割りとドラマの影響を受けるタイプなので カムカムエブリバディの影響でラジオ英会話を聞いてます。 (そもそもラジオが好きというのもある) 昔と違ってスマホで聴けてしかも配信でいつでも聴けるのがとても便利や…。 仕事中も暇さえあればラジオ英会話聞いてる。 中学生英語とか小学生英語とかその時の気分であれこれラジオ感覚で聞いてる。 息子も英語教室に通うことになったし自分も英語に馴染もうと思って。 私の語学力的には中学生英語レベル1が一番わかり易い笑 でも結局日常で役立つといえばパッと日本語を英語に変えられないと意味がないので タイムトライアルをテキストを買ってしっかりやってみようと思っているところ。 前から書いているけど本当に”雑音”が苦手になって最近は耳栓代わりにイヤホンしてる。 静かなNHKのラジオ講座を聞くのが心がやすらぐのよ…。 なんていうか、もはやヒーリング笑 以前ほどではないけれど、日常のマンネリ感も何とかしたかったという理由もある。 先日小田切ヒロさんのYoutubeチャンネルのインタビューで 人生にマンネリを感じるのは、”全てをこなせてしまってるからでは”と話されていたんだけど、 確かに育児も一段落、マイホームも手に入って仕事もテレワークで刺激がない。 体調はさておき資格の勉強は割りと楽しかったのは事実。 試験が終わったら読書するんだ!ドラマ見るんだ!みたいな「適度なストレス環境」みたいなの。 (今回は花粉症の時期とかタイミングが本当に良くなかった) ITの検定も楽しいけど、結局パソコンは日常の延長なので新鮮味がない…。 で、寝る前にヨガをやろうとテレビをつけたら 偶然ハングル講座1回目が始まったばかりで「これは運命だ!」と思って録画して見てる。 いい加減、字幕を追ってドラマを見るもの時間が持ったないなと思って…。 司会も馴染みのあるKさんだしドラマを楽しめる程度に習ってる。 意外とハングル文字を書くのもの楽しい。 やっぱり何かを学ぶということは楽しいよね。 育児にしても常に学ぶことばかりだけど 何かを吸収して吸収したものを何かに返せたらいいなと思う。
息子、いつのまにか「マインクラフト」にハマってしまい、 Youtubeと言えば、ヒカキンからマイクラフトへシフトしている。 (でも最強なのはヒカキンがマイクラをゲームしている動画) 保育園から帰ってきて夕食ができるまでの間の30分程度動画を見てるけど 動画を見た直後に顔が真っ赤になっているのが気になる。。。 脳内が興奮しているのだろうか。耳まで赤くなっている時があるわ。 食後もやりたがるけど色んな意味で良くないので禁止してる。 (動画見たさに夕食を早々に切り上げて風呂直前にお腹へったと言い出す等々) なんとかメディア漬から離したいと 少し前にお絵かき遊びをさせていたときに、 私がひとりでカクレモモジリ(こびと図鑑)の落書きをしたら、 知らない間にその絵に息子が色鉛筆で色塗りをしたので褒めたら 見事に塗り絵にハマり、一時期は毎日こびとの絵を描かされてた。。。 そこから自然とマイクラのイラストに移行して、 マイクラの影響で用語?もイラストの横に添えたり文字の練習にもなっている。 マイクラが何なのか私にはよくわからないんだけど 「みて、ツルハシ!」だの「ピッケル」だの「鉱石」だの 私でも良く知らない用品の名前を覚えてはブロックでこさえているわ。 40年生きていて「ツルハシ」なんてビートだけし襲撃事件で初めて知った。。。 最近、つくづく驚くのがブロックで作る発想力に驚く。 難しいロボットみたいなのを作っても驚くけど、身近な動物でも 牛を作ればお腹の箇所だけピンクのブロックで乳を再現してたり 「よく見てるな〜」「そんな細かいところまで再現するんだ」と 大人の私が見てもちょっと感心してしまうものをチョチョッと作ってしまう。 初めてニューブロックを買ったのは1歳半の頃で、 当時は私が単純な赤いブロックで花を作ってあげる程度だったけど たった数年で、ここまで上達するとは思わなかったな。。。 