2002年03月09日(土)  映画『カンダハール』

■今日は一人だ。何をしよう。映画を観よう。何にしよう。新聞の映画情報欄とにらめっこ。『アメリ』がいっぱいと思ったら『アメリカン・スウィートハート』が混じっていた。アメリはタイミングが合わず、予告を見て気になっていた『カンダハール』(監督・脚本・編集 モフセン・マフマルバフ)を選ぶ。それにしても東京で上映されている映画の数と言ったら!■新宿武蔵野館で単館上映。早めに着いて新宿で買い物する。大阪で一目惚れしたファッションブランド『EL RODEO』がルミネに入っていたはず。「そっちからDM送らせますわー」と大阪の店の姉ちゃんは調子いいこと言ってたが、いまだに来ないので、探し当てて乗り込む。こちらの店員さんもノリノリで、「お姉さんが入ってきた瞬間から、おすすめしたい服がぱーっと浮かんだんよ!」と大阪弁で次々と勧めてくれる。襟と袖に毛糸のフリルのついた長袖Tシャツと裾がカギ裂きになった黒いパンツをお買い上げ。パコダテ人のチラシを渡すと、レジの後ろの壁にバンッと貼ってくれ、「映画好きなんですよ。うちの兄貴もむっちゃ好きでねー。今日はお姉さんに会えてよかったわー。また来てねー」。大阪弁の買い物は気持ちいい。■新宿武蔵野館に入るのは初めて。入場券売場で「学生さんですか?」と言われる。観る目あるのかないんだか。作品のセレクションはなかなかよく、『少年と砂漠のカフェ』『鬼が来た』などそそられる予告編がいくつかあった。さて本編。カナダ在住のアフガン人ジャーナリストが、命の危険を冒してカンダハールをめざす。地雷に両足を取られてアフガニスタンに置き去りにされ、自殺を思いつめる妹に、生きる希望を届けるために。救いのないラストはいただけないが、アフガンに生きる厳しさの一端を垣間見れたようで見ごたえがあった。とくに強烈だったのは「地雷」という現実。道に落ちた人形には地雷が埋め込まれているから触ってはいけないと指導される子どもたち。地雷で手や足を吹き飛ばされた人々。その生々しい傷口。数が間に合わず、サイズも合わない義足。落下傘で降りてくる義足に向かって先を争う松葉杖の集団。海外の公共広告で「LANDMINE」撲滅を訴えるメッセージをよく見かけるが、地球のあちこちにこんな恐ろしいものがまだいくつも埋まっているなんて、とんでもないことだ。劇場を出て、新宿の雑踏を歩く。踏んづけて困るのはガムぐらいだ。平和だ。同じ星に生まれてきて、この差は何なのか。


2002年03月08日(金)  言葉の探偵、『天国の特別な子ども』を見つける。

友達の男の子から頼まれた「詩の捜索」をメールでもやってみる。「ある詩を探しているんだけど、心当たりある人いますか。10年くらい前、朝の番組で紹介(たぶんテレ朝)。障害をもった子供の親たちの会の会報に掲載されたらしい。作者はイギリス人でフツーの女性。天国?で天使たちが、生まれてきたある子供の行き先について話し合うという内容です」と送ったところ、「テレ朝には聞いた?」とミナちゃんから。「友達が心の中で大切にしまっていた詩だから、人の記憶をたどって探したい」と返信すると、「『クイックレスポンスが一番大事』って思っちゃって、こころの余裕がなくなってる自分に気が付いたよ」と返事。続いてNちゃんから「ダウン症って別名:エンジェル病って言うんだよね。ダウン症の子供って、とっても心が綺麗で天使の様ってところからついてるらしいけど。そのあたりから探すと分かるのかな?」とアドバイス。「お母さんから子どもの頃によく似た話を聞いた」という情報も。そしてMちゃんから「Edena Massimilla(エドナ・マシミラ)の『Heaven's Very Special Child(天国の特別な子ども)』じゃない?Edenaは米ペンシルバニア州にあるマクガイア・ホーム(障害児療育施設)のシスターのはず。この詩は日本の障害をもつ子の両親へのメッセージらしいけど」と原詩と訳詩(大江裕子訳 『先天異常の医学』木田盈四郎著 中公新書より)が送られてくる。これから生まれる命の行き先を話し合う天使たちが天の神様に向かって「この子は特別の赤ちゃんで、たくさんの愛情が必要」だから「この子の生涯がしあわせなものとなるように この子のためにすばらしい両親をさがしてあげて下さい」と訴える。読んでみて、きっとこれだと思った。依頼人にメールを転送すると「ビンゴ!」。この詩を届けたい人がいるらしい。お騒がせした友人たちも「いい詩だね」「わたしもこころが豊かになったよ」「言葉って難しいけど感動もさせれるから凄いよねぇ」と言ってくれる。こうして『言葉の探偵』の初捜索は無事終了。

