2002年07月10日(水)  『朝2時起きで、なんでもできる!』(枝廣淳子)

■台風の中、出版社に勤める知人と飲む。去年の秋に知り合い、「ぜひ一緒に飲みましょう!」と言っているうちに今夜になった。帰り際、「今売れているんですよ」と渡された本が『朝2時起きで、なんでもできる!』。著者の枝廣淳子さんは、同時通訳にして環境ジャーナリスト、さらに主婦と母親の顔も持つ。お子さんと一緒に夜8時に寝て朝2時に起き、家族が起き出すまでに通訳の準備をしたり、メールを書いたりする生活を送っていて、このノンフィクションも「朝飯前」に書いてしまった。■帰宅し、読みだしたら、止まらなくなった。シナリオの仕事をするようになって、気づいたこと、悟ったことがたくさんあるが、わたしの頭の中でふにゃふにゃしていた気づきや悟りを、この本は実に的確な表現で言い当てている。「いやな気持ちには賞味期限をつける」「脚がたくさんある椅子は倒れにくい」(仕事も人間関係も分散投資を)「目的が北極星のように煌々と輝いているとき、目的は引力をもち、その方向に引き寄せてくれる」などなど、挙げだしたらキリがない。引用されていた「ゲシュタルトの祈り」(フレデリック・パールス)の「あなたはあなた、わたしはわたし。だけど、もしわたしたちが互いを必要としているなら、それは素晴らしいことだね。しかし、もしそうじゃなければ、それはそれでしかたがないこと」というくだりに来て、わたしの膝打ちは最高潮となった。イライラやギスギスの多くは「自分の期待と相手の反応(あるいはその逆)のギャップ」が原因、ということに気づいたのは最近なのだが、それでずいぶん気が楽になった。「引き算より足し算のほうが幸せになれる」という枝廣さんの言葉は、そのまま「人生」のキャッチコピーにしたい。『朝2時起き〜』は、「上手な時間の使い方」の本であると同時に「上手な気持ちの使い方」の本でもある。読み終えると、時計は午前2時過ぎ。枝廣さんが起き出してくる時間だ。せめて彼女を見習って6時間睡眠にしよう、8時に起きれば家を出るまでの1時間の間にシナリオを1本読むか、プロットを1本書くか、できるじゃないか。そう誓ったのに、目が覚めると、9時を回っていた。すっかり魔法がかかった気になっていたけど、生活パターンを変える効き目まではないらしい。ま、いっか。わたしはわたし。

2000年07月10日(月)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2002年07月09日(火)  マジェスティック

■ついに『マジェスティック』を観た。有楽町マリオンの9階で左右に並ぶ丸の内ピカデリー1と2では、今わたしの中で「見たい映画ナンバー1」を競っている『マジェスティック』と『I am Sam』が究極の選択を迫ってきたが、前者を選んだ。あらすじをよく調べずに観たので、主人公が「デビューしたての映画脚本家」と知ってうれしくなる。おかげで思いっきり主人公に感情移入して観ることができた。「わたしが同じ立場に遭ったら、パコダテ人を観て記憶を取り戻すのかなあ」と考えたりして、人と全然違うところで涙ぐんだりした。感心したのは、ストーリー展開。「赤狩りで自由を奪われた男」と「自由の国のために戦死した英雄」の対比がうまい。思想・言論の自由を守るという説教くさくなりそうな題材を涙で包んでしまう持って行き方。それで彼女は、試験にうかったばかりの弁護士だったのね、なるほど。やっぱり、シナリオは人物の置き方が大事だなあ。いちばん泣けたのは、ルークが戦地から恋人アデルにあてた手紙の「もしもそよ風が君の頬を撫でたら、僕だと思って欲しい」という一節。この手紙でぐっと心をつかまれたので、クライマックスの証言シーンも心に響いた。フランク・ダラボン監督は、『ショーシャンクの空に』がデビュー作で、『クリーンマイル』『マジェスティック』で3作目。人間讃歌の作品を着実に紡いでいる。■MAJESTICと聞くと、カンヌ広告祭のときに飲み明かしたホテルの名前を思い出してしまう。とても高いホテルなので、ペーペーの若者たちは、そこで飲むことはできても泊まることはできなかった。気持ちのいいテラス席で「広告とは」「今日見た中のベストは」などと熱く語り、安宿の「路地裏ビュー」(「オーシャンビュー」に対抗して、若者達がつけた)の部屋に帰っていくのだった。


