2002年08月19日(月)  大阪は外国!?

■新聞を整理していたら、「ナニはなくともナニワはサイコー 他に比べりゃ外国同然」という言葉が目に飛び込んだ。最近、サイトの掲示板で「関西は外国」説が飛び交っていたが、ここにも証拠があったではないか。ウルフルズの「大阪ストラット」(1995年)に光を当てた記事だった。大滝詠一さんの「福生ストラット」という元歌があることをはじめて知る。「大阪ストラット」が出たとき、「さすがウルフルズ!」と膝を打ったのを覚えているが、歌詞は完全に忘れていた。記事で紹介されていた記事をあらためて見ると、「カンテGでやっぱチャイとケーキ」とある。カンテグランテは、高校時代のわたしを狂わせた喫茶店だった。丸ビルの地下やアメリカ村にある店に通い、チャイとゴータマショコラがお決まりだった。力の抜けた独特の雰囲気が好きだった。カンテGが大阪にチャイを広め、ウルフルズのメンバーがバイトをしていた店だとは知らなかった。「大阪ストラット」で歌われている「ケーキ」は、ゴータマショコラのことに違いない、と勝手に想像する。あのブラウニーのような濃厚チョコレートの味わいは今も健在だろうか。ひさしぶりに訪ねてみたいなあ、と思いをはせる気持ちは、異国を思うときめきに似ている。■なんてことを書いていたら、幼馴染みの太郎くんから大阪旅行で仕入れた『阪急百貨店大食堂』の画像が届く。「阪急百貨店最上階で昭和ヒトケタから73年間続いたそうですが18日で閉店してました」とのこと。レトロなものにも弱いわたし。もう行けないと知ると、なおのこと行きたくなってしまう。


2002年08月18日(日)  24時間テレビ

■今週はテレビをよく見た。まず、NHKで4夜連続放送された『新宿鮫 氷舞』。本を読んだばかりだったので原作との違いを楽しんだ。2時間サスペンスの勉強のために水曜の『女と愛とミステリー』と『土曜ワイド劇場 はみだし弁護士』。今夜は『24時間テレビ』のフィナーレを見てから、『太陽の季節』。それにしても、毎年、マラソンのゴールという決定的瞬間がフィナーレの絶妙なタイミングに合ってしまうのはなぜなんだろう。ゴールインするかどうかもわからない距離なのだから、その瞬間がいつ訪れるのかも予測不能なはずなのに、コントロールできてしまうのは不思議。今年もエンディングのテロップが流れ出し、熱くなった目頭が冷めてしまった。11時からはNHK『駆落ち』。炭鉱事故で肺をいためて兵役を免れている北海道の青年が、身売りされた恋人を追って東京へ向かい、空襲のどさくさに紛れて彼女を助けるが、そのとき彼には召集令状が来ていて……という太平洋戦争中の話。青年役を大森南朋くんが好演していた。台風情報を見ようとNHKをつけっぱなしにしていたら、『地球の街角』というドキュメンタリー番組に出会った。アメリカのナッシュビルでカントリー歌手を目指す少女を追った前半も興味深かったが、カンボジアで地雷除去に孤軍奮闘するアキラさん(本名はカンボジア名だが、あだ名がこうなっている)を追った後半に釘づけになった。ポルポト派政権下の強制労働で両親を亡くし、ポルポト派弾圧のため侵攻してきたベトナム軍に巻き込まれる形で戦争に加わり、地雷の敷設にも関わった。戦後、自分が仕掛けた地雷で人々が傷つくことに心を痛め、地雷除去に訪れた国連軍にその方法を教わる。以来、どの組織にも属さず、手づくりのシャベルを頼りに一人で地雷除去に奔走する毎日で、『地雷清掃人』と呼ばれている。また、地雷の被害に遭った子どもたちや戦争孤児を引き取り、学校に通わせている。生活費や活動費の財源は、集めた地雷を展示する博物館(『アキラの地雷博物館』という日本語名も)への寄付。この博物館では訪れた人に地雷の恐ろしさと地雷除去の必要性を訴える。「関係ないと見過ごすこともできるかもしれないが、自分はできない」と爽やかに語るアキラさん。カンボジアにすごい人がいる、と驚いた。■画像は幼馴染みの太郎くんが送ってきた「24時間テレビ大阪会場」のもの。あわせて東京会場の写真も。なんちゅー行動力。