HEAVEN'S VERY SPECIAL CHILD

A meeting was held quite far from Earth!
It's time again for another birth.
Said the Angels to the LORD above,
This Special Child will need much love.

His progress may be very slow,
Accomplishments he may not show.
And he'll require extra care
From the folks he meets down there.

He may not run or laugh or play,
His thoughts may seem quite far away,
In many ways he won't adapt,
And he'll be known as handicapped.

So let's be careful where he's sent,
We want his life to be content.
Please LORD, find the parents who
Will do a special job for you.

They will not realize right away
The leading role they're asked to play,
But with this child sent from above
Comes stronger faith and richer love.

And soon they'll know the privilege given
In caring for their gift from Heaven.
Their precious charge, so meek and mild,
Is HEAVEN'S VERY SPECIAL CHILD.

天国の特別な子ども

地球からはるか離れたところで話し合いが開かれました。
また新たな命が生まれます。
天上の神に向かって、天使たちは言いました。
この特別な子どもには、たくさんの愛が必要です。

この子の成長はとてもゆっくりかもしれません。
成果は目に見えないかもしれません。
だから、地上で出会う人々に
人一倍目をかけてもらわなくてはなりません。

この子は、走ったり笑ったり遊んだりしないかもしれません。
この子の考えていることは、わかってもらえないかもしれません。
何をやってもつまずき、
障害児として認められることになります。

ですから、この子の行き先は慎重に選ばなくてはなりません。
幸せな人生を送れるように。
ですから神様、あなたのために
特別な任務を果たせる両親を探しましょう。

両親はすぐには気づかないかもしれません。
自分たちに求められている特別な役割に。
けれども天から遣わされた彼らの子によって
二人の信仰は強まり、愛は深まるでしょう。

やがて両親は悟るでしょう。
天国から贈られたこの子を育てることは
神様の思し召しなのだと。
優しく穏やかな、彼らの尊い授かりものこそ
天国の特別な子どもなのだと。

By Edna Massionilla
December 1981
The Optomist- newsletter for PROUD
Parents Regional Outreach for Understanding Down's Inc.
訳:今井雅子


2002年03月07日(木)  誤植自慢大会

会社の仕事では企業の広告を書いているが、先日ヒヤッとする出来事があった。「1,000円」と打つべきコンマがピリオドになっていて「1.000円」と1000分の1にデノミされていたのだ。恐ろしい価格暴落!初校(印刷屋さんから最初に上がってくるチェック用の刷り原稿)段階で気づいたからよかったものの、見落としたまま雑誌に掲載されていたら、首が飛ぶところだった。1000円だったら欲しくても買わない物でも、1円だったら要らなくても買ってしまうのである。誤植はコピーライターの命取りだと常々脅されているが、慣れは油断を生む。たまにこういう緊張が走ると、しばらくは血眼で校正するようになる。

