あたろーの日記
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2006年03月05日(日) スピリチュアルって???

 旧暦2月6日。
 そういえば先週のいつだったか、夜寝る前に布団の中で何気なく携帯電話のテレビをつけたら、この2〜3年本屋にやたらと著書が平積みされているお兄さんが出ていて、某俳優と一緒になって、名前知らないけど若いタレントに向かって、あーたの前世はどうのこうの、だから今のあなたはどうのこうの、見えます見えますあなたが前世でどうこうしているところが見えます、などと話していて、言われているほうのタレントははぁはぁとやけにかしこまって聞いている場面だった。あとで調べてみたら、オーラのなんとかっていう番組で、ひえ〜、今こんな番組テレビでやってるんだ!と、心底びびった。で、今日ネットのライブ情報を見ていたら、このお兄さんの講演会?のチケット情報も掲載されていた。日本各地に飛んで、それぞれ7500円くらいのチケット代らしい。書店に行けば、「スピリチュアル」と冠した著作がずらり。
 こういうのって、おかしいんじゃないか、と思う。私は前世を否定はしないし、オーラやチャクラや人や物のエネルギー場があるのは当たり前だと思うし、その他諸々、目に見えることや科学によって立証されることだけが真実だとは露ほども思っていない、むしろ人間はまだまだ自分たちの認識できる世界しか知らない或いは知ろうとしないちっぽけな存在だと思っている。だから、このお兄さんがメディアで言っていることは嘘だとかまがい物だとかって言うつもりはないのですが・・・でも、なんかおかしい、と思う。なんでこのお兄さんこんなにメディアに頻出しているのか。はっきり言って、自分のやってることをショーにしてしまう人とその人を担ぎ出している取り巻きを見破る力が、今の日本人には絶対的に不足している、と思う。政治をショー化して国民がボケッとしている間にいろんなぐちゃぐちゃを作った小泉首相とか、お金儲けをショー化してあくどいお金をゴロゴロ転がしていた堀江前ライブドア社長とか、自分の人格は棚に上げ占いと説教をショー化してテレビという衆人環視の中で人をこき下ろして縮こませることで人気を得た細木和子とか。「行動・断言(強弁・妄言)」「金儲け」「説教」と、メディアの前で自分のしたくてもできないこと、しちゃいけないんじゃないかと怖れていることを堂々と肯定してやってくれるシンボル的な人物を、異常なほどよってたかって持ち上げるのが最近の傾向のような気がして、なんだか怖いなあと思う。こういう人がみんなの前に頻出して人気を得ることが出来るには、その人自身の実力や魅力や努力云々もあるにはあるのだろうけど、それ以上に、その人を担ぎ上げることで自分たちも利益や恩恵を得ることが出来るという多くの周囲がいることを忘れてはいけないと思う。たとえば出演させれば視聴率が上がるから番組を作る人はその人を出すのであって、決して、テレビに出てるからその人が正しいことを言っているとは限らない。当たり前だけど。
 ・・・今、書いているうちに自分が怒りまくっているのに気がついて、ちと恥ずかしくなりました。と言いつつ、ここまで書いちゃったので消さないでおこう。読んでいて気分が悪くなったらごめんちゃい。
 と、最初の話に戻るのですが、あのテレビ番組を見ていて、強く感じたのは、ああいう風に、現在の人間関係や諸々の人生問題を、前世がこれこれこうだったから、などとテレビで言っていて、まあテレビ番組なんて作り手の編集の仕方でいかようにも趣が変わるのですが、でもテレビを見る側はそこまで考えながら見ない、どころか、画面でああいうことを言われたら、ああそうか、そうなんだって素直に納得してしまうことも多いと思う。となると、今の自分の問題=前世のせい、なんて単純に思い込めばこんなに楽なことはないわけで、そこで安易に前世問題で片づけてしまう人も出てくると思う。例えば夫が暴力をふるうのは前世で母親だった私が彼を見捨てたむくいなんだから我慢しよう、とか。そりゃ前世からのカルマというのも大きいかも知れないけど、人生そればかりではない、もっと地に足をつけて向き合わなきゃならないことは日々押し寄せるのだから、それに対処して成長していくためにはどう日々学んでいけばよいのか、となると、ああいうふうに、テレビ番組で有名人がそれは前世からの云々です、と断定的なことを言っていて、それは事実の断片でしかないのに、さもそれが100%であるかのように視聴者に届けられている、って、すごく無責任で危険じゃないかと思う。
 地に足をつけた生活と霊性とのバランスはとても大切だと思う。でも、霊性というのは人それぞれに探究や気づくことの度合いは異なると思う。生まれながらにしていろんなことに気がついている人もいれば、様々な問題にぶつかり苦しみながら、ひとつひとつドアを叩いて行く人もいる。死の間際にすべてを悟る人もいると聞く。人それぞれに進み具合や深さの度合いが違うのにも意味がある。だから、いきなり目の前にショーが繰り広げられて、その道の権威だか有名人だかに言われて、信じなきゃいけないような気にさせられるのは、不幸なことじゃないかと思う。それが突破口になって自分の霊性について考える糸口になるならいいけれど、考えることなしに受け入れてしまうなら、恐ろしいと思う。誰しも何らかの悩みや苦しみを抱えていて、どうにかしたいことをどうしたらいいかとさまよっているもんだと思う。その中のどれくらいの人達が、「スピリチュアル」とか「前世」とかという言葉を頻繁に口にする有名人の本や番組に見入るのか分からないけど、発信する側の有名人は、そういう人達をこの先どこに連れて行こうとしているのか、すごく気になる。