2002年08月17日(土)  浴衣・花火・箏・まが玉

■思いがけず、日本の夏を満喫する機会に恵まれた。元同僚でイラストレーターの三宅麻衣さんの家で開かれる『二子玉川の花火を見る会』に招かれたのだ。ドレスコードは浴衣。「友人による箏の演奏とまが玉づくり体験もやります」とのことで、行く前からワクワクしていた。1時間かけて浴衣を着終わったときには汗だく。二子玉川の人波にひるみそうになるが、めざすマンションへ突き進む。到着すると同時に一発目が上がった。屋上に上がり、遮るもののない目一杯の花火を楽しむ。屋上は、テーブルや椅子やバーベキューセットを持ち出した住民たちで、ビアガーデン状態。イカを焼くいい匂いも風流だった。花火が終わり、三宅さんの部屋に集まった人数は30人強。「人減らしのため、まが玉づくりをする人は屋上へ上がってください」と言われ、再び屋上へ。博物館員の森本先生の手ほどきを受け、ひたすら石を削る。約1時間で完成すると言われたが、削れど削れど丸くならず、結局3時間ほど削って宿題に持ち帰った。途中、箏の演奏を聴くために、まが玉作業を中断して三宅さんの部屋へ。披露してくれたのは、三宅さんの友人の高原さんという女性。演奏を目の前(いちばん近くに座ったので、わずか50センチ先)で見たのは、はじめて。明かりを消した部屋を満たす神秘的な響きに、一同じっと聴き入る。「平調の調子」(四季でいうと秋のメロディ。場の雰囲気をその季節にするためのものらしい)を一曲披露するや、口々に質問が飛ぶ。箏は17本の竹でできている、演奏前に楽器をあたためるのは乾燥させるため(吹くと湿気がこもるので)と連結部分に使っている松やにを柔らかくするため、息を吸っても吐いても音が出るので息継ぎがいらない、楽譜は縦書き、タイにはひょうたんに竹を差した「箏の原型」がある、などはじめて聞く話が続々。演奏に使っていたのは100年ほど前に作られた箏だそうで、日本文化の伝承だなあなんてしみじみ思った。個性豊かなお友達に恵まれている三宅さん本人が描く絵も、とってもユニーク。個展のたびに絵が完売する人気だそう。今日知ったのだが、着付けの先生の資格も持っていて、着物のエッセーを書いたりしている多芸な人。わたしも、もっと日本に目覚めなきゃ、と刺激を受けた夜だった。


