2002年01月02日(水)  パワーの源

■2002年ワープロはじめ。考えごとをすると、やたら甘いものが食べたくなる。ブドウ糖は頭の回転をよくする潤滑油なのだ、たぶん。今日は、まず引き出物のマロングラッセに手を出す。その昔アレキサンダー大王の軍が道に迷ったとき、大王は妻のために遠征先で特注したマロングラッセを部下たちにふるまい、軍を飢えから救ったのだとか。以来マロングラッセは「永遠の愛を誓う贈りもの」として重宝されているのだそうな。というウンチクをフムフムと読むうちに3粒ぺロリ。余計におなかがすいて、さらにウエハース12枚を平らげる。このカロリー、全部アタマで消費できればいいんだけど…。■ひさしぶりに本を読んだ。浅田次郎の『プリズンホテル』。巣鴨プリズンの話かと思っていたら、極道の話。ゲラゲラ笑ってしまうので、電車の中では読めない。それにしても、いい台詞書くなあ。■なんとなくNHKをつけていたら、いきなりドラマが始まった。タイトルは『韓国のおばちゃんはえらい』。ダンナが単身赴任する韓国で、妻と幼い娘二人が同居をはじめる奮闘記。面白くて最後まで見る。


2002年01月01日(火)  幸先

■うさぎの毛のリュックの肩ひもが突然取れた(不吉!)ので修理する。指先を何度も刺す。毛足が2センチほどあるので、どっから針が出てくるかわからないのだ。だから手術のときに毛を剃るのか、と新年早々アホなことを考える。苦労して縫い終えたら、左右の肩ひもの位置がずれてた。大丈夫か2002年。■活字だけの年賀状が多い。宛名もプリントアウトで、どこにも本人の字がない。名前を見ただけで懐かしくなる人なのに、一年で一度きりの便りだったりするのに、何も言うことないのかなと淋しくなる。「元気ですか」でも「元気です」でもいいのだが…。たとえ千通出す立場になっても、わたしは一言書き添えようと思う。

1999年01月01日(金)  テスト


2001年12月31日(月)  祈り

■午後、北鎌倉を訪ねる。池袋から一本で行ける。便利。駅のすぐそばに、風情たっぷりのお寺がふたつ。『財浄』の箱を見つけるたび、願をかける。作品の成功と家族の幸せと世の中の平和と。手入れの行き届いた庭にはさまれた小道を歩く人影はまばらで、俳句でもひねりたくなるような趣があるのだが、半日後には初詣客でごった返すのだろう。年末年始臨時列車を案内する駅のポスターには「神様 仏様 皆様を乗せて走ります」と八百万の神の国らしいキャッチコピー。■夜九時。紅白のバックで踊っています…というのは嘘で、年賀状書きのラストスパート。今年一年お世話になった一人ひとりの顔を思い浮かべながら、来年もみなさんに抱えきれない贈りものがあるよう、お祈りする。■そばが食べられないので、義弟夫妻の大阪土産、蓬来の豚まんで年越し。

2000年12月31日(日)  2000年12月のおきらくレシピ


2001年12月30日(日)  アナログ

■年賀状を書きまくる。去年、いや今年受け取った年賀状を見ながら宛名書き。つい文面を読んでしまったり、書いた後で住所変更のハガキガ見つかったり、効率が悪い。住所録を作っておいて印刷すれば楽なのになあと毎年思いつつ、今年もやらずじまい。■お正月は東京でのんびりしつつ、シナリオ書きと企画出し。大量のプリントアウトに備えて、ワープロ用感熱紙百枚入りを三冊買う。パソコンのプリンターはあるのだが、接続のし方がわからない。


2001年12月28日(金)  捨て身

■ひたすら年賀状を書く一日。毎年枚数が増えている。ひくにひけない『年賀状界の小林幸子』の苦しみ。裏を返せば快感でもあるのだけど。『パコダテ人』DMを兼ねた2002年度年賀状は、レイアウトしたデザイナー自ら「こんなん出して大丈夫?」と不安になった問題作。これも、かわいい作品を売るための捨て身のサービスなのだ。でも、来年の年賀状は減るかもしれない。


