机上に我が師の写真がある。アルミ合金の小さなフレームに入れて。 写真の中で、軽く微笑んでいる。
パソのモニターとにらめっこしている私を、いつも右斜め前から静かに見守ってくれている。 時々言葉選びに行き詰まったときには、モニターから視線をはずして、師の写真をぼんやり見入るという習慣がついている。
普段はただの一枚の顔写真にしか過ぎないのに、そういうときには、写真のなかの瞳に魂でも入ったかのように、師は私のほうをじっと見守っている。 「ユウコさん、自信を持ってがんばりなさい」 声までもが聞こえてきそうだ。
私は何度この耳の奥深くだけで聞こえる声に励まされてきただろうか。
年が明けてすぐに、師から激励のメッセージを受け取った。 ところが、私はそれに応えることができないまま、だらだら半年近くを無駄に過ごしてしまった。
最近、ようやくエンジンがかかってきた。夏休みに日本に帰るまでどこまでできるかわからないけど、何かまとまったものを仕上げてみようと思う。
ほら、今も写真の中から私に語りかけている。 「日記はもうそろそろ切り上げて、勢いよく次のこと始めちゃいなさい」 って。
先程、子供たちを学校に送り出した。 家の前の道路には、昨夜降っていた雨で大きな水溜りができている。 少し強い風が、水溜りの水面を細かくさざなみ立たせていた。
清二は、車に乗り込むのも忘れて、風に流されていく小さなさざなみをじっと見ていた。小さい後姿は好奇心と感性が炸裂しているようだった。 「うわー、○○○○みたーい!」 と言ったのと、私が 「早く車に乗りなさーい!」 が同時だったので、清二が○○○○と言ったのは、残念ながら聞き取れなかった。 きっとおもしろいことを思いついていたに違いない。
清二は今まで感性を言葉であまり表現しない子だった。 何か感じることがあっても、幼年期を外国語の環境で育ったので、思うように母国語で表現できなかったのかも知れないし、お兄ちゃんの理人が次々かわったことを発見するので、それを見ているだけで満足していてのかもしれない。
最近、図書室で借りてくる絵本の傾向をみると、清二は今、何かを感じることを楽しむようになったんだとわかる。
こういう感性、大切にしてあげないといけないな・・・と慌てて車に飛び乗った我が子の姿を見て、母はしみじみ思った。
昨日付けの朝日新聞に編集者の松岡正剛氏のインタビューが載っていた。顔写真の松岡氏のルックスが素敵だったので、紹介されていたHPも覗いてみた。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya.html
「千夜千冊」と称して、毎日本にまつわる随想を書いている。今夜は772夜だそうな。 毎回、5000字以上の文章量。原稿用紙に換算すれば、10数枚。編集プロといえども、毎日のことであるからさぞかし大変だろう。
書くほうも大変かもしれないけど、読むほうがもっと大変だった。語彙が難しすぎて、読解力のない私には全く意味不明な文章であった。 松岡氏は東大の客員教授だというから、凡人にでもわかる簡単な事柄を、大げさで難しい語彙で表現しないといけないのかもしれない。
文章を毎日多く書く人だからといえ、小説を書くのかと思えば、そうでもないらしい。物語を分析するのと、物語を創造するのは違った脳の構造が要求されるようだ。 松岡氏は物語を創造するよりも、物語の物語に興味があるという。だから、こうして本に関する長い随想を毎日書き続けられるのだろう。日夜のその精力には脱帽する。
私がよく読む作家の本についてに書かれていないかと思い、バックナンバーを捜したけれども、一人も、一冊もなかった。残念ながら、私とは趣味も好みの文体も違うようだ。
当ったり前か、向こうは学者さんなのだから・・・。
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