2002年02月26日(火)  数珠つなぎOB訪問

■数年前、就職活動雑誌の座談会に出席した。広告業界に興味を持つ学生二人の質問に、広告代理店社員でバリバリ働くお兄さんお姉さんが答える企画だった。そこで会った学生君から数日後、OB訪問希望のメールが届いた。なんでも「仕事の話をする今井さんがとにかく楽しそうだったので、もっと知りたくなった」のだとか。前向きで爽やかで、かわいがられる素質十分の男の子だった。わたしの会社への就職はかなわなかったが、「すごくいい会社に出会えました」と、文具会社への就職を知らせてくれた。商品開発もするので、アイデア出しを楽しみにしているとメールに書いてあった。会社名を聞くのを忘れたが、文具店に行くと、このどこかに彼が関わった商品が並んでいるのかなと思ってしまう。■去年の就職活動シーズンに、別々のルートで二人の女の子に会って欲しいと頼まれた。ちょうど忙しい時期で、同じような話をするわけだしと思い、二人一緒に会うことにした。どちらもわたしの会社とは別の会社で、広告業界で働く夢をつかんだ。一期一会がほとんどのOB訪問だが、会ったほうとしては「あの子どうなったかなあ」と気になるものだ。「就職決まりました」の報告はうれしい。そのときの女の子の一人から、しばらくして「同じゼミに御社への就職が決まった男の子がいるのですが、会っていただけますか」とメールが来た。現場の社員に一人も会わないうちに内定をもらってしまったので、職場の雰囲気などを聞きたいと言う。やってきた男の子はわたしの話を聞くと、「安心しました」と言って帰って行った。そして、今日、さきの女の子が今度は同じクラブの男の子を送りこんできた。長身で甘い物とカメラが好きな子だった。「自分がどんな仕事につきたいのか、今ひとつわかんないですよね」と言う彼に、「いろんな会社の人に会っているうちに、見つかるかもしれないよ」とか「どんな会社に入っても、必ずそこで学べることはあるよ」などと話した。OB訪問というより人生相談みたいだ。学生の頃は就職した先は一本道だと思っていたけれど、脇道にそれたり二本の道を行ったりきたり電車を乗り換えたりする可能性だってある。あの頃それを知っていたら、もっと楽だっただろうなと思う。


2002年02月25日(月)  信濃デッサン館

■昨日の夜から窪島誠一郎さんの『信濃デッサン館日記』(講談社文庫)を読んでいる。先日、義父と話していて画家の村山槐多(かいた)の名前が出たので「その人のことが書かれた本を読みました」と言うと、「窪島君のじゃないかな」と奥の部屋から持ってきたのが、この本だった。わたしが読んだもの(夭折画家たちの人生に光を当てた『わが愛する夭折画家たち 講談社現代新書』)とは別の本だったので、借りて読みだしたのだが、これが実に面白い。「火の玉のように燃え尽きた早死にの絵描きたちの燃焼力やいちずさ」に魅かれ、彼らのデッサンばかりを集めた美術館を作ろうと思い立った窪島氏は、多くの人の手あつい力添えを受け、夢を形にした。「小さな過疎地の美術館だけれども、全国でこんなに幸福なあたたかい境遇にある美術館も少なかろう」と誇り、経済の工面から生まれた連帯感とそれぞれが抱いた完成への情熱が「貧しい掘ったて小屋美術館に一流のハクをつけた」と言う。■『パコダテ人』完成までの道のりと重ね、読んでしまう。15秒CMで使い果たすような低予算であれだけの作品が仕上がったのは奇跡に近い。広告関係者は誰も信じないだろう。たくさんの人の時間や場所や物や気持ちをいただき、お借りし、お礼を言うべき人々に逆に「ありがとう」と温かい言葉をかけられる幸せな作品である。何億という予算をかけた大作の派手さはないけれど、注がれた愛の総量だったら負けないと胸を張れるし、それは観る人にも伝わるはずだと思う。だが、北海道先行公開5か所のうち4か所で予定日より早く上映が終了するとの知らせ。聞こえてくる評判に気を良くしていただけに、面食らう。わかってもらえるというのは甘えなのか、それとも時間が足りないだけなのか。信濃デッサン館日記の続きを読みながら考えてみる。


