あたろーの日記
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2006年05月03日(水) 勿体ないので。。。

 旧暦4月6日。
 いい天気。外が明るいので自然に目が覚めた・・・と思ったら、部屋の灯りつけっぱなしで、眼鏡を掛けたまま寝ていたことに気づく。こういう朝は眠りがすこぶる浅くて、電気代も眠った時間も勿体ない。
 『バレンボイム/サイード 音楽と社会』(みすず書房)『フラワー・オブ・ライフ第2巻』(ドランヴァロ・メルキゼデク著/ナチュラルスピリット)を読む。どちらも再読。どちらも多くを与えてくれる本。明日も続きを読もう。
 夕方は自宅近くをジョギング。いい汗をかいてすっきりしたところで銭湯。今夜はお酒なし。ご飯と野菜たっぷりの鍋。この連休は毎晩ちびりちびりと晩酌しようと思っていたのですが、そんなに呑みたくない気分なのでやめ。晩酌しちゃうと、寝るまでの数時間、しらふの時より明らかに思考能力低下する。せっかくの連休、毎晩呑んでいたら勿体ない。・・・と、めずらしくまともな考え。
 と思いながら、夕ご飯食べつつヤフーのオンラインシアターで『リーサル・ウェポン』を何気なく見始めたら面白くなって最後まで見てしまった。
あーあ、酒断ちした意味ないじゃん。でも、メル・ギブソン格好いいなあ。
 こんないい天気なのに、家の中に閉じこもっているのは勿体ない。今日は勿体ないばかり言ってますが・・・。でも勿体ないので、明日もこんな天気なら、水筒にお茶入れて、街の天然酵母のパン屋さんで美味しいパン買って、緑の多いところに行き、そこで本を読むことにしよう。
 


2006年05月02日(火) 明日から連休。

旧暦4月5日。
 会社で、よその部署の部長さんに、「『OUT OF PLACE』って知ってる?」と聞かれる。5月に公開される予定の、エドワード・サイードに関係する映画なのを知っていたので、「サイードですね」と答える。驚いたことに、その方は、去る4月29日に九段会館で行われたその映画の完成記念上映会&大江健三郎講演会に足を運んだとのこと。うわー、そうでしたか。その頃私は、不忍通りの往来堂書店でくだんの『OUT OF PLACE』と同名の本、つまりは映画のシナリオやサイードの未公開インタビューなどを収録した本を手に取り、この連休はサイードをもっと徹底して読もう、などと考えていたのでした。面白いシンクロニシティだ。と、廊下でひとしきり、サイードの話で盛り上がる。「同じ会社にサイードの話が出来る人がいたとは」と、その方も驚いていたが、私も同じく。映画の公開が楽しみです。
 日本人はもっとサイードを読むべきではないかと思う。パレスチナの歴史を知らない日本人が多すぎる。イスラエルはイスラム教だなどという大間違いを平気で口にする大人もいるくらいだから呆れる。日本人は平和すぎる。自分の故国が確実に存在しているということのありがたさ。もちろん、サイードの言わんとしていることは、それだけれはないけれども。
 
 夜は近所の居酒屋で過ごす。店の戸を開けたとたん、奥のテーブル席から、「あっ、きたぁっ!!!」とでかい声が飛ぶ。・・・それはこっちの台詞です(またいた・・・)。近くの建設会社の社員のおじさんお兄さん達が、週末になると作業服で呑んでいる。6,7人くらい。まあ賑やか。怒号、けんか腰、笑い声。要するに、おじお兄さん達も、私もそれぞれ常連さんなので、何度か店で顔を合わせている。けれどせいぜい、どちらかが店を出るときにちらっと挨拶する程度で、別に一緒に呑むわけでもなく、ただ、ああいつもの顔か、って感じだ。だから、私が店に入ると「あっ、きた!」とつい大声が出たらしい。へんなの。でも、笑ってしまう。
 みんな声がでかすぎてウルサイのだけど、自分に関係ない話でもりあがっているので、雑音は不思議とBGMになり、こちらも呑みながらじっくり本のページをめくる。
 おじさん達が帰って、店がしーんとなると、お店のおばさんと人生談義。人間関係について、いろいろアドバイスを受ける。話がはずんで、気がついたら夜中近くだったので、慌てて帰ってきました。
 さあ、明日から連休だ。。。


2006年05月01日(月) 暑い1日。

 旧暦4月4日。
 暑かったなあ。。。
 朝天気予報をチェックして、今日は7月並の暑さになるとのことだったので、半袖のTシャツでチャリに乗る。それくらいがちょうどいい感じ。で、暑かった暑かった。これを書いている今も暑くて、自宅ではもう半袖短パンですわ。だけど、明日はぐっと気温が下がるとか。やめてくれぇ・・・風邪引かないようにしなきゃ。
 
 ここのところ、自分がどうしてここに存在しているんだろうって、ずっと考え続けている。いろんな本を読んだり歩いたり走ったりご飯食べたりしながらとぼとぼと考え続けています。日本という東京という会社という狭い範疇の中での私でなくて、性別や名前や容姿とかそういう後から自分にくっついてきた要素も取り払って、自分の核のようなもの。それがどうして存在しているんだろう、と。
 自分がどうして今存在して、こうしてあれこれ考えているのか、そのこと自体がまずもって大いに不思議でしようがないです。
 うーん。。。


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