2002年07月07日(日)  昭和七十七年七月七日

■ロマンチックなものが好きなので、もちろん七夕が好きだ。短冊に願いごとを書いたりはしなくなったけれど、「無事二人が天の川を渡って会えますように」と星空を見上げる気持ちが好きだったりする。一年に一度しか逢えない、雲の上の遠距離恋愛。織姫と彦星の世界には、いつまで経っても携帯電話やメールのような便利なものはなくて、時間と距離を埋めるのは、気持ちしかない。二人は、痛いぐらい純粋な恋をしている。■友人のよっちゃんが去年の今頃『七夕のひみつ』というメールをくれた。いい話だったので、ファイルに保存しておいたら、今年も同じメールをくれた。「仮説実験授業研究会の藤森さんが発行していたミニコミ『たのたの』に載っていた」というその話は、「彦星も織り姫星も恒星だから位置は変わらず、この時期だけ近寄るってことはないはずなのに、何でこの時期に会うって伝説ができたんでしょうか?」という謎にはじまり、「もともと七夕は旧暦の7月7日の行事です。旧暦ということは太陰暦ですから、日にちと月の満ち欠けは一致しています。すなわち、7月7日は月齢7、『上弦の月』の日です。七夕の夜には、上弦の月がちょうど天の川あたりに位置するのです」と謎が解かれていく。なんと、昔の人は、この上弦の月を『船』に見立てたというのだ。「月の船に乗って、彦星と織り姫星は天の川を渡って会うわけです。昔の人って、結構ロマンチストですね!七夕の夜が晴れればいいな、と思います」と結ばれたこの話を書かれたのは藤森氏本人なのか、研究会関係者の寄稿なのか。こんなところに目をつける人は、昔の人以上にロマンチストだ。■はじめてシナリオで賞を取った作品は『昭和七十三年七月三日』。昭和七十三年は平成十年でとっくに終わってしまったので、『昭和七十七年七月七日』にリメイクして、今年の七夕に放送できたらと企んでいたが、その日も終わってしまった。初恋の二人が三十年ぶりに函館で再会する話なので、内容的には七夕にぴったりなんだけど。■織姫と彦星が天上で再会している頃、わたしとダンナは今夜から始まった『太陽の季節』を見ていた。昼間に予告を見て、「ワルなタッキーを見なきゃ!」とすっかりその気に。つきあわされて見ていたダンナが途中から身を乗り出し、「僕もワルになってみようかな」と研究していたのが、笑えた。

2000年07月07日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2002年07月06日(土)  とんかつ茶漬け

■午後から休日出社。上のフロアが工事中なのでガガガガガとすごい音がする。■今日のハイライトは、ずずや)のとんかつ茶漬け。パコダテ人のクランクイン前に、プロデューサーの三木さんと前田監督に教えてもらった味で、ひさしぶりに無性に食べたくなったら、もう足が新宿へ向かっていた。偶然にも、前に来たときと同じテーブルだった。「あの話はまだオフレコやんか!」と言う三木さんに「そういうあんたの声がデカい!」と突っ込んだなあと思い出す。あれからもうすぐ一年になる。あの日は、妙にテンションが高くて、じっくり味わえなかったが、今日あらためて、とんかつ茶漬けのただならぬおいしさに気づいた。とんかつがウマい。キャベツがウマい。テーブルに置いてあるイラストつき解説によると、もともとまかない飯だったのが口コミで広まり、名物になったらしい。行列のできる店になっても研究を怠らない姿勢に好感。

