度々旅
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何から書いていいかわからないにゃぁ。 生きてます。3月にはまたインド行ってきました。ほんとに、段々何回目かわからなくなるものですね。 地震がきた1週間後に行ったわけですが、デリーの空港についたときホっとしました。気づかぬうちに、色々疲れていたんですね。母方の実家が石巻。海から数十メートルのところで流されました。土台だけ残ってる状態です。 母の周りの人が、行方不明だらけで連絡とれなかったりして、そういうことも知らぬうちに私の中でジリジリきてたみたい。父を失ったとき、納骨後すぐに旅に出てラオスに着いてほっとしたことを思い出しました。
インドでは、毎日のようにインド人に日本は大丈夫か?と聞かれました。中には、なんでそんな危険なのに帰るんだ?仕事?そんなの関係ないだろうと言われました。 「ナンデニホンに帰るんだ?」why you will be back to JAPAN? 重い言葉です。でも、なんでインドに来るんだ?にもしっくりとした言葉が浮かばない私には戻るしかないんだと思う。そして、その理由を考えに戻ってきたような。
仕事はといえば、震災のせいか、震災によって自分の心が変わったせいか、たまたまかちょと暇です。暇といってもやることはいろいろありますが、なんとなくスピード感がありません。あげく、制作会社の仲良しから退職のご挨拶が次々舞い込んでます。周囲の変化の中、私は淡々と過ごしている感じ。いいのかなぁ。いいんだろうなぁ。とか。
インドの詳細書けずに2ヶ月近く立ちました。ま、そんなもんです。 が、日常ではインドモードは続いており、ベジ料理中心にしたり、アーユルヴェーダ的生活を意識したり、大量のヒマラヤハーバル製品に囲まれてます。 アーユルヴェーダに数カ月に一回行っているわけですが、この間行ったときに、ヒマラヤハーバル製品のことでもりあがり、私はまだ歯磨き粉は使ったことなかったけれど、施術してくれる女性がすごく気に入っているといってたので、帰ってきてネットで注文してみました。
そんな中、久しぶりに大学の仲間と落語会。あ、そういうサークルに入ってたことここでは告白してなかったかもしれません。ま、入ってたんです。 私は大喜利だけだったんだけれど、なんだろ、この信頼感というか、何かしても誰かひろってくれる安心感。そして、私はサークル内では怠惰で暗い不思議少女系のキャラで過ごしていたわけですが、高座では一応ハキハキ話すわけです。その自分のギャップと、そういうキャラ替わりが自然なその場に、やけに満たされた気持ちになりました。やっぱり、仲間はいいです。で仲間は、その現場を共有しているときが一番心地よいなと。忘れかけてたよ。この人たちと一緒にいるほんとの心地良さを。
とまぁ、なんだか懐かしい生活を送ってます。そんな今日は、父がいなくなってから4回目のお盆で送り火を焚きました。去年はいろいろあって、全く実家にかえってなかったので、2年ぶりに父と会い、送りました。そして、実は犬も今年春に旅立ったんでその新盆でもありました。未だ私は、その失った大きさに呆然とすることがあります。 これは、ずっと続いていくんだろうと。でも、そういう気持ちを抱えていられるのはそれだけ愛されていた証であると幸せにも思うのでした。
あ、仕事も続いていますから・・・。
4/28-5/9まで、インドへ。今回のメインはハンピとゴアです。なので、短さもさることながら特に後半はインドバックパックとか言う表現が微妙なんですが。
そしてここのところ、なんとかコンスタントに毎年行けているけれど、期間が短いので、どこかでちゃんと記録をしておかないと、いつ、どこに行ったか段々曖昧になってきた。ま、それを回避するために、かつてよりマメに写真を撮るようになったのだけれど。一応、旅ノートも持って行っているのだけれど。でも、仕事の合間ということだけあって、暇にただただ過ごすことに専念したくて、お金の記録さえざっくりになってきているわけで。 というわけで、この場を借りてちょっと記録。 4/28 日本発 4/29 夜の列車でグンタカルへ 4/30 昼前にグンタカル着。オートリキシャでバススタンドへ。 バスでグンタからバラリ。バラリからホスペット。ホスペットからハンピへ 5/1 5/2 AM ハンピ散策 5/2PM→5/3早朝 もう1泊するはずだったけれど、ふと思いたって午後2時頃ハンピout バスでゴアへ向かうことに ハンピ→ホスペット→ガダグ→フブリ(午後11時半頃)→マルガオ(午前4時)→コルヴァ(午前7時) 5/3 コルヴァ堪能 5/4 けれどもコルヴァは私の描いていたゴアイメージとちょい違う。安住の地を求めてパロレムへ。 予想外に時間がかかったものの、到着したら素晴らしい!!宿も発見! けれども片道バスで2時間以上。けれども、このリゾートで過ごすことを今回のメインにしたい! ということで、コルヴァへ荷物をとりに行くために全力を出しタクシー往復案を採用。 5/5 5/6 どっぷりパロレムビーチ堪能 5/7 名残惜しみながら日本へ戻るためにムンバイへ パロレム→マドガオン:タクシー マドガオン→CST(ムンバイ):列車 5/8-9 深夜の便でムンバイout翌日朝クアラルンプール着 トランジット3時間くらいで日本
というわけで、流れだけ書いてみた。なんだか、ものすごく忙しいなと。。。 前半と後半で使ったお金がまったく違うし。後半。パロレム以降は何か買うとき今まででのインド旅で初めて、日本円を思い出してたもの。これまでのインド旅の1日に使う金額以上を1食で使ってた。こんな簡単に500ルピー札1000ルピー札を使えたのも初めてだった。 恐るべしゴア。恐るべしムンバイ。
というわけで、詳細はおいおい書いていこうかなと思ってます。 しかしだね。やっぱり短いなぁ。前回はジャイサルメールのキャメルサファリ。今回はパロレムビーチ。これが、完全に日常脱出でリフレッシュにはなってるけれど。 けど、けど、かつてはバスひとつ乗るのに、どれ乗ればいいんだーーーと苦労してたというか、本当にこれでいいのか?とか思ってたけれど、全く苦労しなくなった。バススタンドで集まってくる人に、行きたい場所を言い、とりあえずこれに乗ってけみたいに言われ。そのバスの終点やら、みんなが降りろと言ったところで降り、またそこで誰かに聞いてバスに乗るを繰り返したけれど。 なんの不安もなかったよ。これが慣れというやつでしょうか。
ちなみに、5/10月曜日から出社したのですが、その夜からムカムカしてきて、翌日ものすごく気持ち悪く。会社に行ったものの、微妙な体調。全身シビレがきてるし。これは、卵げっぷ病では!と思い、ならば間に合ううちに家に帰らねばと早退の後、その症状が出てこず、ただ倦怠感とへんんな間接ジリジリが続き翌日も会社休みました。 ふと今朝ラッシュで思ったのが、こりゃインドで何かもらったんじゃなく、日本に戻ってきたために神経からきてるのかもしれんと思ったのでした。 どんだけ、旅中解放されてるんだか。
では、また後日詳細をupします。
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