2002年08月16日(金)  持ち込み企画

■メールと電話でやりとりしていた映像制作会社の方二人とはじめて会う。『風の絨毯』で知り合った方の紹介で、2時間サスペンスの企画をいくつか提案していた。この二人とともに番組企画会社のプロデューサーを訪ね、わたしの書いた企画をもとに「こういう企画は、すでにやっている」「この企画がはまる枠がない」「これはキャスティング次第」などと、ざっくばらんに話し合う。テレビ番組の企画がどういう形で持ち込まれ、会議に生き残り、世に出ていくのか、あまりにわかっていなかったので、何を聞いても「そうなんですかー」と驚く。人気のある枠は半年先まで企画がぎっしりで、おなかいっぱい状態。よっぽど突き抜けた企画を出さないと入り込む余地はないらしい。また、曜日によって2時間サスペンスのキャラクターは、はっきり分かれているので、それぞれに合った企画を出さないと、「うちの色ではない」ということになる。「面白い企画ありき」だと思っていたのだが、「枠にはまる企画」を考えなくてはならないのだと教えられる。広告と同じようにテレビ番組もクライアント(局)やターゲット(視聴者)のニーズありき、らしい。「一度で企画が通るなんてことは、まずありません。一年がかり、十本出してやっと一本、そんな気持ちで」と番組企画会社のプロデューサー氏。さあて、一年以内に企画を通せるか、知恵を絞ってみよう。■会社に戻ると、同僚の女の子が「どうして背中開いてるの?」。なんと、ワンピースの背中のファスナーが全開していた。背中の真ん中までパックリ。隣の席のM君が「僕、気づいていたんですけど、今井さんのことだから、そういうファッションだと思ったんですよね」。そんなわけあるかいな!初対面の三人は、どう思っただろう。会ったばかりの人に突っ込むわけにもいかず、気まずい思いをしたのでは。しかし、背中まる出し事件は初めてではない。さらに歴史を掘り起こせば、パンツ丸見え事件というのもあった。就職してから大学の応援団の大会を見に行ったとき、トイレから出てきたわたしに後輩の女の子たちが「センパーイ!」と駆け寄ってきた。わたしもなかなか人気者ではないかと気をよくしたら、後輩の一人が礼儀正しく「先輩、おしりが見えてらっしゃいます」。ワンピースの後ろをパンツに突っ込んで堂々と出てきたわたしを、必死に止めてくれたのだった。


2002年08月15日(木)  川喜多記念映画文化財団

■川喜多記念映画文化財団という名前に覚えがあったが、実体はよくわかっていなかった。漢字で「河北」だと勘違いしていたぐらいだ。よくわからないままに、前田監督、アシスタントプロデューサーの石田さんとともに『パコダテ人』を売り込みに行く。日本映画を海外に紹介する橋渡しをしている団体らしい。2か月ほど前に、すでにアートポートから作品が届いていたと判明するが、英語のプレスリリースはついてなかったとのことなので、「ぜひ役立ててください」と託し、「パコダテ人は、どんな映画祭が向いていますかねえ」などと世間話する。応対された坂野さんは感じのいい女性。「このサイトを見ると情報が出てますよ」「こちらの団体に連絡すると、プレスリリースを送ってもらえますよ」などと親切に教えてくださった。パコダテ人と相性の良さそうな映画祭や配給会社があればぜひ教えてくださいとお願いする。「川喜多さんて人は、日本映画にすごい貢献をしはったんですよ。あの人のおかげで、たくさんの日本映画が海を渡ったんです」と前田監督。後で調べてみると、川喜多長政氏は、東和映画(現在の東宝東和)を設立、「禁じられた遊び」をはじめ数多くの外国映画を輸入し、配給した人物。日本映画の輸出にも貢献し、かしこ夫人とともに海外の映画人らと交流を深めた。映画を通して日本と世界をつなぐ生涯だったようだ。財団は川喜多氏の没後、かしこ夫人が私財を投げうって創設し、亡くなる間際まで育ててこられたものらしい。日本の映画文化を支えてきた夫婦の愛を、はじめて知った。財団に込められた二人の遺志が日本映画の発展に活かされることを願う。■タイミングよく、英語字幕版パコダテ人を見た外国人の感想文第1号が今日届いた。一昨日知り合った16才のイギリス人女子高生Fionaから。渡したビデオを早速見てくれた。「ストーリーは独創的で家族の絆が強まるところが気に入った。ヒカルとハヤトの恋がかわいかった。わたしは西洋人で文化の違いはいっぱいあるけど、それでもこの映画はすっごく面白いし感動的だし楽しめたよ」。お姉さんはラストシーンだけ見て、受けていたらしい。外国の人にもわかるんだ、という手ごたえは、うれしい。今月末イギリスに帰ったら、クラスメートにも見せてみるとのこと。