2000年07月06日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/29)


2002年07月04日(木)  わたしがオバサンになった日

学生時代、森高千里の『わたしがオバサンになっても』がカラオケの十八番だった。社会人になってからも、しばらくは歌っていたが、もう何年も歌っていない。「オバサンになっても」という仮定形を堂々と歌うには、微妙な年頃になってしまった。「もうオバサンやん」「まだまだイケるよ」と意見の分かれる(!?)ところだが、否応なしに、今日、事実上のオバサンになった。大阪の妹が男の子(あれ、女の子だっけな)を産んだのだ。でも、たぶんわたしは「オバチャン」とは呼ばせず、意地でも「雅子姉ちゃん」を押し通すのだろう。わたしが小さい頃、親戚にオバチャンがなぜか一人もいなかったように。

今日のお茶うけは、キャンティの焼き菓子。キャンティは、1960年開業の有名レストラン。昔担当していた得意先の近くに本店があり、何度も通りがかっていたのに、こんな綴りだとは知らなかった。「シャンティ」と読んでしまった。

2000年07月04日(火)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2002年06月30日(日)  FM COCOLOで『パコダテ人』宣伝

FM COCOLOという放送局があるのを知ったとき、なんてかわいい名前だろう!と思った。7年前、大阪に生まれたコミュニティFMだそうで、15か国語の番組があるインターナショナルFMでもある。その日曜日夕方に放送している『港のシネマ館』に出演してきた。パーソナリティーのいとう真弓さんが友人とんちゃんの妹まーちゃんの同級生という縁で、パコ追っかけの旅で帰省がてら作品の宣伝をさせてもらえることになったのだ。

スタジオは、南港のトレードセンター前という駅に直結したワールドトレードセンタービルの中にあるのだが、超方向音痴なので、約束の1時間前に着く余裕を持って向かったら、案の定迷った。駅からビルに着けない!汗だく、喉カラカラで到着した。いとうさんと初対面の挨拶もそこそこに、いきなり生出演。『真弓の部屋』というコーナーらしい。冒頭にパコダテ人の抜き素材をけっこう贅沢に流してくれる。ヘッドフォンから音声だけではじめて味わってみると、鳥の声に気づいたりして面白い。「この作品はどうやって思いついたんですか」「監督との出会いは?」「お父さん役は引越しのサカイの人ですよね」と、いとうさんが投げかけてくれた質問に夢中で答えているうちに、予定の15分を過ぎてしまった。聴いた人が一人でも興味を持ってくれたらいいのだけど。

パコダテ人追っかけにラジオ出演のオマケがつき、同級生との再会や、少し早い父の還暦祝いもでき、有意義な大阪滞在だった。「親孝行 やってもやっても 親くたばらん」と冗談を言いながら息子に肩もみしてもらっている元気なオバチャンを見たりすると、ああ大阪やなあと嬉しくなったし、東京にはないヘンテコな服たちも刺激的だった。時間がなくて、今回唯一の買い物は、450円のトートバッグ。安すぎる。

2001年06月30日(土)  2001年6月のおきらくレシピ
2000年06月30日(金)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2002年06月29日(土)  パコダテ人大阪初日

