと。

 涙というのは想像に易いであろう。
 卒業式でもあり、離任式でもあったから。
 笑いというのもしかり。笑いはお楽しみ会の付き物だから。
 それでは、そのショックというものは・・・ふはははは。
 あぁ、破り捨てたいかな、成績表。
 
 その成績表、日本人学校からのものはまあ普通。問題なし。
 他にもらったのは、2月下旬に受けた業者テストの結果。
 散々だった。 

 そのテストは、日本の進学塾で受験の為の試験勉強をしている子供が受ける業者テストだった。そのテストがどういうものか知らずに、試しに受けさせてみたのだった。

 試験当日理人は、「学校では習っていない問題ばかりで、まったく解けなかった。何でママは勝手に申し込みをしたんだ!」と、怒って帰ってきた。

 親のほうが後悔した。努力したことに対してできなければ、叱咤激励の法もあるだろう。でも、習っていないものは、白い紙の前で、どう知恵を絞っても解けなかったにちがいない。

 今回は限りなく零点に近くても致し方なかった。ただ、学校の日常的なテストでそんなお粗末な結果で、答案用紙をつき返されることはない。だから、その採点結果の数字はショッキングだった。これではきっと子供の胸に変な劣等感を植え付けたにちがいない。

 昨日は、その劣等感を払拭するべく、母は子の心のケアに奮闘した。
 私も疲れた上、ショックで口も聞けないくらいだったけど、いろいろ子供たちが納得するよう、日本には受験戦争の渦中で受験テクニックを磨いている子供たちがいることを話して聞かせた。受験戦争自体、在外の私たちには異文化なのだ。

 偏差値に惑わされるタイプではないけど、よくない結果を見ればショックを受ける。それが一般的な人間の精神構造であろう。
 私も普通の母親なのだ。

 今回、知らなければ知らないで済んだはずの日本の受験戦争を垣間見てしまい、我が子には戦場に派遣しなくてもすむよう何らかの形で親の私たちが息子たちを守ってあげないといけないんだな、と改めて深く考えさせられた。

 我が子たちは、今のところワルシャワ日本人学校で、素直にのびのびと育っている。在外の学校だから素直に育っているというわけではない。塾やドリルなどで大人がお受験のために無理やり詰め込むことを課さないからだと自負している。

 受験戦争下の歩兵たちの目標は大学合格でそれでおしまいかもしれないが、少なくとも我が息子たちには、大学卒業後の職業で夢が開花することを人生の目標として生きて欲しいと思っている。
 


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祐子 [MAIL]

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