息子は私の芸術性とは違った部分で芸術性に長けてると感じる。 私は見たものを描くのが上手なだけだったけど 息子は自分でイメージしてそれを再現するという「発想力」が全然違う。 (私は発想力やデザイン性が全然無かったので芸術系は諦めた) 本人は芸術方面はあまり感心なさそうだけど、 ものづくりは好きそうだから建築方面でも面白そうだな〜と思ったりする。 自然や理系でもいけそうだし、将来の職業に付いては実は全く心配してない。 人間関係でうまくいくかどうは心配だが…。 メディア漬も困るけれどそこから発展していろんなことを学んでいければいいなと思う。
ドライブマイカーのアカデミー賞の受賞、我が事のように実は嬉しかったりする。
日本アカデミー賞で主演を受賞したときも嬉しかったんだけど、 陽の目を見ない頃から見ていた西島さんが世界に認められたと思うと本当に感慨深かった。 好きでいてよかったんだな、私の目は確かだったんだな、という感覚かな。 男運はないけど男そのものを見る目は確かだったんだな、みたいな笑 偶然にも今日は西島さんのお誕生日みたいで、本当にめでたいづくし。 西島さんもいつの間にか50歳を超えてるって…。 そりゃ私も歳を取るはずよ。。。 濱口監督といえば”でっくん事件”の貰い事故で 国内では軽く無視されてたような扱いのイメージがあるんだけど認められて良かったね。 (私も「寝ても冷めても」は独特な空気感が無理で脱落したが…) Twitterでも手話のこととか、批判的な意見もあるようだけど。 ”彼らは自分が思う完璧が満たされてないものはすべて認めない” というツイートを見かけて「なるほど!」と思った。 手話が駄目、女相手のタメ口が気になる、と気分を悪くした人たちにとっては その部分が目について興ざめしてストーリーが入ってこなかったってことかな。 そういうふうに作品を受け止める人もいるのは仕方ないのかな。 ドライブ・マイ・カーって全国公開的な万人向けの映画じゃないだろうし。 障害を描くならこう描いて欲しかったとか、もっと深堀りしてほしかったとか、 社会的にも風刺が足らない、諸々思ったりする「気づき」ことが一番大事だと思う。 それを「批判」と取るかどうかはその人次第かな。 西島さんの「風の電話」にしても、純粋に良い映画だなと私は思ったけど あれを震災当事者の人が見たらどう思うんだろうかっていう不安はあるし勧めはしない。 ドライブマイカーに関しては未見なのでなんとも言えないけど 結局あれでしょ、本来、ロードムービーや映画ファンな人達だけが見るような作品が アカデミー賞取ったことで大衆的な作品しか見てないような一般人も見てしまった結果だよね。 世の中いろんな人がいるからね…。 私は元々ドラマも映画も好きだから東出くんや唐田さんが何しようが見たきゃ見るし、 新井くんが出ていた映画も普通にamazonで見たりするよ。 役者のプライベートとかどうでもいいから。 それは結局フィクションで創作物として楽しめればそれで良いってことで。 手話に関して当事者が嫌な気分になったのは当事者から見ると相当に拙いものだったんだろうし 消費されていると感じだのだろうけど それを言うなら私も自閉症が描かれている綺麗事作品は見ないもんね…わざわざ。 レインマンあたりは子供の頃にフィクションとして楽しめたけど今はな…。 昔、香里奈が主演していた障害者同士の結婚や出産のドラマもあったけど無理過ぎたし。 今となっては発達障害や知的境界線の事情も知るようになって 視点は少し変わったけれど作品として見ようとは思わないかな。 映画もドラマも”社会風刺”になれば良いと私は思ってる。 誰かに気づきを与えてそれで社会や誰かの何かを変えることが出来れば。 些細な部分のシーンが気になって批判するのは ヤフーのテレビのコメント掲載と同じよね。 そこだけ切り取って悪意をもって晒すようなことはしたくないかな。 それにしても、映画をみる余裕がないなぁ〜。 時間も、自分自身の集中力も、映画こそ余裕がないと見れない娯楽だなと。 |