■『パコダテ人』大阪公開にかこつけて、ひさしぶりに帰省。新幹線に乗るのも、ひさしぶり。静岡と浜松の間、たんぼの真ん中に恐竜が2頭。「交通安全」の看板と共に立っている。いきなりで、おかしい。2時間ドラマの企画を考えているうちに寝てしまう。■新大阪から御堂筋線で難波へ。強烈なファッションの女の子3人、男の子3人が乗り込んでくる。女の子は白Tシャツのヘソ出し、デニムのミニ、網タイツ、白スニーカー、輪っかピアス、頭にはバンダナをねじり巻き。男の子はアメリカのNFLチームのユニフォームとキャップ、なぜかキャップの中に手ぬぐいみたいなのを挟んでて、アラビアン風。はじめて見るコーディネイトだったのでド肝を抜かれた。■迷い迷って千日前弥生座着。今日のあおいちゃんの服はキナリ(どんな字だっけ)のワンピース。裾に色とりどりのお花が咲いていて、かなりラブリー。「今まで見た中で、いちばん色あるねー」と言ってしまう。座席数が多いので満員とはいかなかったけど、「よう入ってるやん」と三木プロデューサーと読売テレビの新谷さん。■動物園前シネフェスタは満席。椅子を出しても座りきれず、立ち見の人も10名ほど。控え室に『風の絨毯』さくら役の柳生美結ちゃんがお母さん、お姉ちゃんと一緒に遊びにきていた。美結ちゃんはあおいちゃんの大ファンだそうで、舞台挨拶を見る目もキラキラ。次の映画のロケハンで大阪に来ている制作進行のタージンとも再会。1泊2100円のとこに泊まっているそう。■「御堂筋線は、あおいちゃんだらけ!」と聞いて、動物園前の駅へ。ベンチ広告は、緑水一色。アメリカ村に移動して、甲賀流のタコ焼きを食べ、美結ちゃんおすすめの『タコせん』にも初挑戦。アメ村はあいかわらず元気だった。■上映終了ぎりぎりにシネフェスタに戻り、岡山のTOMさん、テフロンさんに再会。友人たちと父親が出てきて、「おもろかったでー」と言ってくれる。御堂筋線終点のなかもず近くにあるCook Pitで終電ぎりぎりまで飲む。小学校の幼なじみ、中学校のクラスメート、高校の体操部仲間とバラバラの時代の友人たちだが、初対面とは思えない盛り上がりとなった。体操部で一緒だった美保が劇場で買ってきたポスターとパンフレットを店に置いてもらった。美保とお店に感謝。

2000年06月29日(木)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)


2002年06月28日(金)  シンデレラが出会った魔女の靴

週末、『パコダテ人』追っかけの旅に出られることになったので、渋谷の大黒屋へ飛んで行き、新幹線のチケットを買う。「金曜日の西武は9時までやってる!」と思い出し、その足でLOFTへ行くと、TODD OLDHAMを発見。ここの服は好きなのに、表参道のビブレにあった大きいお店がなくなって(ビブレもなくなった)、どこで買えるんだろうと思ってたら、こんなとこにあった。黒いパフスリーブのシャツがセールになっていたので買う。裾が長めで、腰の辺りを紐で絞れるのがポイント。

続いて、靴を求めて、西武地下へ。フロア全体が靴売場になっていて、壮観。その中を「わたしに合う一足」を求めて、女性達が彷徨っている。ボヘミアンシンデレラ状態。20分近く歩き回って、かがんだり起き上がったりしていたら、頭がくらくらしてきて、アウシュビッツで見た光景を思い出してしまう。くじらの水槽のような大きなガラスケースに詰められた靴や義足のこと。革の匂いに酔ったのか、熱気にむせたのか。モノがたくさんありすぎて、怖くなったのか。

気を取り直し、「間もなく閉店いたします」のアナウンスにもひるまず、試し履きを繰り返す。ANNA SUIの淡いオレンジの地のバレエシューズに一目惚れ。甲の部分に赤い色鉛筆のタッチで女の子の顔のイラスト。でも、ちょっとキツい。他の靴も、なかなかサイズが合わない。サイズは小さいくせに幅が広い、困った足だ。閉店アナウンスに急かされ、人がどんどんいなくなる。

今日はここまでか、と思ったそのとき、目の前に真っ赤な靴があった。「魔女の靴!」が第一印象。足を滑らせてみると、吸いつくように、ぴったり。歩いてみると、軽い軽い。諦めずに探し回った甲斐があった。シンデレラではなく魔女を待っていた赤い靴、お買い上げ。


