度々旅
INDEX|past|will
念願だった仕事を知人からもらえたとはいえ、まだ一回。次に依頼が来るのはいつだろう。コンスタントに依頼が来るわけではなく、お金もかなり後からもらえるので、それ程悠長に次の依頼を待って今あるお金をつぶし続けるわけにもいかず、平行してできる何かを他に探さないとなぁと。 家でできるし、勉強みたいな作業だし、働いているのになんだか学生に戻ったみたいで、仕事してるのに遊んでいるみたいな感覚だ。知人がいろいろ考えてくれて、とりあえずは今のペースでやり始め、修行期間みたいなものだけれど、自分がやりたかった仕事にかかわれるってのはうれしいなあと思った。 そんな中、昨日は辞めた会社の若者歓送迎会に呼ばれた。なんだか私がやめる頃から、部署を超えた若者飲み会ってのができたのだ。ヨガの後だったので遅めに行ったのだけれど、先輩があたしの顔を見た途端涙ぐんでた。・・・やっぱりつらいんですね。一番いいときに辞めたと口々に言われる。うちの部署はあたしの他に1人いなくなり、1人入れ替わったとのこと。今まで実質的に作業していたのは4人だったのが、いまや2人。。。その上、人が入れ替わったりいなくなったのをいいことに、大イバリのオバサマの調子は絶好調らしい。ふぅ。自分の会社に早く戻ってほしいって人はなかなか帰らず、いて欲しい人は帰っていくのだなぁ。 先輩から、あたしの名前が出ない日はないと言われ、先日私が休んだ飲み会でも、あたしが送ったメールが読み上げられ、会社に送ったあたしのインド土産と手紙は部署に貼ってあるとかで、こんなに愛してるんだから戻っておいでよぉ!と言われ、ありがたいなあ、ごめんなさいって気分で過ごす。 うちの部署だけで、これからは定期的に同窓会をしよう企画がのぼっているとかで、その第一弾で北海道に行くことになった。ありがたいことにあたしも人員に入っており、バイトで1年もいなかったのに、なぁんて温かく迎え入れてくれてるんだと今は素直に感謝できる。そうそう、いる頃はかなりふてくされた日々もあった。先輩はあたしが経験したことを既に経験していたので、そんなときいつもフォローしてくれてた。彼女がいたからあたしはいれたわけで、彼女もあたしを必要としてくれていた。こういう女性に出会えてよかったなあと昨日ヒシヒシと思ったのであった。 そうして、なぜだか最後まで残り朝まで呑んでしまったのでした。
インドから帰ってきてから、ヨガやってて前よりなかなかいい瞑想ができてます。なんだかんだ言って、結構穏やかな気持ちで過ごしている証拠なんだろうなと。 英語の勉強なんて思いながら、旅中に会ったフランス人とメールのやりとり。かつては、ネパリーとのやりとりで、果たして会話が成立しているのか、お互いの語学力に疑問だったけれど、今回はなんとか成立しているようだ。日本人の人達からもメールが来て、彼らはすでに国内18切符をそれぞれ満喫しているとのこと。そうか、そういう季節だったわ。 ネットで少しだけ仕事探しするも、すぐ飽きた。 父が来月タイに遊びに行くらしい。ということで、たった20バーツ餞別にあげた。この20バーツ、ガンガーのそばで乞食ババからもらった。もらったというか、20ルピーと交換してあげた。インドでは最近、サドゥーのことをババと言うらしい。ババとはお金を交換した後ガンガー沿いで本を読んだ。かつてヒンディー語をちょとばかし習ったけれど、いまや文字しか覚えてない。けれど、文字を知っただけで、今回の旅はだいぶラクだった。バスに乗るのも、行き先を人に聞かずにわかるってすばらしかった。ババといえば、リシケシというガンガー上流の町にも行ったのだけれど、ここはキレイすぎて、暇だった。インド人にあまり声をかけられず、私の宿は私が泊まった日にオープンってことで、他に客がいないし、ツーリスト達はあたしの宿近くにはあまりいなくて、山と川を見てあと何もすることがなかった。で、そんな場所で唯一私が戯れたのも、乞食ババだった。 乞食ババがガンガー沿いで、焚き火をしててチャイを飲んでたんだけれど、あたしにまでチャイをくれたよ。それも、ババの飲みかけを。もちろん、飲んだ。 こんな感じで、日々の日記に混ぜながら、ちょっと旅を振り返りましょう。
気づけば、インドから帰ってきて10日以上経ってしまいました。帰ってきてすぐは、ここエンピツで、いろいろ書こうと思っていたのだけれど、インド呆けが抜けず、ぷらす元々の怠け性が出てきて、働く以前の生活に戻り、ワンデーワンスウィングってな感じで、今日は洗濯した、今日は役所に行ったと、牛歩のような日々を送っておりました。 ここ10日くらい、とことんだらだらしたー。久しぶりにだらだらした。しかし、かつてのだらだらは、常に研究のことがあり、そしてだらだらしつつも、やることはたくさんってことからの逃避のようなもんだったので、焦りばっかりだったけれど、この度は、仕事探さなきゃってことはあるとして、特にやらねばならないこともないので、精気のない生活に身を委ねてみた。 帰国直後、研究室で室員をやらないかという先生からの連絡があり、遠いし安いけれど、こんなに気楽な仕事もないとかなり迷い、そのおかげで、インドの余韻はあっさりふっとんだ。結局断り、それから、はて何から始めようと思い、ちょっと立ち止まり、だらだら生活に突入した。その間考えることといえば、ああ農業やりたいなだったり、ヨガをもっとちゃんとやりたいなだったり、夏が恋しいなあと思ったり。もしかして、一番あってた仕事ってテキヤじゃない?なんて思ったり。 私は、インドへ旅立つとき、お金以外に私を拘束するものは何もなかったはずなのに、openチケットで旅立てず、その上今までよりも短い期間で旅立った。向こうにいる間は、やっぱり帰るところは日本なんだなあって思ってた。向こうにいる間、大好きだけれど、やっぱり自分は向こうの文化にとって異物なんだなあと思ってた。異物だからこそ、心地良いんだなと思った。けれど、自分が生活する社会において異物になることはやっぱり怖いし、できないと思った。その気持ちが、私と社会を結びつけているものだろうと思う。そういうマイナスな気持ちで社会に再び戻るのは嫌なので、まあ、とことん何もせずに過ごして自分を観察していたわけだけれど、どうやら、ちょっとは速度を戻せそうな感じがしてきた。
|