コピーライターが集まると「今までにやった、いちばんすごい誤植自慢」話になる。「活き活きキングほっき貝」の「ほ」に濁点をつけたまま世に出してしまったE氏が、わたしの知る最強の誤植王。彼を超える失敗はまだ聞かない。「植」は「写植」の植。誤植は文字の植え間違い。この頃はコンピュータで作ったデータをそのまま印刷に回すので、写植を使うこともめっきり減った。

文字を見たら校正してしまうクセがついているので、人よりも誤植が目についてしまう。職業病だ。函館港イルミナシオン映画祭から送っていただいた前回のシナリオコンクールの入賞作品集を一気に読んだが、「てにをは」や漢字の間違いがあまりに目についたのが惜しまれた。せっかく作品の世界に入り込んでいるのに、誤植のたびに立ち止まり、現実に引き戻されてしまう。校正したのに作者が見落としたのだとしたら、もっと自分の言葉に責任を持つべきだし、出版する側も気をつけてあげて欲しい。かく言うわたしも、ちょくちょく誤植をやらかし、気づいては訂正している。


2002年03月06日(水)  家族

■ひとりで食事をするのが苦手なので、仕事が早く終わってしまった日は、ダンナの実家に行くことが多い。「おかえり」とダンナの両親に迎えられ、一緒に晩ごはんを食べる。「お嫁さんが一人で来るの?って珍しがられるわよ」と言うお義母さんは、うれしそうだ(多分)。パコダテ人のチラシを特製プレスリリースとともにせっせと知人に送ってくれているお義父さんは、嫁がかわいくてしょうがない(恐らく)。円満のコツは、「相手に好かれていると自惚れること」かもしれない。もうひとつは、「思っていることは遠慮なく言うこと」。わたしが美容院の兄ちゃんの気まぐれで金髪にされたとき、「あら失敗?」と正面から突っ込んできたのは義母だけだった。わたしも気がねなくダンナが酔ったときの醜態や料理の失敗談を披露し、笑い飛ばしてもらう。ダンナの無断外泊に怒り狂ったとき、「うちに家出する?」と言われたのには笑った。実家に帰るならともかく、ダンナの家に帰らせていただくなんて、聞いたことない。■嫁というより娘(この年で図々しいが)になれたのは、高校時代の留学経験が役立っているとも思う。写真でしか会ったことのないアメリカ人一家にいきなり送りこまれ、家族として過ごした一年。アメリカ人とだって家族になれるんだから、好きな人の両親やきょうだいと家族になれないわけがない。


2002年03月05日(火)  情熱

■秘書のKちゃんと会社近くのアジアン・ヨーロピアンダイニング『STYLO(スタイロ)』でランチ。このお店の人気メニューはトマト風味のイタリアン石焼ビビンバ。すぐに売りきれてしまうのだが、今日もまた「ついさっきまであったんですけど」と言われてガックリ。そこに隣のテーブルについた外人さんの男性二人組が「ビビンバ!」と注文。ないと告げられた途端、男の一人が"Oh,no"と身もだえして、全身で不満を表現し、相棒の男に「Sorry.俺が誘っておきながら、なんてザマだ」と頭をかきむしって悔しがった。「That's OK.他のものを注文しようよ」と相棒がなだめても、「It's my fault.すべて俺が悪いんだ。俺のせいだ」と頭を抱える。「お前は悪くないよ」「いいや、俺は悪者にされたっていいんだ。だけど君はわざわざこの店までビビンバを食べに来たというのに……」と延々とやっていて、わたしとKちゃんは「ビビンバ一杯でこんなドラマチックな展開になるとは」と顔を見合わせつつ、「この剣幕に気おされて、ビビンバが出てきたら、今度はわたしたちが暴れよう」と話した。結局、男二人はカレーを食べることで落ちついたようだ。向かい合って座っている相棒君に「ねえ、こっちに来ない?」と自分の右横の席を指差す、かきむしり君。ビビンバにかける情熱の正体は、こういうことだったのか。