2002年08月12日(月)  お笑い犬トトの思い出

最近、大阪の家で飼っていたトトのことを思い出している。石井万寿美さんの『ペットの死〜』を読んだせいだ。わたしが中学一年生のとき、当時小学一年生だった弟が、交通事故で前足がつぶれた雑種の子犬を拾ってきた。オズの魔法使いに出てくる犬の名前をつけた。「トトが来たのはお正月」という題の作文を弟が書いていたので、正月の出来事だったのだろう。

13年生きて、老衰で眠るように息を引き取った。そのときには、わたしは家を離れていたこともあり、石井さんが感じたようなペットロスはなかった。ただ「ありがとう」の気持ちだった。トトの思い出を挙げるとキリがないが、ほとんどが笑い話だ。

なんでも人間と同じでないと気が済まない犬だった。ドッグフードよりわたしたちの食事を欲しがった。テーブルに飛び乗って食事を横取りしたこともある。アイスクリームを食べたら、おなかをこわして苦しんでいた。がめつい性格で、食べきれなかった食パンを土に埋めたまではいいが、どこに埋めたかを思い出せずに庭じゅう掘り返して途方に暮れていた。「嗅覚のない犬もおるんやなあ」と母は呆れていた。

寒い冬はストーブの前の特等席を占領した。誰よりも前にでしゃばった結果、白い毛にストーブの網のしましま焦げ目がついた。ドライブに連れていけとせがむので車に乗っけたら、酔ってゲーゲー吐いた。

「トト、アホやなあ」と何度も笑わせてもらったおかげで、わが家はいつも明るかった。トトは、今井家に笑いと和みを運んでくれた。人間であれ、動物であれ、この世に生を受けたいのちには、意味があって、出会った人に大切なことを教えて去っていくのだと思う。そのメッセージを胸に抱いてあたため続けることが、失ったいのちとつながる方法なのかもしれない。お笑い犬トトのこころは、わたしの書くものに流れているんじゃないかな。

今日は表参道で星良ママ、あおいママと夕食。キンダーの受賞を祝って乾杯する。デジカメに撮った表彰状とコピーした『We ラブ Movies』を一緒に見ながら、良かったねえ、うれしいねえと話す。


2002年08月11日(日)  ヤクルトVS横浜

■野球とつくものは何でも好きなダンナに連れられ、神宮球場でナイター観戦。わたしは大リーグもプロ野球も高校野球もあまり興味がないが、球場で観戦するのは好き。たのしそうな人々が集まっている、あの雰囲気が好きなのだ。とくに神宮は空があるので気持ちいい。東京ドームへ向かう人波と逆行しながら「わたしたちが行く球場は、本物のスター(星)が観れるんだもんねー」と勝手に優越感。今夜のカードは、ヤクルトVS横浜。ダンナは大のヤクルトファン。前に来たときは阪神戦で、風船投げの美しさとグランドのフェンス前にズラリ配置された「風船拾い部隊」のキビキビした動きに感動したのだが、今回はヤクルトの傘踊りを楽しみに見ることにする。前半はボテボテのフライ続きで緊張感のない展開。試合よりも売り子さんの動きを追ってしまい、「次に売れるのは、彼」「あの呼び声じゃあ買う気にならんだろう」と一人で予想や突っ込みを入れながら、観察。飲み物を売り歩くという行動だけで、「客が髪をかき上げただけで呼ばれていると勘違いするせっかちタイプ」「客と目が合った瞬間だけ笑顔の合理的タイプ」などと性格が見えてくるのは面白い。観客ウォッチングもこれまた楽しく、「あたしの心臓に悪いプレーは、やめて〜」「お願い、仕事して〜ン」と怪しい野次を飛ばす年齢不詳のオネエサン、「サッカーのほうが良かったよ〜」とぐずる男の子に「この選手はな、ワールドカップも出てたんだよ」と見え見えな嘘をつくお父さん……。始球式で投げた男の子とその家族がすぐそばにいて、「ちゃんとキャッチャーに届いたね」と誇らしげに振り返っていた。中盤、高熱の古田に代わってスタメン出場していたキャッチャーの米野がホームラン。「間違ってホームラン打て〜!」の野次に見事に応えた。「あいつ、早稲田出てまだ2年目ぐらいだぞ。プロ初ホームランじゃないか」とダンナは興奮。後半にはペタジーニのホームラン。1塁側が傘踊りで盛り上がっている間に、続くラミレスもホームランを打ったのだが、ほとんどのファンが見ていなかった。当たりはラミレスのほうが大きかったのに、気の毒。結局3対1でヤクルトが勝ち、ダンナはゴキゲンだった。帰り道、東京ドームの前を通ると、巨人観戦ツアー観光バスが数珠のように連なり、そのバスというバスの中では、客を待つ運転手とバスガイドたちがテレビの巨人戦に見入っていた。


