あたろーの日記
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2006年09月27日(水) 100円、200円。

 旧暦8月6日。
 あちこちの部署で残業。深夜なのに、仕事メールのやり取りが続く職場(笑)。22時過ぎてるのに、メールを送った相手から即座に内線が掛かってくる(爆)。私のメールの書き方が悪かったせいなのですが。離れていてもみんな遅くまで残っているんだと思うと、心強いです(^^)

 今朝、チャリンコで出勤途中、ベンチに座っているホームレスのおばさんから、「ねえ、100円ちょうだい」と話しかけられた。たまたまiPodのイヤホンを外してたので声が聞こえたのですが、急いでいたので無視して5m位通り過ぎて、ふと思い直して戻り、リュックからお財布を取り出した。と、おばさん、「200円くれるかしら」と変更。「私昨日今日とパンひとつさえ食べてないの」。200円を渡すと、ひと言お礼を言って、ぷいと横を見てしまった。それもそうだ、向こうから別の人が来て通り過ぎていったのだもの。一瞬、え?と思ったけれど、確かに、見ず知らずの人からお金を貰っている姿を、たとえ見ず知らずの通行人にでも見られるのはあまりいい気分ではないだろう。でもそれ以前に、見ず知らずの私に、一か八か「100円ちょうだい」と声をかけざるをえないおばさんが気の毒だった。そういう境遇だから、ある程度は割り切って行動しているのかもしれないし、私が気の毒だなんて思うのも、相手にとっては余計なお世話なのかも知れないけれど。100円とか200円って、お財布に何万円も入っているときは、小銭じゃらじゃら、って感じに思えるけれど、ほんとうにお金がない時って、ものすごく大切に思える。私も昔はお財布に入っている100円玉1〜2枚を使って3日間どう生き延びようか、大根ならいろんな料理に使い回せるか、とか青ざめた顔で考えたことが何度もあったので、最初おばさんを無視しようと通り過ぎたとき、ふと、その時の自分が思い出されて、やるせなくなった。それで、戻った。
 そういう境遇にいない人は(自分も含めて)、ホームレスの人達の中には好きでやってる人もいるんだから、なんていう人もいるかも知れない。でも、他人がどういう事情でどういう苦労をしているか、なんて、周りから見ただけじゃ分かるはずがない。ともかく、世の中にはいろんな人や生き方や人生がある、ということしか言えない。。。
 朝からいろいろ考えさせられました。


2006年09月26日(火) 愛、少し。

 旧暦8月5日。
 今週はずっと深夜帰宅かなあ。
 会社が来月1日をもって合併するので、その関連の業務と半期決算が重なってるのでスパートかけてますが、終わらない(笑)。でもまあ、あんまりイライラしたり焦ったりしないように、笑顔で仕事していきたいです。今日は些細なことでちょっとかちんと来てしまった。で、それが他の人に伝播してしまった。あー反省。もっと精神的に余裕を持って仕事に臨みたい。
 
 職場でいつもコーヒーメーカーでコーヒーを淹れている。私と何人かで手の空いた人がやることになってます。で、時々ホットじゃなくてアイスコーヒーも作る。その時は、コーヒーポットに「This is ice coffee」と書いた付箋をぺた、と貼っている。昨日、私が書いて貼っているその付箋に、「愛、少し」と小さく書いて、「あいすこーしー」とふりがなふった人がいる。
 やられた。
 そんな風に書かれると、その付箋が濡れてもボロボロになっても、捨てることが出来ない。
 というわけで、コーヒーを飲みに来る人みんなが、「愛、少し」を毎日目にすることになる、当分。
 ・・・誰だか知らないけど(きっとあんまり追求しない方がいいんだ)、そういうことする人って、なんだか愛おしい。
 ・・・その人はおそらく、カフェで、「ご注文をおっしゃってください」と言われたら、ぼそっと、「愛、少し」って、言うんだろうな。っつうか、言ってみたいんだろうな。

ここんとこずっと風邪が治らなくてぐずぐずしている。PC画面ずっと見ているせいか、偏頭痛もすごい。身体が資本、ぐっすり寝よう。・・・なのに、今夜中1時過ぎ。目がランランと冴えて眠れません。とにかく布団に潜ってしまおう。


2006年09月24日(日) 読書の秋。

 旧暦8月3日。
 こんな気持ちの良い1日があるかと思うくらい清々しい空だった。
 夕方つっかけ履いて近所歩きながら、時々立ち止まっては空を見上げていた。すっきりした青い空に刷毛で掃いたような吹きさらしの雲が点々と。だんだん夕焼けになってきて、雲がオレンジ色に輝き始めて、綺麗で怪しくなってきて、それで一段と立ち止まる長さが増えて、なかなか自宅に帰り着かない。

