2002年02月16日(土)  パコダテ人@スガイシネプレックス

■7時起床。「一緒に朝食をとりたいので同じ時間に起こしてください」と同室の増田さんよりメモあり。起こして食堂へ。宿泊客が多いせいか昨日より品数が多い。コーヒーで目覚める。■7時半過ぎ、映画祭のバスに『ひまわり』前で拾ってもらい、パコダテ人組とともに新夕張の駅まで届けていただく。■8時20分発のスーパーとかちに乗り、9時半過ぎに札幌着。三木さんのいびきで眠りから覚める。駅の喫茶店でコーヒーを飲み、スガイシネプレックスへ。劇場前で黒岩茉由ちゃんとママが待っていてくれる。入口ではパコダテ人予告編をエンドレスで放映。「テレビでもすごく流れてますよ」と茉由ママ。控え室に入ると、札幌テレビとアートポートの方々がずらり。スーツにシッポ姿の方も。11時過ぎ、客席そで口に移動。客席の反応を直に見られなかったが、終わったときに拍手が起きたとか。どさんこワイドの中島静佳さんの司会で舞台挨拶。シッポをつけた大泉さんとあおいちゃんに続いて前田監督が登壇。「いつも同じ服着てる」と突っ込むあおいちゃんに「俺たちはスタイリストがつかないんだよ!」と切り返す大泉さん。2本のマイクを3人で取り合い、笑いの絶えない楽しいトークとなった。上映2時間前から並んだ人もいたと聞くが、たっぷり話を聞けて満足されたのでは。■はじめての北海道旅行が重なった大阪の義弟夫妻と応援団の後輩で札幌出身の吉田君が見に来てくれていた。4人でサッポロビール・ファクトリーのビアホールへ。ハスカップビールにジンギスカン、鮭の陶板焼、ジャーマンポテトと北の味覚尽くし。同じビル3階の写真ライブラリーで田森君(函館映画祭受賞の同期)が働いていたことを思い出し、会いに行く。山形の人形劇台本コンクールで受賞したとのこと。■ファクトリー隣の旧永山武四郎邸を見た後、道庁の博物館へ。キタキツネの剥製の説明書きに「寄生虫エキノコックス」とある。■風邪を北海道に置き去りにして身軽になり、東京へ戻る。■(写真は、控え室にずらり並んだ『つけシッポ』)


2002年02月15日(金)  ゆうばり映画祭3日目

■風邪が良くなって気分爽快。誰もいない雪道をずんずん歩き、パコダテ人上映会場のスポーツセンターに着く。他の関係者が到着するまで1時間。落ち着ける場所で日記でも書こうと交通整理のお兄さんに「近くに喫茶店はありますか?」と聞き、「少し歩けばある」と指差された方向へ歩く。30分ほど歩いたが、見つからず。11時過ぎ、みんなと合流し、関係者控え室へ。劇団公演中の大泉さんは今朝札幌から駆けつけ、舞台挨拶が終わるとトンボ帰り。12時から舞台挨拶の後、上映。お客さんは300人ぐらい。1000人入る会場では空席が目立ってしまう。函館より反応が薄い気がしたが、5段階評価アンケートの平均が4以上だったと聞き、安心する。■前田監督、あおいママ&妹ちゃんと散策へ。軒先に並んだ雪だるまに番号が振ってあり、人気投票をしている。長い階段を登り、石切神社にお参り。「石を切る」ことから「おできの神様」らしいが、しっぽもデキモノなのでパコダテ人のヒットを祈願。■17時からの『害虫』舞台挨拶について行く。塩田明彦監督と少しお話しする。会社の先輩だった女性が『害虫』に出演していたこと、『彼女たちの獣医学入門』に出演した水橋研二さんの研究で『月光の囁き』を拝見したことなど話す。■三木さん、前田さんと『寿司元』で夕食。昭和14年からやっている店。頑固そうに見えた親父さんは、話すと気さくな人で「昭和35年頃がピークだったな。この辺は遊廓でね。あの頃は、うちの店もいい思いしたよ」と黄金時代の昔話を聞かせてくれた。人ひとりいない道を半泣きになりながら夕張駅まで歩き、快速旅團にパコダテ人ポスターを届ける。コーヒーを飲みに来た金物屋で映画祭応援団の佐藤さんが宿までトラックで送ってくれるというので、コーヒーを飲みつつお話しする。今までは地区ごとにばらばらに活動していたボランティアが今年は応援団として結束し、祭りを盛り立てているのだとか。佐藤さんとの話で、夕張の氷アートの謎が二つ解ける。ひとつは雪に色をつける方法。ピンクやオレンジの雪だるまが気になっていたのだが、かき氷のシロップで色をつけてから固めるらしい。もうひとつは、中にろうそくを灯すプリン型氷の作り方。バケツに水を張り、外側だけ凍ったところでひっくり返し、てっぺんを割って中の水をかき出すと、ろうそくを入れる空洞が出来る。『アイスキャンドル』と言うのだそうな。