2002年06月27日(木)  泉北コミュニティ

■「泉北コミュニティに載った」といえば、わたしの地元、堺市の泉北ニュータウン界隈では、ちょっとしたニュースだった。今でもそうかもしれないが、とにかくパワーのある地域情報紙(無料)で、「うちの学校」やら「近所のおばちゃん」やら「行きつけの店」やら「知り合いの知り合い」やらがポコポコ出てくるので、目が離せないのである。そのコミュニティの6/27号に、東京に居ながら載ってしまった。もともとはわたしから「今度パコダテ人という映画が大阪公開されます。ぜひ取材してください」という売り込みメールを送ったのだが、何の反応もないまま数週間が過ぎた。ところが、高校の同窓会事務局にも売り込みのメールを送ったところ、同窓会のホームページ担当者がコミュニティの編集部の方だということがわかり、記事にできないかプッシュしてくださったらしい。掲載紙が送られてきた。高校を卒業してから泉北を離れているので、街の様子はずいぶん変わっている。ついていける話と入り込めない話。住人もずいぶん入れ代わっているのかもしれない。肝心のパコダテ人の記事の部分は、映画の宣伝というより、わたしの宣伝になってしまっているが、懐かしい人たちの目に触れて、連絡が来たら面白いなと思う。


2002年06月25日(火)  ギュッ(hug)ギュッ(Snuggle)

チェーンメール大好きなアメリカの母からSnuggleという題のカードが画像で送られてきた。くまのぬいぐるみをだっこ(snuggle)しているニャンコの愛らしい写真とメッセージ。「あなたを気にかけている人からのギュッ!です。お友達に送って、あなたのことを気にかけているよって教えてあげましょう。もちろん、最初にギュッしてくれた人にも」という見出しは、いつも通りチェーンメールだけど、内容がかわいらしいのでご紹介。

snuggleやらhugやら、アメリカ人はギュッ!が好きだ。留学したとき、ほんとに一日中会う人ごとにhugするので、びっくりしたけど、この「ギュッ!」は一瞬で電撃的に"I care for you"を伝えてくれるし、言葉よりもずっと強くて確実なコミュニケーションだと思う。アメリカの母もたくさんhugしてくれたが、大阪の母にもたくさんだっこされた。その体温や鼓動の記憶は、体の一部にちゃんと残っていて、思い返すたび、自信や安らぎをくれる。Snuggleのメッセージに登場する単語たち(安らぎや笑顔や虹や…)は、Snuggleそのものが運んでくれるプレゼントと言えるかも。

「抱きしめる」という言葉が好きで、広告の仕事でも「幸せを抱きしめる香り」とか「奇跡を抱きしめる夜」とかコピーにもやたら使ってしまう。大切なものを、手でギュッとつかまえる、あの気持ちが好きなんだろな。

Snuggle ギュッ

"I wish for you..." 
どうかあなたに
Comfort on difficult days, 
うまく行かない日には慰めを
Smiles when sadness intrudes, 
悲しみに襲われた日には微笑みを
Rainbows to follow the clouds, 
曇り空の後には虹を
Laughter to kiss your lips, 
唇には笑い声の祝福を
Sunsets to warm your heart, 
心をあたためてくれる夕陽を
Gentle hugs when spirits sag, 
気持ちが沈んだときにはやさしい抱擁を
Friendships to brighten your being, 
あなたの存在を輝かせる友情を
Beauty for your eyes to see, 
目に映る美しいものを
Confidence for when you doubt, 
おぼつかなくなったときには自信を
Faith so that you can believe, 
信じられる誠実さを
Courage to know youeself, 
自分自身を知る勇気を
Patience to accept the truth, 
真実を受け入れる忍耐強さを
And love to complete your life. 
そして、人生を生き抜く愛を。

作者不詳 訳:今井雅子

2000年06月25日(日)  10年後に掘り出したスケジュール帳より(2010/11/28)

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