2002年02月24日(日)  PPK

■この週末の宿題は「風の絨毯シノプシス」と「ドラマの企画」。昨日頭の中で思い巡らせていたことを一気にワープロに打ちこんでいく。そこへ、一日中仕事に出ているものと思っていたダンナがひょっこり帰ってきてしまう。怪しい空想料理ならいくらでも思いつくが、冷蔵庫は空っぽである。気分転換も兼ねて、パスタ屋『こむぎこ』まで歩いて遅めのランチ。近所の人に愛されている小さなお店で、三時前という中途半端な時間にもかかわらず満席。パスタ二種類を分け合い、食後に「まだ食うか!」と呆れられつつバナナジュースに手を出す。隣のテーブルが頼んだ物が欲しくなる性格。ビアマグみたいな巨大なグラスになみなみと注がれたバナナジュースのてっぺんに、テニスボールみたいにデカいバニラアイスが乗っかっている。「ジュースを崩さずにどうやってアイスを食べようかねえ」と無邪気に格闘をはじめる。楽しい。おいしい。「これはバナナジュース王だ!」と宣言すると、「そんなに言うほど飲み比べてないくせに」とダンナは冷めている。そんなんで人生楽しいのか。■NHKのど自慢、今日は長野県佐久市から。トップバッター『春一番』を歌うお姉さん三人の背中に『P』『P』『K』の文字。会場にも『PPKの里』の横断幕。何の頭文字だろう。お姉さんたちは市役所職員で、お年寄りの健康を見守る保健関係の部署にいるらしい。「Pはパトロールか?」などと考えていたら、意表をついて「ピンピンコロリ」の略だった。ピンピン元気に長生きして、長患いしないでコロリ。こんな大胆な標語を掲げる佐久市は、高齢者の寝たきり率が全国平均の半分なんだとか。■パコダテ人のHP『パコダテ人ピロパ』に行ってみると、日曜なのに珍しくにぎわっていて、「パコダテ語を流行らせよう」などと盛り上がっている。パコパコ好調。


2002年02月23日(土)  連想ゲーム

■会社近くのデリが去年開いたレストラン『RISO』で友人たちと食事会。メンバーは、わたしの書いたものにビシッと的確な一言をくれるご意見番の元同僚アサミちゃんと公務員のダンナのトビちゃん。CMプロデューサーのヤマシタさんと、その大学時代のゼミ仲間でファッションメーカー勤務のタムラさん、フリーコピーライターのコウジモトさん。化粧品の広告を一緒に作ってた元同僚のユミちゃん。そして、うちのダンナというなんとなく接点のある8人。夕方6時半から4時間余り、よく食べてよく飲んでよくしゃべる。「ニュースステーションのビョークのインタビューは良かった」「ダンサーインザダークは感動した」「ビューティフルライフも良かった」「それを言うならライフイズビューティフルでしょ」「そういや北川江吏子が次の月9書くんだって」「キムタムとさんまでしょ」「今季のドラマ見てます?」「恋のチカラって仲畑広告が舞台なの?」「タグボートって聞いたけど」「公務員なら恋するトップレディーを見るべきですよ」「大河ドラマは?」「竜馬は出てこない?」「時代が違う!」「三谷さんの彦馬が行くは見た?」といった具合に、連想ゲーム状態で話が飛ぶ飛ぶ。レーザーで鼻を焼いてきたばかりのユミちゃんと先週からビービーいいだしたうちのダンナの花粉症コンビが鼻をかんでいる間に、スキー旅行の話から可愛いペンションの話になったかと思うと、松たかこ主演の嵐が丘の話題になる。こういう会話からわたしは刺激をもらい、ネタを拾っている。


2002年02月22日(金)  生みっぱなしじゃなくて

■『風の絨毯』プロデューサー二人と打ち合わせ。場所は赤坂の行列ができるパスタ屋。パコダテ人で親しくなった小山さんとランチの約束をしていて、「すぐ近くの店に上司がいるので、ご紹介していいですか」と言われ、一緒に食事をしたのがきっかけで、風の絨毯の話が舞い込んだ。ここから始まったんだなあと不思議な気持ち。イランでの撮影に立ち合ってきた報告を聞き、今後のスケジュールを話し合う。週末に最新のシノプシス(あらすじ)を上げることに。日本部分(飛騨高山)の撮影は三月下旬から。「わたしたちにとって作品は子どもだから、生みっぱなしじゃなくて責任持って育てないと」と話す。この作品への関わり方は、かなり変則的だと思う。脚本家というよりはブレーンといったほうがいいかも。くわしく話せる時期が来たらご報告したい。