2001年12月27日(木)  今がいちばん若い

■「ありがとうございました」という社内メールを何通も受け取る。今月いっぱいで会社を去る人たちからの挨拶だ。長年勤め上げた人が多いせいか、なかなか味わいのある文章ばかり。女性コピーライターの大先輩は「いろんなことに挑戦したい。今がいちばん若いのだから」。今より若返ることはないということをポジティブに言うとこうなるのかと感心。■会社に残る人からも「ありがとうメール」が届く。同じプロジェクトに関わったメンバー全員に宛てて、ねぎらいの言葉と「来年もいい仕事しましょう」と爽やかな決意。『全員に返信』で他のメンバーも「こちらこそありがとう」と言い合う。きもちいい。■夜は新宿でパコダテ人スタッフら映画関係者中心の忘年会。リクエストに応えて友人の美女たちを連れて行くと、「動物と人間ぐらいの差がある」と前田監督。おだまり。「顔なんか関係ないですよ。この人は役に立つ女ですから」と三木さん。フォローになってない。安ければ何でもいいのだ。パコダテ人ナマ応援団長の虎牙光揮君は、はじめてのドラマの役作りで北京語を特訓中。「勉強したいと思ってたのでラッキーです」と目がキラキラ。チャンスを栄養にする人だ。


2001年12月26日(水)  ロマン配合

今井雅子ファン最高齢の七十代のオジサマトリオが『囲む会』を開いてくださり、外苑前の点心・中国料理『ピート』でごちそうになる。看板の趣味が相当悪いけど、おまかせで他の店にはないメニューを出してくれ、そのうえ安いので、お気に入りのお店。四十ン才年上のオジサマたちは絵を描かれていたり、俳句をたしなまれていたり、とにかく行動的。話題も旅行のこと、テレビ番組のこと、戦争のこと、こわい奥様のこと、教育のこと、ポンポン飛んで追いつくのが大変なぐらい。わたしのこれまでの作品も熱心に批評してくださり、和紙にしたためた感想文まで頂戴する。「今井さんの作品には、リアリティーの中にロマンのエッセンスが入っています」と言われ、いいほめ方だなあと思う。自分を甘やかしてはいけないけど、ファンというのは、やっぱりうれしい。


2001年12月25日(火)  発見!

■渋谷『しゃぶ禅』にて会社のグループの忘年会。「牛は絶対イヤ!」と発起人が主張して、海鮮・豚・鳥しゃぶしゃぶを予約したら、発起人は風邪でダウン。ありがちなことだ。■同じグループにいても、同じプロジェクトに絡んでないと、ほとんど交流がない。今日の会は送別会も兼ねていて、送られる三人のうち二人は、この日はじめて一緒に飲む人だった。ご一緒するのは最初で最後かなあと思ってたら、宴席はやたら盛り上がり、「また飲みましょう」となった。こういう発見は、うれしい。


2001年12月24日(月)  イベント大好き

■ミキちゃんミナちゃんの美女コンビがあまたのお誘いをことわり(!?)、わが家でクリスマスを祝ってくれる。めったにしない料理をして、とっておきのお皿に盛り付け、いつもは聴かないCDをかけて、真新しいキャンドルを灯して、明かりを消して。ともだちが来てくれるだけで、イベントになる。


2001年12月21日(金)  サプライズ

■『パコダテ人』のプロデューサー、三木さんより「函館からクリスマスカードが着きました」と電話。ロケのときヒストリープラザの郵便ポストに投函したカードが忘れた頃に届いたのだ。「この映画ができたことをあなたが本当に喜んでいるのが伝わりました」と、普段アホなことばっかり言っているオッチャンが珍しくマジメな台詞。何を書いたかよく覚えてないけど、ありがとうって気持ちで書いたのがちゃんと伝わってうれしい。■家に帰って集合ポストを開けると、函館消印のカードが。『パコダテ人』で知り会い、『風の絨毯』の出会いを運んでくれた小山さんからだった。映画祭で函館に行ったときに出してくれたらしい。「××さんが今井さんに送るものがあって自宅の住所を知りたいそうですが」と聞かれて答えたのに届かないなあと思ってたら、こういうことだったのか。ヤラレタ!

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