度々旅
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時々書いては、あー、本当に久しぶりだなぁとおもう。そして、少し日記を振り返っては、とても不思議な気持ちになる。これ、自分が書いたの?と。感情に任せて書いてるときのは、よくまぁこんなに悶々としてる心を言葉に変換できるなぁと我ながは感心してしまう。
それにしても、ほんとに長い間書いてなかったな。たぶん、上司へのメールが日記代わりにだったんだな。そんな上司は今年初めに飛ばされちゃったけど。私は心に穴がぽっかり空いて、仕事してたら急に涙がとまらなくなったりしてた。そんな気持ちは忘れてしまったけど、失恋ってこういうものだったかもしれない。。。なんて、思うほど。
上司は、私の独り言メールにまっとうに返事をくれたことはない。だからどんなに垂れ流しても、恥ずかしくなかった。文章にすることで私が消化したり、発散したりしてるというのを理解して、吐き出したあとはスッキリしてることも理解して、何も触れて来なかったんだとおもう。
上司は、正しいと思ったことをやっただけだった。私も同じ思いでやってた。ちゃんととるべき人に承認もとってた。腹をくくった仲間も集まってきてた。誰もが必要なことと言ってた。
にも関わらず、ある日突然、理由になってない理由で上司はとばされた。ほぼ一心同体だったわたしは、残された。今までやってたことを全否定され、私はそこに心をこめてたのに。あなたは悪くない、あいつが全部一人でやったこと。そう言われた。
仲間は、上司はやり方を失敗した。エライ人たちへの根回しが足りなかったという。そうかもしれないけど、上司は真っ向勝負をし掛けてたのだから仕方ない。
そんなかんじで、色々あって半年。飛ばされ上司とのお別れからやっと浮上してきたみたいだ。
とはいえ、同じビル内にいて以前と変わらぬ密度なんだけれども。
2014年06月12日(木) |
最近仕事の仕方を変えたの? |
久しぶりにお会いした会社の人に言われました。別の人にも、最近すっかりナリを潜めてと言われました。
ええと、自分的にはそろそろ区切りをつけてもいいかなぁと本気で思いはじめており、その心が逃げのものなのか、次の始まりなのか見極めながら、ひとつのプロジェクトだけは形にしないと死にきれない(人がいる)と思って、なんとかスタートラインまでもってきました。
で、半年くらい働いてないような状態だったし、この二年くらい自分で立ち上げたプロジェクト動かすことなかったから、正直緊張してる。
でもまぁ、区切りにするにはふさわしい仕事!と勝手に前向きにもなってたのですが。
そんななか、ナリを潜めてるわたしにわざわざ意見を求めてきたことにまずは驚いた。
そして、別の人からはあとちょっと。あとちょっと耐えれば、(会社全体の)状況が変わる。それまで、今の死んだふりを続けて、仕事を進めないようにしとくのが策。 その間やるべきことは、誰が本当の味方か、誰がほんとに会社のこと、われわれ自身のことを考えているか見極めること。なんて言われた。
どちらの方も、大して話したことない。それに、日頃仕事の接点もない。
にも関わらず、唐突に言われて、ちょっとびっくりした。
ついでに、最近中沢新一とか久しぶりに読んで、昔より面白く読めてる。なんか、全部ぜんぶ、社会にでて、仕事を持たなかったら得ることができなかったことに囲まれてることはよくよくわかった。
でも、このまま、あとちょっとを待ち続ける先はどうなんだろ。
なんて考えつつ、とにもかくにも、明日の会議か。
仕事で、ある新聞社の論説委員の方と会いました。その新聞の主義主張も、その方がもって行こうとしている論説の方向も賛同するわけではないけれど、取材立会いを通じて、救われたというか、力をもらったというか、久しぶりに頭が本当に心地よい形で回りはじめました。栄養をもらったようなものかもしれない。
今の会社に入り、七年目。いろんなことがあって、同じ部署でありながら、全く違う部署にさせられ。でも、私だけは残され。化石なのに残されている。そして、スキルもない。いや、相変わらず私には言葉しかない。
でも、言葉を通じてしかコミュニケーションをとれないことに半ば絶望しはじめてました。同じ言葉なのに、言語ゲームが成立しているのに、何も共有できない。言葉がラベルにしかすぎず。感性の手先にはなれても、主義主張、意思の現れとして機能しない。
羅列されている言葉は、確かに何かを伝えようとしているし、適確に描写もしている。意志を示している。でも、空疎。会話してても空疎。
もうやれることがないのではないかと、本当私には何もないのではないかとカナリやばかったのですが、今日の取材中、言葉に込められている思考、思想、魂を感じ、自分の言葉までも、生き返ったような気持ちになりました。
おこがましい話ですが、物書き脳やペンの力で生きてる人に会えて、本当にうれしかった。
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