ただいま・・・です。 昨晩、現地時間の10時半に自宅に戻ってきました。
今回の一時帰国は、祖母(現九十三歳)のお葬式の準備と覚悟をして飛行機に乗り込んだのですが、愛しい孫が遠方はるばる来てくれているのがわかってか、見舞いに行くたびに持ち直し、危篤だったとは思えないぐらいに容態が落ち着いてきました。 命の神秘みたいなものすら感じました。 わたくし的には、今回の帰国で、最期を看取ってお別れをするよりも、意識のあるうちにきちんとお別れができたので、それはそれでよかったと思っています。
私が祖母のために急遽帰国したことで、両親にとっても心の支えになっただろうし、見舞いにきてくれた親戚に対しても私が潤滑油的な存在になってよかったのだろうなと思っています。
今回は特に、祖母を始め実家の家族や、親戚の皆さんの心に、私ならではの「暖かいもの」を残してきたと自負しています。
帰国に際して、いろんな人に迷惑をかけてしまったけど、こうして自分の人生の節目にけじめをつけてくることができたので、皆さんには本当に感謝しています。
日本とポーランドの知り合いの皆さん、本当にありがとうざいました。
| 2004年01月24日(土) |
日本に行ってきます。 |
前回の日記で、まだ人生の前半で不幸の経験もないし、海外にいるから慶弔関係は縁遠いと書いた。
そしたら、その翌日に実家から連絡があり、私の祖母(94歳)が危篤だと知らされた。かなり前から老人病院に入院しており、2週間ほど危篤状態だという。きっとこのまま老衰死するのであろう。
息を引き取る前に、急遽私単身で日本に一週間だけ行ってくることにした。 私は家族の中で一番のおばあちゃんっこだったから、最期にはどうしても傍にいたい。 この私、一月に入ってから、原因不明でかなり衰弱していた。 昨日、ドクターに診てもらったりもしたけれども、異常無し。 ストレス性の自律神経失調かとも思ったけれど、私が思うに、これはきっと祖母からの虫の知らせだったのだろうなと思う。 原因不明なのに、あのしんどさは尋常じゃなかったもん。 今だから言うと。
留守中の子供たちは、学校のお友達のお母さんがローテーションを組んでお弁当と宿題と夕飯まで見てくださる。 ありがたいことだ。 パパは若いオネエサンにでも面倒みてもらってください。
各方面の皆さんにご迷惑をおかけすることになりますが、私の留守をどうぞよろしくお願いします。
ボーズたちが言うには、ママは、1月29日新発売のゲーム「ポケモンファイヤーレッド」を日本で買ってさえくれば、留守でもいいようです。奴等も成長したらちゃっかり現金なせいかくになってしまったようだ。
昨夜遅く、息子の友達のお母さんが電話をかけてきた。 彼女はポーランド人で、ご主人が日本人。日本に何年も暮らしたことがあるので、日本語を話す。
電話口でかなり取り乱している。 嗚咽の合い間にききとったところによると、遠くで独り暮らしをしている彼女のお母さんとここ数日間、全然連絡がとれないとのこと。もしかしたら、自宅で老衰死したのかもしれないので、明日から飛行機で様子を見にいくと。 私はしばらく息子さんの面倒を見ることを申し出た。 私もその彼女のお母さんにあったことがある。歳を召されていたけどきれいな方だった。彼女は美人の家系なんだなぁと思ったものだ。多少なりとも面識のある人だけに、そういう知らせには、胸にずしりと重いものを感じる。
結局、悪天候で飛行機が欠航になり、自宅で待機している矢先に、どこかから連絡があったらしく、お母さんは病院で(無事?)入院しているということがわかった。
よかった、よかった。本当によかった。 さっき電話で話した彼女の声に張りがあったので、私もほっとした。 私って、慶事や嬉しいことに対しては、人のこともまるで自分のことのように心から嬉しくお祝いしたり喜んだりできる。 でも、弔事や不幸に対しては、本当に口下手でどう相手に接していいかわからない。下手な慰めや同情は相手の心で言葉が滑ってしまう。
まだ人生前半だし、若くて不幸のでくわした経験が少ないというか、挫折を知らないというか、海外駐在しているとそういう機会に出くわすことが少ないからか、私という人間は、自分なりに親身にはなっているんだけど、こういうときにうまく相手の心をフォローしてあげることができない。今回は特に強くそう感じた。渋々しく。
心のこもらない通り一遍の社交辞令よりも、喜怒哀楽を私も一緒に分かち合っている、ってことが、相手にちゃんと伝わってさえいればいいかな、今のところは。
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