2002年02月04日(月)  福は内

■節分と聞くと豆まきを連想する人が大半だと思うが、わたしは太巻き寿司が頭に浮かぶ。生まれ育った大阪の家では、毎年、節分になると、太巻きを人数分買ってきた。各自一本をくわえて、その年の方角を向き、最後まで一言もしゃべらずに丸かぶりするのである。喉がつかえて水が欲しくなっても、声を発してはいけない。その時点で「福が逃げてしまう」のだ。なぜ寿司で福を呼べるのか、根拠は知らない。どこかのお寿司屋さんが言い出したことなのかもしれない。丸かぶりで丸儲け。うまい商売だ。全国共通の風習だと思っていたら、どうやら大阪近辺だけの局地的なキャンペーンらしい。「今日は丸かじりの日やでー」という呼びこみをやっていない東京では、太巻きの威力もなさそうだし、そもそも一人でやってもつまらない。


2002年02月03日(日)  教科書

■たまりにたまった新聞を整理する。気になった記事は切り抜いてファイルするので、古新聞に出す前に目を通すのだが、つい読みふけってしまい、全然はかどらない。「沖縄では、びっくりすると魂(マブイ)を落とし、行方不明になった魂のありかをユタにお告げしてもらう」という話。「サンタクロースが自分の欲しいものをくれた幸福感は覚えているが、何を受け取ったかは覚えていない。人は品物よりも幸福感を求めて生きている」というイッセー尾形さんのエッセー。新聞には、いい言葉がたくさん埋まっている。それを掘り起こすのは楽しい。■『知っているつもり』はソルトレイク五輪にちなんだ特集。リレハンメルの屈辱を長野で晴らした、ジャンプの原田雅彦さん。長野五輪のモーグル代表に選ばれながら、末期ガンのために出場を辞退し、25才の若さで亡くなった森徹さん。悲願の復活を勝ち取った原田さんの笑顔に泣き、復活の夢を病魔に奪われた森さんの運命に泣く。


2002年02月02日(土)  歩くとわかること

2002/02/02(土) 歩くとわかること

■週末は家で過ごすことが多い。朝テレビでやっていた古着リフォームに触発され、穿かなくなった茶色いキュロットのポケットをハート型に切り抜き、先週買った赤いパンツの裾に縫いつける。ここから小銭を出して、笑いを取ってやろう。■夕方近くなって、体を動かしたい気分になり、ダンナと散歩に出る。天気がいいので池袋まで歩く。巣鴨大鳥神社の節分祭に遭遇し、モンゴル料理屋を見つける。自転車の男の人が落としたマルボロを拾い、取りに戻ってこないので、ゴミ箱を探して歩く。街にゴミ箱がないことに気づく。50分ほど歩いて、池袋の西武に入る。今年の春は花柄が流行るらしい。オレンジの長袖とピンクのパフスリーブを買う。ダンナは無言。心の中で「何才のつもりだ」と呆れている。ケンジントンルームでお茶をする。フルーツのタルトと紅茶のプリン。歩いた後のケーキはおいしい。隣のテーブルの女の子三人組が「1位は金 2位は愛情 3位は友達 4位は性欲」と話している。ダンナが「何の話だと思う?」「恋人に持っててもらいたいモノじゃないの?」とわたし。「そっか。自分が大事にしているものかと思った」。さて真相は?スポーツ用品売り場に移動し、フィットネス器具を見る。ダンナはテレビを見ながら痩せようという魂胆。ステッパーをひたすら踏むより、景色見ながら散歩したほうが楽しいんじゃないだろか。続いてCD売り場でWhiteberryの『カメレオン』を入手。ジャケットに「パコダテ人主題歌」とシールが貼ってあり、感激。レジで隣に並んだ大柄の女の子がわたしと同じ髪型……と思ってみたら、女装したオジサンだった。街は刺激に満ちている。


2002年02月01日(金)  「なつかしの20世紀」タイムスリップグリコ

昨日から会社でキャラメル漬けに遭っている。グリコのおまけつきキャラメルのせいだ。パッケージには「なつかしの20世紀」タイムスリップグリコとあり、20世紀というか昭和を思い起こさせる超リアルなフィギュアがついてくるのだ。おまけは『鉄人28号シリーズ』『暮らしシリーズ』『のりものシリーズの各5種類全15種類で、暮らしシリーズは扇風機とブタの蚊取り線香がセットになっていたり、のりものシリーズは車と乗客のカップルがセットになっていたり、とにかく芸が細かい。こういうものを作らせたら、日本人は世界一だ。全部集めようとみんながコンビニに走るので、またキャラメルが増える。ひと粒300メートル。グリコの由来になったグリコーゲンは牡蠣エキスに含まれているらしい。キャラメルと牡蠣。不思議な取り合わせだ。(画像は幼なじみの太郎君がゲットした限定1500個生産のコレクションボックス。この日記を読んで送ってくれた)