 昨日久しぶりに神保町へ行った。
 ほんとに久しぶり。少なくとも2ヶ月は行ってなかったような気がする。平日は三省堂書店の開いている20時までに神保町に立ち寄ることはまず不可能で、休日も何やかやと予定が入っていたりして、ゆっくり神保町で足を止めることが出来なかったので、欲求不満にはなっていた。東京堂書店、小宮山書店、巌松堂、三省堂、古書モールなどを、ゆっくり回る。今回はこれと言って探している本もないので、気楽だ。探しているタイトルがあるというのは、その分野についてひどくどん欲になっているということだから、幸せな気分ではあるけれど、そういう探し物がなければないで、それもまた楽しい。どこにどうぶつかるか分からない面白さがあるので。
 昼前から結局夜20時くらいまでうろうろしてしまった。昼ご飯食べそびれて、まあいいか、と思っているウチに夜ご飯の時間になって。慌てて帰宅。だけど、ものすごおく満足した。神保町である程度の時間を過ごさないと、世の中から取り残されたような気がするのは、私だけではないだろう、と思う。
 買ったのは、古書では『折口信夫全集第15・16巻』(中央公論社)の2冊と、新刊書店で、『The Prophet』(Kahill Gibran)、『Frowers For Algernin』(Daniel Keyes)、と『本の雑誌』10月号、『週刊読書人』(9月25日号)。
 折口信夫は中公文庫のほうで民俗学関係を持っているのだけれど、こちらのシリーズでも欲しかったので、古書店で、ボロボロの函に入った2冊が、出してみるとピカピカ、しかも昭和42年の注文伝票が挟まれたままで、どうやら書棚に入れられたまま読まれずにいたのだろう、これが1冊500円なのだから、ありがたくないわけがない、嬉々としてレジに。しかも、昭和42年の版だから、当然、旧仮名遣い、これも嬉しい。旧仮名遣いをすらすら読めるわけではないけれど、私はどうも旧仮名遣いフェチのようだ。筆者の息遣いは書かれた当時の仮名遣いでないとなかなか伝わらないのではないかと考えるほう。。。
 職場で私に本についていろいろご教示下さる方が、先日朝日新聞の切り抜きをコピーしてくださった。大江健三郎がそこで、翻訳を読んで、特にしっかりと読みたいと思った本の原書を手に入れ、原書を真ん中に、両脇に辞書と翻訳を置いて読み終えたときの、全身運動をした後のような爽快感とその大切さについて書いている。なるほど、と思い、三省堂書店の洋書売り場に行くと、Kahill Gibranの『The Prophet』があった。邦訳では書店では目立たない、探すのもちょっと骨が折れるかも知れませんが、『預言者』(佐久間彪訳・至光社)という小さな手の平大の本になっています。この本は、宗教的なものを超えて、私の精神的な支えになっていて、いつもバッグに入っています。だから、元はアラビア語で書いたものを筆者が英語で書き直したこの本を、原書でじっくり味わってみたいという気持ちになった。原書も薄くて、英語力のない私にそう負担を感じさせない。
 と、有名な『アルジャーノンに花束を』の原書。しばらく邦訳を読んでないけれど、だいぶ前にひどく惹かれて何度も読み直した記憶がある。だから、大まかなストーリーは頭に入っているのだけれど、主人公のチャーリーの気持ちを、原書でじっくり追ってみたくなった。今日の午前中、しばらく読んでいたのですが、分からない単語とか言い回しどんどん出てくる。だけど、分からないのが苦にならないほど、やっぱり原書も面白い。なるほど、私には、邦訳をまず気に入って何度も読み返してから、原書を繙いてみる、というのが合っているのかも。大江健三郎氏と違って、辞書を引きながらということをしていないのですが、それはそれで、メリットもあるよな気がします。
 だけど、思うのは、今になって原書読もうとか張り切るんじゃなくて、もっともっと早いウチからそういうことをやっておけば良かったなあ!ということです。まあ、昔と違って今は、英語を制覇してやろう、なんて受験生みたいな張り切り方ではなくって、ずいぶんのんびりと、まあ話して通じればいいや、まあ読みたい物を楽しんで読めればいいや、程度のテンションなので、ずっと気楽なのですが。
 あ、で、先月買ったNHKのビジネス英語テキストとCD、マイペースで時々思い出したように聴いています。もう来月のテキストが発売されているのだけど、それは買わない。とうていついていけないもん、私の能力じゃ。じゃどうするのかというと、1ヶ月か2ヶ月おきのペースで買うことにしました。毎日のレッスンに必死についていくよりも、同じレッスンを繰り返ししつこくやっていくほうが実になるかなーと思いまして。邪道ですが。


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