2002年03月04日(月)  感想

■実弟でも義弟でもない弟君から「ネット上で『彼女たちの獣医学入門』の感想を見つけた」とメール。家に帰ると、母からも「見た人たちからの感想を送ります」と葉書や封書のコピーが届いた。いい感想にしろ悪い感想にしろ、「見て思ったことを書く」という行為を取らせること自体が「作品が人を動かした」ことになる。「見ました」という一言だけでもありがたい。■函館のラッキーピエロからは「アンケートをホームページに掲載させていただきました」と葉書が来る。映画祭のときに人見店で書いたもの。思いっきり年齢が出ているんだけど、まあいっか。


2002年03月03日(日)  文京区のスポーツクラブ

肥満と花粉症を運動不足のせいにしているダンナが「スポーツクラブ!」とうるさいので、インターネットで調べてみると、わたしの住む地域には二つあることがわかった。ひとつは月額15000円。もうひとつは月額2500円。なんだこの落差はと思ったら、後者は区の運営だった。1回ごとに利用料を払う場合は、たったの520円。「別途ロッカー代が10円かかります」と言われ、安さに腰を抜かしそうになる。「会員制で、講習を受けるのが条件」とのことで、善は急げと夫婦の休みがそろった今日、講習会に参加する。

行って驚いたのは、施設の新しさと設備の充実度。エアロバイクもランニングマシンも物々しい筋トレマシンも何だって揃っている。全身マッサージ機まである。講習は2時間。マシンの説明が1時間、残り1時間で実際に使って慣れる。ランニングマシンで5分ほど走っただけで汗が噴き出す。走るのなんて、通勤の階段ぐらいだから、地面を蹴る感覚すら快感。ダンナもうれしそうに筋トレマシンはしごをし、「ワンセットこなすだけで効くぞ」と早くも効果を実感している。ついでに、家からは歩いて往復1時間ぐらいの距離なので、行き帰りもいい運動になる。「これで税金の元を取るぞ!」「週末は早起きするぞ!」と張りきっているが、飽きっぽい二人なので、いつまで持つやら。


2002年03月02日(土)  手づくり

■友人たちに紹介された映画評論家や映画ライターの方に、パコダテ人マスコミ試写の案内を出す。年に何十通という試写状を受け取る方々だから、その一つに紛れてしまう恐れがある。少しでも心に留めてもらいたい。自己紹介も兼ねて、作品の生い立ちを紹介する。紙切れでしかなかったシナリオが前田監督に見出され、プロデューサーを巻きこみ、映画化にこぎつけ、多くの人の情熱に支えられて、予算やスケジュールの制約を感じさせない作品に仕上がったこと。大人も子どもも笑って泣けるファミリーエンターテイメントであることなど、作品に込めた思いを手紙に託す。ひさしぶりのペンだこの痛み。封筒に「パコダテ人試写の案内」とピンクのペンで大きく書き、色紙を切り抜いてしっぽを張りつけ、「ハッピーが生えてきた」とキャッチコピーをつける。切手は、ちょうどいいのがあった。シッポをピンと立てた犬の変形シール切手。わたしのことなど知らない方々に、作品の持つ手づくりのあたたかさが伝われば、いいなと思う。


