度々旅
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2005年05月01日(日) 冷蔵庫

 今までの冷蔵庫は、大学に入り1人暮らしを始めた頃、大学傍のリサイクル屋で買ったものだ。かつて、いきなり温度が下がらなくなり、風がただ出ているということに何度かなった。コンセントを抜いて、1日くらいほっておいて、再びコンセントを入れると復活する。そうやって騙していたのだけれど、復活しなくなったので、一度修理に出した。それから数年。。。
 2週間程前から、同じ症状が出てきた。あぁ〜。まただ・・・。今回引越しをするとき、同居人の冷蔵庫と私の冷蔵庫、どちらを残すかということになり、最後まで物が入っていた私のものが残った。で、もう一つはリサイクルに出した。なのに。なんでさぁーーー。あっちを残しておけば良かったと落ち込む。
 リサイクル品だったので、私が使った7年+数年ということを考えるに、寿命だわと判断。とうとう、冷蔵庫を買い換える決断をした。
 同居人と相談して、新品にしようということになり、昨日買いに行ったのだけれど、冷蔵庫選びって難しいのね。今まで一人暮らし用のものだったので、確かに二人では小さかった。けれど、そんなでかいのが欲しいわけでもない。それに、機能も特別望んでいない。そこそこのサイズで、そこそこの値段って思っていたのだけれど、中くらいのサイズってのは、あまり置いていなくて、あったとしても、省エネ度がかなり低く、その上値段も安いわけでもない。そんなこんなで気付けば、かなりデカイものを買ってしまった。。。
 先ほど届けられた冷蔵庫を同居人と眺め、で、でかい・・・と呟いた。どう見ても、家族用だ。今まで入っていたものを入れたら、スカスカだ。この家で、冷蔵庫が一番偉そうだ。値段的には少々張ったが、省エネ度はかなり高い。たぶん、今までの一人暮らし用の半分以下の電気代だ。間違ったかなぁ、いや間違ってないと二人で何度も冷蔵庫を開けたり閉めたり。
 まぁ、何でも入れてしまえばいいや。パンツも冷やしてはくと気持ちいというしな。
 


2005年04月27日(水)

 だいぶ職場に慣れました。というか、バイト身分なのに色々なことをやらせていただけて、ありがたい。しかし、バリバリこなしている先輩が契約社員とは驚いた。うちの職場は、いろいろな会社から役員として短い期間派遣されている人が多いので、契約といえども先輩はそこではかなり長い人の1人で、とても私を心配してくれていた。何もわからないうちに担当の仕事を持たされ、次から次へと仕事を与えられている私を見て、アルバイトなのにそんなに仕事をさせられて。。。と心配していたようだ。どうやら、フルタイムバイトを本格的にうちの部署で雇うのは初めてなので、他の職員が私にバイト以上の責任を与えてしまっていることが、私に負担になることを心配してくれていたようだ。
 確かに、軽いバイト気分じゃ勤まらないなぁ、かつてのバイトと同じ給料とは思えないハードっぷりに、責任っぷりだなぁというのは正直な気持ち。けれど、一年という一つの区切りがあるので、その間に吸収できることはしてやろう、安いお給料なのは社会経験の無い私にとって勉強代みたいなもんだという気持ちでいられる。それに、気遣ってくれる先輩がいるってだけで、かなり心強い。バイトが一番主張しにくいお給料や、残業や休日等についてのわからないことを、すぐに察知して聞いてくれる。ああ、さすが契約で苦労しているだけあるわ。。。。
 そんな中、昨日は仕事で六本木ヒルズへ。展望台で外を眺めてるとき、仕事じゃなければ一生こんな所来てないだろうなと思った。こりゃ、本当に良い社会経験だ。でも、まさか働き始めてばっかりで、他の会社の人と接して名刺をもらうなんてことがあるとは思わなかった。他の会社の人に私を紹介するときに、うちに新しく来た・・・の後アルバイトって言葉を職員の人が言ってくれないのは、本当はチョットどきどきしてる。 


2005年04月23日(土)

 学部の頃の友達と会食。この間までは、現状への文句だったけれど、今日はもっぱらこれからのことが話題。
 社会の風に当たりながら、不安不安の嵐。30過ぎてから本当の勝負と思ったり、いやもう遅いと焦ったり。それぞれが、その間で揺れながら暮らしている。そういうお年頃。どこかに一貫性を求めつつ、それゆえに恐怖を感じ。憧れだけで突き進むこともできず。流れに身を任せているように見える私達は、ただ必死にもがいているだけで、それが結局どこにも辿りつかないのではないかという恐怖の日々。けれどもしかしたら、もがいてさえいないのではないかという不安。不安と恐怖が入れ子になり、不安定を引き起こし、安定を求め、再び不安に落ちる。結局、私達が対象とするものは何だろう。
 私達がやった学問はあまりにも大きい。私達は共に学生時代をすごしたが、一緒に研究をしたわけでも、議論したわけでもない。個々が何かを抱え、向かい合った学問。そして、それから離れたと思っていても、それを選択する契機となった感覚は消えはしない。そして、それゆえに結局生き方そのものにベットリと学問が染み付いていることに気付く。自分でいられないことへの不満は、自分を壊す。それが再び自分への嫌悪を引き起こす。そして、最後自分を愛しむのは自分のみだと気付く。
 複雑な心境を抱えつつ、それを解釈してしまい、解決を図ろうとする私達。理性と感性がいつも絡み合い、対立しあう。そして、どちらか一つにはなりきれずに、その間を私達はさまよう。言語にすることが困難な思いを、言語を借りて語り合う。
 さまよわない1人の女性のお腹には子供。魚がぴちゃぴちゃ跳ねているみたいだ。あ、手だ。足だとわかる。
 私達にはわからないことが多すぎる。自分の中にあるものさえもわからない。けれどお腹の中に生命を宿し、自分の中に何があるのかわかっている彼女は神々しかった。 


こげんき |MAILBBS

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