2002年08月10日(土)  こどもが選んだNO.1

「パコダテ人がキンダーで受賞!」の知らせは、一昨日、こどもの城で『ウォー・ゲーム』を観ている最中にもたらされた。伝えてくれたのは、映画祭事務局の倉田さん。パコダテ人を招待作品に選んだときから作品にほれこんでくれている人で、一緒に受賞を喜んでくれた。キンダー・フィルム・フェスティバルの大きな特長でもある『こども審査員コンペティション』は、一般公募で選ばれた小学生審査員が『アニメーション部門』『ドラマ部門』『一般公募アニメ部門』の全作品を観た上で審査会議を開き、それぞれのグランプリを決めるというもの。パコダテ人は、キンダ・フィルムフェスト・ベルリンで国際審査員特別賞を受賞した『センド・モア・キャンディ〜一瞬の夏』(デンマーク・76分)、『ミヌーヌ』(オランダ・83分)、『アヒル救出大作戦』(オーストラリア・88分)とともにドラマ部門にノミネートされていたのだが、パコ派とアヒル派に割れて審査会議が紛糾し、異例のグランプリ2作品選出という結果になった。何度多数決を取っても決まらなかったということは、10人いる審査員が5対5に分かれたのかもしれない。白熱した議論をのぞいてみたかったなと思う。

授賞式は本日15時からこどもの城内の青山円形劇場で行われ、出席が叶わなかった前田監督にかわって賞状を受け取った(=写真。こども審査員のほうが、わたしより大きかったりする)。劇団MOTHERの公演などで何度も足を運んでいる劇場だが、自分が舞台に立つ機会があるとは。パコダテ人の初受賞と、キンダーの記念すべき第10回が重なったのも、うれしい。あわせて行われた上映会では、イギリスのアニメーション作品『テディ&アニー(Teddy & Annie)』のオーバーボイス(生吹き替え)挑戦に、こども審査員が挑戦。プロの声優さんの指導のもと、5日間特訓しただけあって、見事だった。今回のアニメーション部門グランプリの『ウォー・ゲーム』も上映され、アンウィン監督と並んで鑑賞した。TVCFでデビューした監督は、わたしの会社と仕事をしたこともあるらしい。アンウィン夫妻と互いに「Congratulations!」を言い合った。こども審査員の子たちも「パコダテ人がいちばん良かった!」「もう一度観たい!」と声をかけてくれた。前田監督に聞かせられなくて残念。


