度々旅
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新しい会社で、あっという間に4ヶ月たちました。 なんだか毎日忙しいです。 入社してすぐに言われた冊子を一冊完成させました。ふぅ。
HPも気付けば担当になりつつあるので、いろいろ思い出してます。 なんというか、何も無駄なことはないなぁと、今までの浅い経験が役立ってます。 役立たない経験などないかもしれんと思う次第です。 特に、編集作業の基礎や流れを学んでいたことは、広報で外部と付き合う上でめちゃくちゃ役立ってます。
しかし、毎月の経理作業は未だ慣れません。
あああ。気づけば桜も連休も終わり、あれあれあれ、暖かい?一日中ビルの中にいるからわからなかった。 そうなのです。性懲りもなくまた働き始めました。4月から。今までとは全く別業界です。朝6時には起きます。7時前には家を出ます。8時前には会社にいます。早く来ている人ベストテンに入ってます。おおお。小学校、中学校、高校、もちろん大学でもそんな生活してません。30年近い人生で初なのであります。 大きなキッカケがあり、今の会社に入りました。所属は、以前やってたことがある広報です。でも、あれはバイトだったし、民間じゃなかったから、まあ、初めてといやあ、初めてだ。そして、これまた初めて直属の上司が男性です。すごくやりやすいです。放置されっぷりが素晴らしいです。男性が多い会社ってのは、ここまで放置、いや放任なのかと驚きました。 広報対象は、今までの私の人生とは縁遠いというか、別世界のものです。私が何もわからないのは周知の事実です。なんで、広報を志望したのかと聞かれたとき、「この世界に入りたいけれど何もわかりません。広報ならわからないことは取材すればいいので、勉強できると思いました」と答えたくらいですから。 そんなわけで、こちらも恥なく何でも聞けます。業界について、技術について、商品についてならば、聞くとなんでも教えてくれます。この歳になって、ここまで何もわかりませんってことで聞ける環境を与えられたということは、素晴らしいと思うのであります。 ノウハウは自分で模索するもの。知識は自分で集めるもの。聞けば教えてやる。そんな感じで扱われていて、とても嬉しい。この扱いは、院生時代と同じだ。仕事の指示は、「論文1本書いて」くらい大雑把な指示で。ここまで任せてくれたら、そりゃ必死にやりますよと。引継ぎも何もない状態というか、小さいけれど新しい事業というか企画を投げられ、ちょっと相談しに行ったら「他の人の意見に振り回されるな。判断するのは君だ。」的なことを昨日言われ、これが男社会ってやつですか・・・と感動しました。 まあ、そんなこんなで必死こいてはいますが、やる気がない日もあるわけで、そんな日はボケーっと資料みたりして本を読んでいるような状態。それさえも、自分のペースで仕事をしていると許されているなんて素晴らしい。というか、今まで社員をやってたときどんだけ拘束、監視されていたんだろう・・・。 そう。気づいたのです。今まで仕事やる気がしなくて進まないなんてことはなかった。やる気がなくても、こなすことはできた。つまりあれは、「仕事」じゃなかったのかもしれない。そんなことを思ったのでした。
ともあれ、なんとか生きています。毎日凹み、毎日ただよい、毎日必死で、毎日新しく、毎日発見で、毎日恐くて、毎日楽しいそんな日々です。
土曜日、20年来の友人と会った。父のことがあったとき、どうしても連絡がとりたくて、けれど携帯メールは返ってくるし、電話も通じないしで、実家に電話したら、アメリカにいると言われた。実家から連絡がいったらしく、すぐに電話がきた。連絡をとったのは3年ぶりくらいかなぁ。そのときの彼女の電話は、本当にうれしかった。彼女は仕事を辞め、結婚してた。何も知らなかったが、それも私達らしい。葬式のとき、彼女の新しい名前が入ったお花は、私を強く支えてくれた。 そんな彼女と会った。なんつうかもう、彼女は彼女のままだった。中学受験の塾で小学校4年生のときに出会い、1年で彼女は違う塾にうつっていった。4年生のとき、特別クラスって感じで長時間拘束される夏期講習を私が受ける中、彼女は「夏休みなのにそんな長い時間塾にいたくない」とあっさり時間が短い下のクラスを選んでた。用意されたものや、周りの選択などではなく、自分の選択で常に歩んでいる彼女は本当にステキだった。塾は違いながらも、一緒の中学を目指し合格した。受験前に彼女は「生徒会長になる」と言ってた。それも彼女は実現した。クラスは違うし、部活も違う。何度か一緒のクラスになったかもしれない。けれど、同じグループみたいにはならなかった。 大学受験のときも、彼女は塾に殆ど行かなかったんじゃないかな。同じ大学を私達は目指した。発表の日、どちらが誘うともなく当然のように二人で一緒に見に行った。手をつなぎながら見たのを覚えてる。結局私は受験に失敗し、違う大学に入った。それは、私と彼女の関係からすると、私が裏切ったともいえるかもしれない。 彼女との関係においては、言葉もいらないし、共通の話題もいらない。同じ目標もいらない。ただ、互いへの要求に応えることで友情の態を成している。そして、互いへの要求とは、己の要求や目標を満たすことをお互いに欲するというところにある。だからこそ、私はここ何年か彼女に連絡をとらなかったのだと思う。私はここ何年か、私を生きている実感がなかったから。 ま、そんなことも一切話し合ったことなどないんだけれど。 彼女のお父さんが弁護士ということもあり、彼女も試験を受けその世界で働いていたが、あっさり辞めていたのには驚いた。どんなにステキな男性と知り合い、そして付いていったのだろうと会うまで考えたが、どうにもその光景が浮かばなかった。けれど会って、あああそうだそうだと思い出した。彼女の場合、アメリカについて行くステキな自分に付いて来いというのが正しい表現だ。 そんな彼女に「犬のしつけ方は参考になるよ」と旦那について言われた。だから私は「犬ってより、ハムスターに近いからハムスターのしつけ方を勉強するよ」と答えた。あたし達はいっつもこうだ。
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