2002年02月14日(木)  ゆうばり映画祭2日目

■9時前に家を出て、12時前に千歳着。2時過ぎにバスで夕張入り。はじめて訪れた北の町は意外と近い印象。一面の銀世界だが、軽やかな粉雪は真綿のようで寒さを感じさせない。招待ゲストと映画祭ツアー客を乗せた専用列車が3時に夕張駅に着く。楽団や市民、ホットミルクの歓迎。パコダテ人組は、あおいちゃんも前田監督も三木プロデューサーも照れくさいのか、うつむいたまま足早に通りすぎる。■駅のすぐ横が、昨日「夕張に知り合いがいた!」と驚かされた金子先輩夫婦が去年8月に開店したばかりの『快速旅團』。ジャケットと手ぬぐいが目玉商品の「ライダー用の防水マニアの店」。カウンターで簡単な食事もできる。ニラ玉丼(350円)とビタミンスープ(300円)の遅めの昼食。この手の「喫茶できる店」の貴重さを後で思い知る。■開会式は三味線・太鼓・尺八のトリオ『響』によるパフォーマンスで幕開け。映画に貢献した女性に贈られるマックスファクター賞授与式、審査員やゲストの紹介と続く。市長の挨拶で「夕張の娯楽は映画で、炭鉱で3交替で働く人々のために24時間映画館が開いていた」と知る。かつて市内には25館がひしめいていたとか。■オープニング作品はディズニー&ピクサーの『モンスターズ・インク』。ドアの使い方、悲鳴を集めてエネルギーにするという発想、女の子の年齢設定(言葉は発するが意味を成さない)がうまい。「ドアはアイデアやなあ。心の扉とかっていうしなあ」と前田監督。
■ウェルカムパーティーはホテルシューパロにて。ドイツから来たゲストにドイツ語で話しかける。「明日のHappy Tailを見てくれ」と売りこんだつもりなのに、「ドイツ語の練習デスネー」とスマイル。全然通じてない。メイン会場がすごい人なので、別フロアのコーヒーショップで食事を取る。■宿泊先の『ファミリースクールひまわり』は高校を改造したホテル。教室ひとつ分のひろーい部屋(写真)に、神奈川から単身で乗り込んできた学生の増田文子さんと二人きり。寝相が悪くても安心。ヒーターをがんがんに焚いた室温は25度。寒くない。


2002年02月13日(水)  ゆうばり国際ファンタスティック映画祭 1日目

■飛行機の時間を何度も変更するヘンな夢を見る。おでこに載っけた『熱さまシート』にうなされたか。風邪は良くも悪くもならず。肌はボロボロ。夕張行くまでに復活しなくては。■一緒にお昼を食べた会社の子に「明日から夕張に行く」と言うと、「昔、取材で行ったよ」。海外からの招待スター達が愛人らしき若い娘を連れていたのをよく覚えているとか。「ここなら誰にも見つからないって感じで、堂々と連れ回してたよ」。夕張はお忍び旅行にはうってつけの場所かも。■夕張から思いがけないメールが届く。「以前、一緒に飲んだ者ですが、夕張駅前で店を構えています」と快速旅團の金子さんから。知り合いがいないと思っていた町に、応援団仲間がいたのだ。「黄色いハンカチが目印です」とのこと。いいなあ。らしいなあ。夕張に行く楽しみが増えた。■メディア部にいる同僚が、昨日放送した『彼女たちの獣医学入門』の視聴率と視聴人数を調べてくれた。関東は地震のせいか9.4%と高めで146万5千人。関西は5.7%で44万5千人。中京は4.6%で17万3千人。3地区で208万3千人が見た計算。全国合わせると、さらに増えることになる。数字で見ると、すごいなと思う。この中の何人の心を動かせたのかな。


2002年02月11日(月)  こどもの詩

■あまりに寒いので、家で過ごす。函館映画祭の日記を書きつける。記憶が古くなっているので、思い出すのに時間がかかる。早くやっとくべきだった。3日分書き上げる寸前にワープロがフリーズして振り出しに戻る。オーマイガッド。■気を取り直して新聞整理。読売新聞の『子どもの詩』のファンで、入社した頃は切り抜いてノートに集めていた。仕事に疲れた人が「あれ読ませて」とノートを開いては、「わたしが小さくなったらお母さんに服をあげるね」とか「外国のおともだちも、あははって笑うんだよ」といったピュアなつぶやきに、ほろりとなって帰って行った。切り抜きは止めてしまったが、今でも読むたび心が洗われる。電車が通り過ぎる音を「だれっかなーだれっかなー」と聞き、電車と会話してしまう女の子。弟のおしめを見て「わあ、きれい。光ってる!」と歓声を上げる男の子。かつては自分もそんな風に世の中を見ていたのかなあ。■投稿欄に「試験は教師と生徒の文通」と元教師の言葉。答案用紙は「勉強やってるか?」という問いに「やってるよー」と答える場所。つまづいた答えから、生徒が何を必要としているか読み取れたという。しかし、マークシートでは、メッセージは伝わらないか。