2002年02月21日(木)  映画祭

■いったい世界にはいくつ映画祭があるのだろう。はじめて脚本が映画化され、いざ映画祭に出しましょうと調べだしたら、おそろしい数があることに気づく。日本国内だけでも何十とあり、どの国もそれぞれの映画祭をやっている。子ども向け、コメディー、ホラー、同性愛モノなど特定のジャンルをうたったものもある。ビデオプランニングでの宣伝作戦会議のあと、膨大な資料をめくりながら「どの映画祭がパコダテ人に合っているか」を検討。開催時期が合わず、出したいけれどもエントリーが間に合わないものもある。はじめての子を見せびらかしたい親の気持ちと同じく、世界中の一人でも多くの人に見てもらいたいと思ってしまうが、映画祭に出品するにはお金もかかるし、プロデューサーいわく「出しても意味のない映画祭」もあるのだとか。出すからには作品の評価を高め、買い手がつくきっかけにしたいという製作サイドの意向もあるのだろう。それにしても、どの映画祭も「招待作品は監督、プロデューサー、主演俳優の旅費・滞在費を負担します」とあり、脚本家は呼ばれないらしい。通訳として連れてってくれないかなあ。


2002年02月20日(水)  別世界

■イスファハンで撮影中の日本イラン合作映画『風の絨毯』。その撮影風景のドキュメンタリー映像を持ってプロデューサーが帰国。15分ほどにまとめ、関係者を集めて披露した。イランの映像資料はいくつも見たが、物語の登場人物が動いていると、また違った印象になる。染めた糸を干す中庭、石畳を走る馬車、噴水、モスク、バザール…。東京で会った主人公さくら役の柳生美結ちゃんも、女優の顔になっている。目の力が強く、なんとも言えない表情を見せる。「この子はいいねえ」と配給のソニーピクチャーズの皆さん方も唸る。「映画は生き物だから毎日変わると監督に言われました。前の日にリハーサルして、撮影当日にもう一度リハーサルして台詞を決め込んで、本番。いいペースです」とインタビューに答える榎木孝明さん。ヒゲと日焼けで逞しい顔になっている。脚本は日々変わっているようなので、報告映像だけではどういう展開になっているかうかがい知れないが、確実に言えるのは、日本とはまったく違った世界で日本映画とはまったく違ったテイストの作品が出来つつあるということ。タブリージー監督の思慮深そうな顔が何度か大写しになった。「いつも考えているんです」とプロデューサー。最高のシーンを撮るために全神経を集中させているのが見て取れる。監督を信じて突き進むのみ。■早く帰れたので、『ロングラブレター〜漂流教室』を見る。虎牙光揮君が出ているからと見始めたら、はまってしまった。二回に一回ぐらいしか見れないが、今日の回で虎牙君演じる人類の末裔らしき男は死に絶えていた。あたり前だと思っていた世界から突然切り離されたとき、人はどう生きるのか。


2002年02月19日(火)  償い

■読売新聞夕刊の「三軒茶屋駅 暴行死判決」の記事に「さだまさしの『償い』異例の引用」の見出し。裁判長が引き合いに出した『償い』は、雨の日に男性をはねて死亡させた若者が遺された妻に仕送りを続け、七年後にようやく「ありがとう あなたの優しい気持ちはとてもよくわかりました」と手紙を受け取る内容。歌詞とともに掲載されたさだまさし氏の談話によると、交通事故で夫を亡くした知人に聞いた実話が基になっており、「加害者を許した被害者と、被害者からそのような言葉を引き出した加害者の誠実さの両方に心を動かされました」という。■何年も心の奥で眠っていたエピソードを思い出した。親友に聞いた弟のかつのり君の話。彼が追突してしまった車の助手席に、臨月の妊婦が乗っていた。むちうちは軽症だったが、事故が原因で出産にもしものことがあってはと苦しんだかつのり君は、来る日も来る日も妊婦さんの病室を見舞った。「お医者さんも大丈夫だと言ってるから」と断られても、病院参りをやめなかった。妊婦さんは無事元気な男の子を産んだ。そして、その子に『かつのり』と名前をつけた。はじめてのお産で不安だらけの夫婦を襲った追突事故。だが、毎日病室にやってくる若者にいつの間にか情が湧いたのだろう。生まれてくる子の名前を夫婦が話し合っている場面を想像するたび、人間っていいなあと思ってしまう。あのとき生まれたかつのり君は、そろそろ小学生。名前の由来を聞かれたら、お父さんとお母さんはもう一人のかつのり君の話をするのだろうか。■交通事故と暴行死を一緒に語るのは乱暴かもしれない。だが、三軒茶屋の事件も心のブレーキが間に合わなくて引き起こした悲劇だとしたら、加害者もまた深い傷を負っている。誠意が被害者の遺族だけではなく、加害者自身の痛みを癒す薬にもなることを願う。