2002年03月01日(金)  『たまねぎや』と『サムラート』

■昨晩、大学時代のクラスメートI君行きつけの『たまねぎや』というお店で飲んだ。自称「神楽坂のおしゃれでない一杯飲み屋」で、自慢は日本酒。『美丈夫 舞』という発泡日本酒にはじまり、『蘭者侍(らんじゃたい)』『磯自慢』『醸人 九平寺(かもしびと くへいじ)』と飲み進み、気がつくとすごい時間になっていた。最後は「漂流」をテーマに店のおやじさんと三人で盛り上がった。■いつも以上に起きるのが辛いが、朝いちばんに新製品開発のアイデア出し。変なものを思いつくまま言っていけばいいので、得意分野だ。みんなも面白がって聞いてくれるが、得意先に持っていくまでに幾つものふるいにかけられて、ほとんど消えると思われる。お菓子、ジュース、お酒……口に入れるもののアイデアを思い巡らすのは楽しい。もちろん薬は除く。■会社近くにインドカレーのサムラートが昨日オープン。先輩お姉さまたちと行ってみると長蛇の列。開店早々で慣れていないのか、インドの言葉で怒号が飛び交い、カレーも飛び交い、注文するほうまでジェスチャーが大きくなる。なんとかテイクアウトし、オフィスの一角の丸テーブルで食べる。「いやあ、どっと疲れたねえ」「片手でナン3皿どうやって運ぶんだろうと思ったら、ナンの上に皿重ねてたよねー」と戦場さながらだった店内を振り返るお姉さまたち。わたしがインドで遭った『髪の毛事件』の話をする。レストランで注文した鳥の串焼きと平行に、針金かと見まごう剛毛が横たわっていた。ボーイを呼び、「別の皿を持ってきてくれ」と言うと、真っ白な皿が恭しく運ばれてきた。「そうではない!これじゃあ食べられないから作り直してくれ」と言い直すと、串焼きが煮こみに化けて戻ってきた。話に笑ったお姉さまたちは、「でも、その店の人たちも、噂してるんじゃない?髪の毛一本で大騒ぎした変な日本人がいたって」。そうかもしれない。あんな大らかな国で、髪の毛ごときに目くじら立てるのは、場違いな気もする。本場のインドカレーを口に運びながら、ひさしぶりにインドのことを思う。


2002年02月28日(木)  ヘンな弟よっくん

6つも年下のくせに、わたしを呼び捨てにする男がいる。弟だ。義弟(こちらは大学の応援団の後輩でもあるので、礼儀正しさも気合いが入っている)ではなく実弟のほうである。9年前に高校を卒業したが、いまだに学生をやっている。長らく家族の関心事だった「いつになったら(大学に)入るんやろ」は、今は「いつになったら出るんやろ」へと移り変わっているのだが、その一方で「あの子は天才かもしらへん」と密かに思っていたりする。

弟が小学校低学年のとき、図工の授業でステンドグラスに取り組んだ彼は、「火星人しゅう撃か?」というおよそ子どもらしくない文字を切り抜き、「真面目にやれ」と先生に叱られた。そのとき「文字をアートにするとは斬新や」「ピカソも生きてるうちは評価されんかった」と両親はささやきあった。弟が高校生のとき、彼の部屋に置かれた『ソフィーの選択 読書感想カード』(出版社あてに出す葉書)には「1500円は高い」と書いてあった。かと思うと、「すごいことを発明した」と、電気ポットで煮込みカレーを作りだしたりする。天才なのかアホなのかよくわからないが、変人であることは確かだ。

その弟をひさしぶりに電話でつかまえ、「パコダテ人の宣伝して」と言うと、「どんな映画かもわからんものを無責任に人に薦められへん」。「お姉ちゃんの書いた映画がヒットしたら嬉しいやろ?」と言うと、「人の喜びを自分の喜びにする趣味はない。ごめんやけど」と謝った上で「雅子って自分が作ったものはみんなが好きになってくれると思ってない?」と核心を突いてくる。「それって変やで」と言う弟に、「そっちこそ変や。さめすぎや」と反論し、変人対決になる。

「よっくん(わたしは敬意を込めて君づけで呼ぶ)、料理にポテトチップス入れるやろ?」「オムレツにカラムーチョ入れると激ウマなんや。それより雅子、親子丼作るとき、いきなり鳥肉に唐揚げ粉つけたなあ」。それは確かに変だ。よっくんは言う。「世の中みんな雅子みたいにおめでたくないんや。こういう奴のほうが多いぐらいや」。同じ家で育って、こうも対照的に育つのは面白い。人をケチョンケチョンにけなしておいて、電話を切る直前、「たまには電話してや」とよっくん。ほんとにわけがわからない。しかし、こういうヤツこそ、とんでもないことをしでかすのではないのかとやはり期待してしまう姉である。

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