2002年02月10日(日)  ペンネーム

■ミナちゃんミキちゃんコンビが誕生日を祝ってくれるというので、ダンナともども赤坂の『ベトナムアリス』へ。クイーンアリスの石鍋シェフのベトナム料理店。食事はおいしく、お米のウォッカで作ったカクテルもおいしく、楽しい夕食となる。しかし、誰よりもおいしい思いをしたのは、ダンナだ。デートの予約殺到の美女二人と、別な意味で多忙な妻を独り占めしたのだから。「キミがいなければ、最高だった」と真顔で言うが、今夜の主役はわたしなのだよ。ミナ&ミキからのプレゼントはピンクのタオル地のバスローブ(共布のヘアバンドつき)とバレンタインデー先取りチョコレートとドーナツ栓抜き。「ドーナツとビールというゴキゲンな組み合わせは天国で発明されたのさ」という陽気なコピーが、いかにもアメリカのジョークグッズらしい。ドーナツにかかっているチョコレートの粒の名前はマゼランで良かったっけ。■「吉本ばななに対抗して、ペンネームをつけるとしたら?」という話になる。何年か前に会社の子と同じ話をしたときは、『今井パプリカ』が最有力候補だった。ちょうど筒井康隆の『パプリカ』を読んでいて、主人公のパプリカという名前が気に入っていたのだ。他に候補に挙がったのは、パンプキン、プラリネ、プリン、パパイヤなど。その頃からパピプペポの響きに憧れていたのかもしれない。東京プリンとパパイヤ鈴木がいるので、後者二つは使えない。「ガラムマサラとかインパクトのある名前は?」とミナちゃん。田口ランディに勝てるかもしれないが、それはイヤ。


2002年02月09日(土)  シモキタ(下北沢)

シモキタはカレーと同じで、欲すると頭の中がそれでいっぱいになる。ひと月ほど前からシモキタが呼んでいたが、予定が入ってたり、天気が悪かったりで、ようやく今日実行。ちょうどいいことに誕生日だ。

シモキタに住んでいるきゃろるにつきあってもらう。きゃろるは大学時代のチアリーダー仲間。同じように歌って踊る四年間だったが、わたしは就職して宴会でしか踊らなくなった。彼女はプロのチアリーダー指導員になり、その後、劇団MOTHERの女優になった。今はフリーになって、相変わらず歌って踊っている。きゃろると呼ぶのはわたしぐらいで、巷では『ちあり』が通称。牧野エミさんが名付け親らしい。

舞台の上と客席では何度も会ったが、二人で肩を並べて歩くのは、七年ぶりぐらいになる。シモキタ以上にひさしぶりなのだ。

まずは、ガーデニング店を兼ねたカフェでお昼ごはん。半地下のサンルームを占領し、積もる話に花を咲かせる。

腹ごしらえした後は、ひたすらお店めぐり。竜巻きを起こすペットボトルなど、遊びゴコロをくすぐる理科系おもちゃが所狭しと並ぶ店。会社の子に教えてもらった服屋。古道具屋。パンクルックの店。ふらっと入った古着屋で、古い着物を継ぎ合わせたリバーシブルの巻きスカートを買う。店の女の子の手作りで、その場で採寸してボタンづけしてくれる。「いつかは消耗しますが、それまで大事に着てください」と取扱い説明書にも愛がある。

骨董屋が集まる一画でノスタルジーに浸る。家にゴロゴロしていた人形が8万円!ある野球選手のグッズ一式(グローブ、ユニフォーム、シューズなど)が50万円。知らない選手なので、50万の妥当性がわからない。これを買うのはどんな人だろう。人生にくじけそうになったとき、この選手の活躍に励まされ、今は会社の社長になったような人かもしれない。それにしても骨董の値段のつけ方は謎だ。

お茶をしたカフェの近くの古着屋で着物リメイクのカーディガンとワンピースを買う。こういうヘンな服は他ではなかなか出会えない。帰り際、『みそパン』が超有名な『アンゼリカ』に立ち寄る。行列がなくてラッキーと思ったら、ほとんど売り切れ。カレーパンと白玉あんパンをなんとか入手する。そんなこんなで、時間がいくらあっても足りない。クセになる街なのだ。