ノスタルジーなものには弱い。とくに昭和30〜40年代。日本が希望に満ちていたけど、恵まれすぎてなかった頃。新横浜のラーメン博物館(昭和33年の設定らしい)はドンピシャだ。ラーメンそっちのけで町内運動会のお知らせや不動産の物件情報や映画のポスターに見入ってしまう。古きよき時代のニッポンに浸れて入場料300円。おすすめです。


2002年01月31日(木)  2002年1月のおきらくレシピ

■2002/01/17 (木) 見た目は同じ!くさった大根
冷蔵庫に眠っていた大根が大丈夫そうだったので、みそ汁にしたら、腐ってた。きれいに腐るな!
【くさった大根のみそ汁:腐敗】レシピ省略

■2002/01/13 (日) 披露宴一周年豪華ディナー
今日で披露宴から一年。この一年で作った料理はわずか。当然、腕はさほど上がってないのだが、なんとなく外食よりも作ってみたくなり、タイカレーと生春巻きとポテトグラタンに挑戦する。グラタンのソースはお歳暮にもらったパスタ用たらば蟹のクリームソースを使う。「これ、いけるよ!」と何も知らないダンナ様は驚く。タイカレーはハワイ土産にもらったマンゴーココナッツペーストで味つけ。かなりフルーティーなので女性向きかも。いちばんのヒットは生春巻き。はじめて家で食べたが、超簡単だし、具さえ間違えなければ失敗しない。今度お客さんが来たら、これを出そう。

【ココナッツマンゴーカレー:ペースト頼み】魚介類(タコ、ホタテ、エビなど)、ササミ、タケノコ、赤ピーマン、マッシュルーム、ネギなどを適当に炒め、ココナッツオイル1カップとココナッツマンゴーカレーペーストを入れ、レモングラスで香りをつけ、ニョクマムで味を整える。

【ポテトグラタン:騙し】
3mm厚に輪切りしたじゃがいもを電子レンジで3分ほど過熱して柔らかくし、器に敷く。白ネギを縦1/4切りしたものも並べる。市販のパスタクリームソースをかけ、粉チーズをたっぷり振ってオーブンで焦げ目がつくまで焼く。

【生春巻き:楽勝】
鳥ささみのニンニクしょうゆ焼き(ニンニクしょうゆに漬けたササミを油で焼く)、中華くらげ、アボカドスライス、ねぎとろ、生タコのスライス、白髪ネギなどの具を用意する。食べる直前にライスペーパーを人肌の湯で戻し、具を巻き、サルサソース、ニンニクしょうゆなどの味つけで食べる。


2002年01月30日(水)  ボケ

■自慢ではないが、低血圧なら負けない。健康診断で「90-60-90」という数値を見た看護婦さんに「これがプロポーションだったらいいんですけどね」と言われたことがある。余計なお世話だ。50台を記録したこともあるので、早起きが苦手な言い訳は十分にできる。目覚めは極端に悪く、左右ばらばらの靴や、背中のファスナー全開で出社したこともある。もちろん、気づいた衝撃で眠気は吹っ飛ぶ。今朝は35分発の電車を逃したはずなのに、ふとホームの電光表示を見ると、6〜7分感覚で来るはずの次の電車は48分発になっていた。「41分発の電車は?」。ぼーっとしている間に電車を一台見過ごしてしまったらしい。■アメリカのホストマザーから「Masako Imai's Cafe英語ページに8か所のスペルミス発見」のメール。「scgoolではなくschool。gaeではなくageよ」。すべて初歩的なミス。四年ほど前に再会したとき、「あんたの英語はどこ行っちゃったの?」と嘆かれたが、またがっかりさせてしまったかも。


2002年01月29日(火)  年輪

■メアリーの話をWORDSにアップしたので、今日は彼女のことを思っている。出会った日が九十才の誕生日だったメアリー・ルース・スティーブンソンは、わたしの人生観をいちばん大きく変えた女性だ。ニュージーランドのクライストチャーチからブライトンへ向かうバスで隣の席になり、二時間の道のりの間に友だちになった。彼女は泊まりがけの、わたしは日帰りの一人旅だった。「バスを降りたら、お別れだなあ」と名残り惜しく思っていると、「さあ行きましょうか」と自然に誘われ、帰りのバスが来るまで一緒に過ごすことになった。海岸で貝殻を集めながら、尽きない話を続けた。「明日はここで泳ぐの。かわいい水着なのよ」と言う笑顔がとびきりチャーミングだった。どの本から読もうかしら、夕食は何にしよう、明日晴れますように……。彼女は本当に楽しそうで、きらきらしていて、「誕生日ごとに人生は素晴らしくなる」と笑った。別れ際に、夕日の見えるカフェでお茶をした。ジャムサンドイッチとミルクティー。温い気持ちに包まれたのは、湯気のせいだけではない。「あなたは最高のお客様だから」と当然のように支払い、微笑む彼女こそ、言葉にできないくらい最高だった。あれから十年以上経つ。何度か手紙を交わしたが、わたしが引っ越してしばらくした後に出した手紙には、返事がなかった。メアリーのことを思いだすとき、今も元気でいるだろうかと考え、答えを求めることをやめてしまう。何才になろうと、彼女はかわいいおばあちゃんのままで、毎年あの海辺の小さなコテージで誕生日を祝うのだとおとぎ話のようなことを考えている。