2002年08月09日(金)  二代目デジカメ

■先週の金曜日、ついに新しいデジカメを買った。同僚や友人に聞いてみたところ、圧倒的人気だった『FUJIのFINE PICS』目当てでビックカメラへ。すると、FINE PICSだけでも10種類ほどあって、値段も2 万円台から4 万円台までまちまち。係のお姉さんをつかまえ、どこが違うのか説明してもらうが、2万円の差がどこにあるのかはよくわからない。「ずばり、いちばんおすすめは?」と聞くと、「新発売のこちらを」と49800円の光学レンズつき新製品をすすめられる。パコダテ人のロケ前に「いちばん安いヤツ」を買ったらすぐ壊れた教訓を思い出し、エイヤッと「いちばん高いヤツ」にする。買ってから「光学レンズだったらオリンパスのほうが良かったのではないか」「29800円のMP3つきのほうがおトクだったのでは」といろいろ考えてしまったが、同僚たちに見せたところ「フォルムがいいよ」「なんだって新製品がいちばんいいんだよ」「動画が480秒も撮れるってすごいよ」とほめてくれたので、いい買い物だったのかなと思っている。■うれしがって手当たり次第撮っているが、4日のキンダ−の写真を撮り損なった。それに間に合うようにと金曜日に買いに行ったというのに。子ども用のちっちゃい椅子、集まったたくさんの子どもたち、元気よく挙がる「しつもん!」の手。熱のせいで、頭がぼーっとしていて、鞄にデジカメを入れてあるのを忘れていた。あーあ、宝の持ちぐされ。■写真は、わが家のトイレの窓辺。コカ・コーラのにょろ首ボトルは、函館の映画祭に行ったとき、木下ほうかさんと挑戦したガラス工芸体験で作ったもの。首のくねり具合がお気に入り。

1999年08月09日(月)  カンヌレポート最終ページ


2002年08月08日(木)  War Game(ウォー・ゲーム)

■キンダー・フィルム・フェスティバルの海外ゲスト、イギリスから来日しているデイブ・アンウィン監督にパコダテ人を売り込むため、前田監督、アシスタントプロデューサーの石田さんとともに、こどもの城へ。監督夫妻の歓迎パーティー会場から移動するところをエレベーターホールでつかまえ、字幕つきビデオと英語資料を手渡す。チラシのイラストを見て「Is this what the film look like?(作品はこんな絵なの?)」とアンウィン監督。キンダー事務局の倉田さんが「No.It's live action(実写です)」と答えてくれる。石田さんに「製作資金を集めるのは大変だった?」と尋ねた監督は「どの国でも苦労は同じだな」と笑っていた。奥様のカトリーヌさんは、テレビを中心に活躍しているアニメのプロデューサー。■ちょうどこれから監督の『ウォー・ゲーム』を上映するというので、見せていただく。声優さんが映像に合わせてライブで台詞を吹き替える「オーバーボイス上映」。はじめて体験したが、不自然さはまるでなく、臨場感と会場との一体感が生まれ、作品の世界に引き込まれた。第一次世界大戦のさなかのクリスマスの日、敵対していたイギリス兵とドイツ兵がサッカーを楽しんだという実話が基だが、原作を書いた作者の叔父の体験談らしい。銃をボールに替えただけで、傷つけあいは相互理解に変わるのだと気づかされる。「イギリス人(ドイツ人)って、いいヤツだな」と心を許したのも束の間、サッカーなど幻だったかのように、兵士たちは再び戦争というゲームへ引き戻される……。今日もまた子どもたちから目を見張る意見や質問が次々と飛び出した。「敵味方関係なくサッカーをしているところがよかった」(彼らは憎しみあっていたわけでもないのに、戦争のせいで殺し合わなくてはならなかったんだよ、と監督)、「太陽がサッカーボールに見えたのがよかった」(あれは、死ぬ間際に兵士が見た希望の光なんだよ、と監督)、「戦争はあの後終わったんですか?」(あれから4年も続いたが、彼らがサッカーをすることは二度となかった、と監督)などなど。「ケイト・ウィンスレット(タイタニックのローズ役)の名前がクレジットにありましたが…」と大人からも質問。「彼女のような大物がこういう仕事を引き受けること稀だが、たまたま同じ製作会社の大作に出ていた縁で破格で出演してもらった」とのこと。作品と人との出会いは不思議。

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