FMシアターはほとんど毎週聴いているのに、あおいちゃんのラジオドラマデビュー作『翔べない豚さん』を聞き逃す。不覚。


2002年02月08日(金)  フライングワイン

■出社すると、机にワインが置いてある。誕生日になると、社長から会社のロゴ入りワインが届くのだ。明日が休日なので、一日早いプレゼントとなる。去年は赤だったが今年は白。おいしいといいのだが。さらに総務から「荷物が届いています」とメール。はるばる大阪から届いた段ボールは、わたしが入りそうな巨大サイズ。中には匂い立つような鉢植えの胡蝶蘭。恐れ多すぎる。このわたしでも咲いてくれるだろうか。わが家の汚さに驚いて、枯れてしまわないだろうか。とりあえず、どうやって持って帰ろうか。■会社から表参道の『青山見本帖』まで往復40分歩く。何を食べてもおいしくて、最近太り気味。これぐらい歩いてもケーキ1個分にもなるかどうかだか、表参道のあたりはカフェやギャラリーがひしめいていて、歩くのが楽しい。『青山見本帖』は紙見本を売る店。「ヴァンヌーボーのナチュラルホワイトの70キロのB3サイズ」とデザイナーE君に指示されたままを買う。E君は、この紙を手挿し印刷して、名刺を作ってくれる。函館の映画祭用に作った80枚が切れたので、夕張の映画祭用に新しく作ることになった。名刺に入っているしっぽのデザインが配給のアートポートの目に留まり、パンフレットのノンブルにもあしらわれている。夕張で会う方はお楽しみに。


2002年02月06日(水)  電車にピップエレキバン

コピーライターという職業柄、広告はしっかり読む。通勤は交通広告チェックの時間。目が悪いので、相当近付かないとコピーが読めない。中吊り広告の真下に立って、眉間にしわを寄せて見上げている年齢不詳の女がいたら、わたしである。今朝は出勤途中にANAの『超割航空券』の中吊りを熟読。「超割北海道」「超割温泉」「超割食い倒れ」「超割同窓会」……超割を使ってアレしようコレしようと誘い文句が並んでいる。「超割砂の星」というコピーに「おや?」となった。砂の星?星の砂じゃなかったっけ。子どもの頃、沖縄土産でもらった小さなガラスボトルに入った砂。今思うと、ミクロ金平糖みたいだった。あれは砂の星とも呼ぶのだろうか。でも、「水の星 地球」という言葉もあるし、砂の星と聞くと、草一本生えない一面の砂丘のような風景を想像してしまう。そういう不思議な場所にも行けるかもというSF的旅ゴコロをくすぐるコピーライターの引っ掛けだったりして、などと考えているうちに駅に到着。

午後、得意先へ向かう電車を待っていると、反対側の線路に入ってきた車両を見て、「珍しいな。車体の外側にステッカー貼ってる」と先輩デザイナー。見ると、ピップエレキバンの広告。貼る商品だから貼ろうっていう発想なのか。面白い。カンヌ広告祭で見た絆創膏のポスターを思い出す。電柱に商品(ドデカイ絆創膏だ!)が巻きつけるように貼ってあって、「どんな擦り傷、切り傷にも」とコピーがついていた。


2002年02月05日(火)  3つの日記がつながった

■いまいまさこカフェ2月3日のダイアリーを読んだ同僚のなくいが興奮して「マブイの話って宮沢章夫さんのコラム?」と聞いてきた。「覚えてないけど、マブイの話はメールで聞いたって書いてた」と曖昧な記憶をたどって言うと、「やっぱり!そのメールを送った人、知り合いなの!」。沖縄に住む彼女の知人、増田静さんが宮沢さんにマブイ話のメールを送った→宮沢さんがサイト市松生活の日記(1月7日)で「Mさんのメール」として紹介→増田さんがそのことをサイト鱒玉日記の1月7日で紹介→なくいは増田さんのサイト日記から宮沢さんのサイト日記へ飛んだ。その矢先に、わたしのダイアリーにマブイ話を見つけ、びっくりした次第。「3つの日記がつながった!すごい!」と、わたしも興奮。と、勝手に『日記の輪』に入れてもらうのが失礼なほど、宮沢章夫さんと増田静さんの日記は名文なうえに話題豊富で読ませる。脱帽。■『パコダテ人』の配給会社アートポートの好青年、河野くんが出来たてほやほやのパンフレットとグッズの携帯ストラップを会社まで届けてくれる。パンフは上質の紙を使っていて、絵本風のかわいい仕上がり。顔写真は「小さく」とお願いしたのに、けっこう大きく入っている。みんなの夢を壊しませんように。ストラップは作品ロゴを刻んだシルバープレートとしっぽ(白/黒と茶のまだら)が一体になったもので、手ざわりもいい感じ。「こりゃ売れるね」「売れますかね」と河野くんとほくそ笑む。

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