2002年01月28日(月)  心意気

■夕方からの会議で頭に来ることがあり、ひさびさに会社で吠えた。わたしが怒っても迫力はないのだが。原因は、わたしの書いたコピーを見た偉い営業さんが「こんなコピーを持って行ったら得意先が気を悪くする!」と頭ごなしに否定したこと。得意先との事前打ち合わせを踏まえた上で、いちばんいい表現を探った結果なので、ほめられることはあっても、叱られるとはまったくの予想外だった。要は「もう少し無難なコピーはないのか」ということなのだが、言い方が悪い。思いやりがない。横から別の営業さんが「まあまあ、そういうわけで、あと2案ぐらい作ってよ」と丸くおさめようとしてきたので、「なんで2案って決めるんですか!適当に数さえ合わせればいいんですか!愛がなさすぎる!」と言い返した。決して嫌いだとか仲が悪いとかではなく、むしろ普段は楽しく仕事をしている人たちなのだが、たまにやる気に水を差すようなことをやってくれるので、釘を差したつもり。■一緒に組んでいるデザイナーと以前、二人そろって吠えたことがあった。そのときの担当営業が「ブツはできましたか?」と失礼な言い方をしたので、「俺たちが寝ずに考えたアイデアをブツ呼ばわりするとは何ごとか!」と逆上し、会議に『ブツ』と書き殴った紙を持って行ったのだ。創造することを仕事にしている人たちのこだわりや心意気をうっかり傷つけてしまうと、後が怖い。■


2002年01月27日(日)  詩人

■先日ダイアリーに書いた雨乞いの話を読んで、パコダテ人の前田哲監督からメールが二通届いた。一通は「映画を初めて撮った時。知り合いの人全てに手紙を出しました。ようは、チケットを買ってくれということなんですけど、はっきり買ってと言える人は数が限られています。詩を添えて送りました。何百通も」という文面に続いて、『砂漠に雨を降らすため、雨乞いの踊りを 踊る前田哲。貴方の、一滴の雨で、救われる。ぜひ、観てやってください。宣伝してやってください。』とそのとき送った詩があり、最後に「雨より、嵐より、台風にしてやりましょう」と結んであった。もう一通は「『誰か上の方で俺を好きなんだ』。ポール・ニューマンが「傷だらけの栄光」という映画の中でいうセリフです。僕は、このセリフが大好きです。誰も見ていなくても、神様は見ていると僕は信じています。がんばった人(『がんばった人』と名付けましょう)には、必ず、何らかのプレゼントがあります。僕はそう固く信じています。シャルウイダンス、踊りましょう。見てるよりも踊ってるほうが、おもろいにきまってまんがな。僕らは、人に夢を売るダンサーでっせ。雨乞いどころか、台風乞いや」とあった。前田さんは、映画監督である前に詩人である。監督は長篇三作目が勝負作と言われるとか。前田さんにとって三作目となるパコダテ人、わたしも一緒に台風を起こしたい。


2002年01月26日(土)  オヨヨ城

■筒井康隆の短編集『馬は土曜に蒼ざめる』を読み終える。この人の小説のすごいところは、何度読んでも初めて読んだ気になってしまうこと。おかげで同じところを何度も読み直してしまい、時間がかかった。初版が1976年で解説が小林信彦。その一節に「(わたしには)テレビの仕事がすべてなくなり、ジュヴナイル『オヨヨ城の冒険』などを書いていた寒い時期があった」とあり、衝撃を受けた。オヨヨ城シリーズは子どもの頃、大好きでボロボロになるまで読んだ。不条理なやりとりの連続で、笑い転げてページをめくったのだ。なのに作者は寒い思いをしていたとは、なんとも複雑な気持ち。■NHK-FM青春アドベンチャー『カレーライフ』を3週間聴き続けたせいでカレーが食べたくなり、寝かしておいた無印良品のスパイスセットで作る。最終回を逃したが、無事カレー屋は開店できたのだろうか。■今夜のFMシアターは、じんのひろあき氏脚本の『質屋』。なんと、じんのと名乗る脚本家が登場し、質屋を取材する過程がドラマになっている。函館の映画祭でお会いしたとき「ラジオドラマは180本ぐらい書いた」とおっしゃっていたが、じんのさんだからできる手法だなあ。

<<<前の日記  次の日記>>>