2002年02月18日(月)  函館ラ・サールニュース

■封書の便りを受け取ることは珍しくなったが、今日に限って三通も届いた。まず一通は函館ラ・サール高校新聞局(新聞部と呼ばないのが新鮮)の外山君から。函館の映画祭に行ったとき取材を受けたので「新聞が出来上がったら送ってね」と住所を渡しておいたのだ。御礼の手紙を添えて届けられたB4四枚分の分量の『函館ラ・サールニュース』。トップニュースは「卒業証書授与式」。二月十日とは早い。その下にセンター入試の記事。「本校の平均点は550・0(満点は800点)」とのこと。中面に「校内特集 宗教教育とは何か」「郊外特集 映画の街の灯」の二大特集。パコダテ人は函館港イルミナシオン映画祭ルポの中で「海外のコメディ映画のようなテンポのよい作品」と紹介され、「函館は、現代性がなくて時の重みがある。ファンタジーの雰囲気に合っている。函館でやらなかったら、違う話になっていた」とわたしの言葉が要約されている。函館を舞台にした映画はおよそ60本もあるらしく、「ロケ地としてこれほど恵まれた土地に住んでいる私たちであるが、普段はどれほど映画を見ているだろうか」と問題提起。手始めにパコダテ人をとまでは書いていない。他にも「他校訪問 函館遺愛女子高校」「はこだて探訪〜啄木に願いを〜」といったコラムに土地柄を感じる。昔せっせと学級新聞を書いたなあと懐かしい。■次の封書は、年末に『囲む会』を開いてくださった七十代トリオの一人、高田氏。和紙に墨でしたためた手紙と、新しい平和の形を提案する論文。総文字数は三千字を越えるだろう。戦争を体験した証人として、今の世界に言わずにはいられないことを抱えている高田氏は、今井雅子作品を「迷い人救出作戦的物語」と呼ぶ。■最初に封を開けたのは、札幌で会ったばかりの田森君から。山形の児童演劇脚本コンクール受賞作とこれからコンクールに応募するシナリオをどかんと送ってくる。送料700円。演劇脚本は「おねしょした布団をたたくと、なくした大事な物が出てくる」話。大人になるとき、過去に置いてきてしまうのは寝小便だけではないことに気づかせてくれる。


2002年02月16日(土)  パコダテ人@スガイシネプレックス

■7時起床。「一緒に朝食をとりたいので同じ時間に起こしてください」と同室の増田さんよりメモあり。起こして食堂へ。宿泊客が多いせいか昨日より品数が多い。コーヒーで目覚める。■7時半過ぎ、映画祭のバスに『ひまわり』前で拾ってもらい、パコダテ人組とともに新夕張の駅まで届けていただく。■8時20分発のスーパーとかちに乗り、9時半過ぎに札幌着。三木さんのいびきで眠りから覚める。駅の喫茶店でコーヒーを飲み、スガイシネプレックスへ。劇場前で黒岩茉由ちゃんとママが待っていてくれる。入口ではパコダテ人予告編をエンドレスで放映。「テレビでもすごく流れてますよ」と茉由ママ。控え室に入ると、札幌テレビとアートポートの方々がずらり。スーツにシッポ姿の方も。11時過ぎ、客席そで口に移動。客席の反応を直に見られなかったが、終わったときに拍手が起きたとか。どさんこワイドの中島静佳さんの司会で舞台挨拶。シッポをつけた大泉さんとあおいちゃんに続いて前田監督が登壇。「いつも同じ服着てる」と突っ込むあおいちゃんに「俺たちはスタイリストがつかないんだよ!」と切り返す大泉さん。2本のマイクを3人で取り合い、笑いの絶えない楽しいトークとなった。上映2時間前から並んだ人もいたと聞くが、たっぷり話を聞けて満足されたのでは。■はじめての北海道旅行が重なった大阪の義弟夫妻と応援団の後輩で札幌出身の吉田君が見に来てくれていた。4人でサッポロビール・ファクトリーのビアホールへ。ハスカップビールにジンギスカン、鮭の陶板焼、ジャーマンポテトと北の味覚尽くし。同じビル3階の写真ライブラリーで田森君(函館映画祭受賞の同期)が働いていたことを思い出し、会いに行く。山形の人形劇台本コンクールで受賞したとのこと。■ファクトリー隣の旧永山武四郎邸を見た後、道庁の博物館へ。キタキツネの剥製の説明書きに「寄生虫エキノコックス」とある。■風邪を北海道に置き去りにして身軽になり、東京へ戻る。■(写真は、控え室にずらり並んだ『つけシッポ』)

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