今更ですが、今年も宜しくお願いします。 いつの間にか正月もあっちゅうまに終わってしまい、明日から仕事ですよ。 KANさんのことがあり、 無意識に「喪中」だったので年賀状を書く意欲もなかった。 が、元日の星のお掃除様(?)のツイートを見て 今までの悲しみが浄化されたような気分になって このままメソメソウジウジしてはいかん!!今年は楽しい1年にしなくては!! と郵便局で年賀状を買い、勢いのままに出してきた。 (PCを新しくしたためにデータ移行やら諸々の初期設定で丸1日かかったけど…) それにしても、 KANさんって、最期の、その後までKANさんだったな。 自身の身体も大変だったろうに亡き後のファンのことも気遣って。 今まで芸能界にこんなことした人がいただろうか? この人のファンで良かったなと思ったし、自分の誇りだなと思った。 10月までラジオで元気そうに出演して、 もう末期であることは伝えないまま無言で去ってしまった。 (今思えば伏線ツイートはたくさんあったと分かる) 現実は嫌なことばかりだから音楽ぐらいは楽しくやらないと、と言っていた人だからこそ ファンに何も言わなかったけど、正直、ファンへ何も残していないとは思えないんだよな〜。 曲をASKAと要さんに託しているらしいけど、それ以外の何か。 元日のツイートもそのひとつだと思ってる。 この1ヶ月余り、KANさんの想い出にずっと浸かりっぱなしで 年末年始もひらすら10年分のラジオ録音の整理だったけど いいかげん日常を取り持とさないと!とそれなりに大掃除はした。 例年年末は体調不良で寝込んでいたので引っ越し後、初の大掃除。 年を明けても息子のプリント類を仕分けして廃棄している。 年末に1年越しで購入したラックを昨日組み立ててかなりすっきりした。 今日は今日でニトリにラック用のケースを買いに行った。 公園に行ったついでだったので息子連れで精神的にかなり疲れた…。 天井までの突っ張りラック、本当は大人2名で組み立てる代物だと思うのだけど 一人暮らしが長いとこういう諸々もひとりでこなせちゃうんだよな。 時々、男手があればと思うこともあるけど。息子の遊び相手とか。 そうそう、ボーイスカウトで雪遊びに行くことになりまして、 申し込んだものの憂鬱で憂鬱で…(出不精の極み) こういうアクティブイベントのみ男手がほしいと思う。 だからこそ嫌々ボーイスカウト入ってるんだけれど・・。 昔から雪遊びがしたい!と言われていて、 ごまかしごまかしにしてきたものの、良い機会だと思ってエイヤ!で申し込んだ。 日帰りだし。スキー合宿にでもなったら行けないから。 (ちなみに夏のキャンプはシレッとスルーした) スキーウエアは持ってるけどゴーグルがほしいらしくて、 それって大人も買わなきゃいけないんですか?っていう無知レベル。 夏も川遊び(カヌー遊び)で子供の身支度だけだと思って、 現地で、あれ?私も水着着用じゃなきゃいけなかったのね?って思った←普通にジーパンだった人。 毎度毎度、場違い感と気疲れがハンパねぇ…。(陰キャの極み) 帰ってラジオ聞きたい〜ドラマみたい〜って思う。 仕事以上に疲れる。 有給使おうにも、3日分しか残ってなくて、 しばらくの抜歯診察と、健診の再検査、 そして、息子の学校行事と通院で1回は休むだろうから 自分用の身体休めの有給は皆無。4月まで健康を維持必須。 それにインフルにでもなったら丸1週間出席停止でしょ。 看病となると親に預けるというわけにもいかないし 前回在宅だったので半休3日(1.5日分)で看護休暇を取ったけど 手取りが3万引かれてて生きていけないと思った。 今は在宅使えないから丸5日となったら激貧生活ですよ。無理。 春に探した併用の放課後デイサービスが図らずも 祝日対応だったお陰で本気で助かってる。神。備えあれば憂いなし!! 女性活躍!少子化改善!ジェンダー平等!というのなら 女がシングルになっても働ける環境を整えてほしい。。。 看護休暇で控除されたら生きていけないよ。看護休暇という名の欠勤やで。 ひとり親に+3日分ぐらい国で有休を増やす制度を作ってほしい。 それに、テレワーク推進も何で未就学前までなの? 保育園は18時19時まで働いてる時間は預けられるよね? 小学校は違うよね??14時ぐらいで帰ってくるよね?? むしろ必要なのはそっちじゃね??政府ってバカなの??って思う。 はいはい、いつも通り、麻生森あたりが生きてる間は無理だよね。わかってる。 何かを決めるときに女がいないとこうなるよね。 多少いても、男の虎の威を借る狐みたいな女議員が大半だろうし…。 地震のことについても憂鬱になるし、 Twitterに流れてくる性犯罪の刑の軽さとか、 ”弱者”に対する日本の冷たさにつくづく幻滅する。 と、こうやって現実にばかり目を向けていると例年のように 幸福度の低い一年になってしまうので今年は何事も楽しくやりたい! KANさんの訃報の前ぐらいから 実は自分の内面が前向きに成っていて、仕事も何も変わってないのにやる気に満ちていて、 やっと占いどおりいい感じの流れになってきた!!と思ってたんだけどね。 でも、今までの縁が切れたり、成長のための別れがあるとも書かれてたので KANさんのことを自分の成長につなげて行ければなと思ってる。 そしてKANさんが日常的に外国語を学んでいたように 私も日本のことだけじゃなくて、世界情勢とか色んな環境についても学んでいきたい。 先日読んだ奈倉有里さんがきっかけだったけど、 この方の本を読んでいるときにところどころにKANさんを感じることもあって それが心地よくてロシアの小説を読むようになったんだよな。 結局KANさんのことで何も手がつかなくなってしまったけど 今年も本をたくさんよんで、言語だけじゃなく違う国の文化も勉強していきたい。 では、今から年末放送されたモノマネ番組を見ることにします。 ほなサイババ。
KANさんのことで心は泣いているけど 心身ともにとても元気で毎日張り切って仕事してる。 訃報からしばらく食欲も減って夜もなかなか寝れなかったけど その割には体調は割りと元気。 仕事への意欲もむしろあるぐらい。 年末でいつになく忙しくて大変ではあるけど。 というのも朝からKANさんのライブDVDを聴きながら通勤し 昼はワビサビの過去録音を聴き、No Music,No Lifeな生活を送っているからかもしれない。 このコロナ禍、ずっとジャーナリズム的な「現実」ばかりを追ってたせいで 自分の”幸福度”が下がっていたんだと改めて実感している。 出産前のせっかちでイラっちで音楽漬けのマイペースな自分が本格的にカムバック!!という感じ。 そこにKANのように無駄に人に絡むように問い合わせしたりとか笑 「まず要さんの意見を否定するところから始める…」というKANイズム…。 この数年、現実ばかりを見すぎてたことがいけなかったのかもね…。 だって日本の政治なんて憂いたところで、、ってとこまで来てるもんね。 KANさんが生前「国のことは信じてますから」と仰っていて 「いやいや!今の日本は昔の政治から作られたもので、今の政治家じゃないから」って思ったけど あらゆる国へ飛び回って旅していたKANさんだからわかる日本も当然ある。 ただ、このきな臭い現状、早ければ5年後には戦争では?とすら感じているので ”日本が平和なまま”何処かへ行ってしまってKANさんは幸せだったのかもとすら思う。 平和を愛していたKANさん。 前にも書いた小原孝さんのラジオ「弾き語りフォーユー」で KANさんがカバーしたギルバート・オサリバンの「クリスマスソング」が流れて それが今になって胸に染みて、今年のクリスマスはずっと頭の中で流れていた。 巷ではKANのクリスマスソング2023が話題だったけれど…。 ”ホワイトクリスマスなんて夢見てないよ” ”僕が一日中夢見てるのは 平和なクリスマスさ” の歌詞に改めてKANさんの思想を見てしまった。 早速、図書館でギルバート・オサリバンのベストを借りてきて原曲を楽しんでいる。 これこそKANさんの「魅力」だと思うのよね。 好きなものをたくさん橋渡ししてくれる。好きを繋げてくれる人。 KANNさんといえば”オマージュ”という作風だけど、 風情のない人間はこういうのを「パクリ」という一言で片付けるけれど、 オマージュ的作品を聴いて原曲に興味を持つ人や 原曲を知っている人が聴いたときの「そうそう!それいいよね!」という喜びを共有できたり、 それが音楽の楽しみのひとりでもあると思うんだよな。 コロナもあってろくに音楽を聴いてなかったけど これからは音楽聴いて毎日楽しんで行こうと改めて思った。 ようは、 死ぬまでのヒマ、いかに楽しく潰せるかが人生のテーマですbyKAN 我が家のクリスマスちえば、 普通に実家でピザとケーキを食べて、 息子が寝たあとにプレゼントを用意し、平和に過ごした。 来年もこうやって平和なクリスマスを迎えられるといいな。
息子の希望で「ゴジラ-1.0」を映画館へ行ってきた。
アマプラで昭和のゴジラ、石原さとみの新作も眺める程度みたことがあるので 暇そうと思ったのだけど戦後という設定もあり大号泣だった。 ALWAYS三丁目の夕日の監督だったみたい。 KANさんが亡くなって改めて 「生きなきゃダメ」と思ったので余計に感動したのかも。 おとなりさんラジオで高橋優くんが神木くんを大絶賛していたけれど 納得の作品で大満足で帰ってきた。 しいていうなら、ちょい役でもいいから滝藤賢一を出してほしかったが。 訃報の翌日だったか、翌々日の朝だったか、 季節外れのプチトマトの苗にトマトの実がなっているのを見て、 命が亡くなり、また新たな命が生まれるのだな…と涙が出た。 今年は猛暑でプチトマトの苗は早々にダメになってしまったのだけど その苗から落ちた実を息子が鉢植に埋めたものが夏の終わりに芽を出した。 とくに肥料をやったわけでも水やりをしたわけでもないのに 生まれる命は生まれるし、いくら手を尽くしてもダメなものはダメなんだなと…。 ただ、一気に寒くなって、実が赤くなるのは微妙なところではある。 捗っていた読書もKANさんのことで全然出来なくなって、 それでも1ヶ月経って日常を取り戻すべく図書館は行っているんだけど 「100回生きたねこ」のアンソロジー小説「100万回分の1回のねこ」を見つけて借りてきた。 KANさんもまた別の世界のどこかで歌手になって、 私はまた同じようにファンになって…同じ時代を同じ世界に生まれて… そうであったら良いなと亡くなってからそんなことを思ったので。。。 さすが角田光代のところは号泣だった。 毎度のことだけどお子さんいないはずなのに親子の描写が本当に素晴らしい。 もし自分が亡くなってもまた息子を産みたいし、 いやもしかしたら来世は息子が私の親だったりするのかな?とか。 息子が買う昆虫にだけは生まれ変わりたくないが…とブラッシュアップライフみたいなことも考え、 いや、でも、また息子を産んで同じ世界で生きたいと読みながら思った ところで歯茎に埋まっている親知らずをいよいよ抜歯した。 食事もままならないし、口全体が麻酔をかけた状態が続いている。 神経にふれる部分なのでしびれが残るって説明されたけど、「消えない麻酔」みたいなかんじ。 下唇の感覚がなくて気持ち悪い。 そして段々顔が腫れてきて、下駄みたいに四角い顔になってきた。 要さんというよりは満腹ふとる(ウッチャン)のようだ。 マスクの時代で助かった…。 かかりつけの紹介で総合病院で抜いたんだけど(出血の関係で) 「いかにも総合病院の医師だな〜」って感じの冷たい医師だった。 個人病院のような「優しや」「サービス精神」がゼロ。 「ちょっと痛いですよ」「大丈夫ですか」「終わりましたよ」みたいな声掛けもゼロ。 もうそれはそれは強引にゴリゴリグリグリやって施術完了!みたいな。 アゴの骨をへし折られるかと思った…。(←冗談抜きで) 器具と手に唇が挟まって違う意味痛くて帰宅して鏡見たら唇に血豆できてたわ。 かかりつけ医に「優しい先生ですよ」と言われていたけど 穏やかでクールだけど、優しくはなかった。。。感情を出さない?冷たいというかんじ。 麻酔の注射も上手だったし、あっと今に終わったし確かに腕は良いのだろうけど人として以下略…。 こういうことがあるたびサービス系ITの端くれとして考えさせられるけど、 KANさんのことがあって色々考え方もガラッと変わった。 死んじゃったら言いたかったことも話したかったことも言えなくなるわけで、 私も人生折返し、このまま感謝も文句も言わずに死んでしまったら何も伝わらないと気づいた。 今までひとりであちこち行くのも平気で他人に気を使わないことも楽だったし、 仕事にしても気に入らないことがあっても自分が工夫すればどうにでもなると自己完結してた。 だけど、KANさんが晩年他のミュージシャンとコラボやらジョイントライブを積極的にやっていたのは ひとりだけで頑張るより、誰かと一緒に頑張ったほうがもっと楽しいと思ったんだろうと気づいた。 KANさんも譜割りとか全部自分で作り込む人だったけど それだけじゃダメだと歳を重ねて思うところもあったんだろうな。 その中でも特に要さんには我儘言ってたんじゃないかと思うけど。 要さんは、めんどくせーと呆れながらも付き合ってあげる人だからね…。 バランスのいい二人だったなと思う。 KANさんの独特の絡みづらい人柄wも要さんが間に入ることで中和されていた気がするわ。 私もKANさん40代後半から人との絡みを大事にしていたように 私もこれからは「よければ一緒に」というかんじで人に絡んでいこうかなと思ってる。 顔が熱を持ってきたのでそろそろ鎮痛剤を飲みます。 では股。 |