2006年03月04日(土) 予期せぬできごと。

 旧暦2月5日。
 朝からよく晴れて気持ちのいい休日。午前中、ネットのニュースで、横山めぐみという女優さんの名前が出ていたので、どんな人だっけ?と、検索してみると「真珠夫人」が出てきた。あー、そういえばそんなドラマが少し前に話題になっていたような・・・と、「真珠夫人」のサイトに行って、粗筋を読んでいったらいつのまにかはまってしまった。第1話から第65話まで順を追っておおまかな話の筋が載っているのですが、それを全部読んじゃったわけです。すげえ。。。どろどろ。これ、確か昼のドラマだったんですよね?粗筋読んだだけでは「なんでこーなるんだ!?」と登場人物達の行動に理解不能・・・なのにはまってしまいそう。しかし、たとえ時間があっても私には連ドラを見るのは無理です。たぶん続かない。。。
 予定外のことをしていて時間がギリギリになってしまい、慌てて家を出る。午後は小唄のお稽古・・・久々だったのですが、実際はお稽古ではなくて、高齢でお稽古にみえるのが難しくなってきたお師匠さんを考慮して、今後のお稽古態勢をお弟子さん仲間で話し合ったのでした。
 芸事の世界はそれこそ「真珠夫人」の世界じゃないけどやっぱり私の知らないコトだらけで、私なんてまだまだまだまだベイビーみたいなものなので、先輩弟子の方々の話にいろいろ驚愕する。くらくらする。・・・ここは再びお師匠さんに元気になってしゃきしゃきとお稽古つけて頂けるように、私も今後は精進しなきゃ、と、心を入れ替える。不肖の弟子ではありますが、今までお師匠さんの優しさに甘えてお稽古サボってばかりいたのを反省。週に何回かは三味線に触ろう。

 帰宅途中、電車のドア脇に立って本を読んでいたのだけど、途中駅で乗車して私の目の前に立った人が、なんと昔々付き合っていた人だったのでびっくりした。しかもお互い同じ駅で下車。実は最近、自転車通勤じゃなくて電車通勤が続いているため、彼らしき人の後ろ姿を駅で何度か目撃している。駅の階段上がりながら、なんか似た感じの人がいるなあとは思っていた。しかしまさか本人だったとは。実は2年ほど前に何故か上野駅ですれ違ったこともある(相手はたぶん気づいていない)。けれども、てっきりもう東京には住んでいないだろうと思っていた。どころか長く海外にいたはずなので、まだ日本には帰ってきてないかも、とも思っていた。それがどうして同じ街に住んでいるのか、なんともまあ、偶然ですが。相手もきっと、私が自分と同じところに住んでいるとは思ってもいないでしょう。
 予期せぬシチュエーションにどう行動してよいか分からず、結局気づかぬふりをして話しかけなかった。駅から出て歩く方向まで同じだったらどうしよう、と思いながら地上に出て、彼が自分と逆方向に歩いて行くのを見届けてから、自分も家路についた。


2006年03月03日(金) むっつりん娘の夜。

 旧暦2月4日。
 仕事を終えて神保町に立ち寄る。三省堂書店に入ったらすでに閉店の音楽が流れていた。あ、そうだった、なんてボケてるんだ私。閉店時間を1時間間違えてしまった。『みすず』を買って、入り口で『ちくま』の最後の1冊(?)を貰ってすぐに出てきた。最近筑摩書房のPR紙『ちくま』をなかなか入手できずにいる。書店に置かれてもすぐなくなってしまう。それだけ人気があるんだろうなあ。確実に手に入れるためには購読料を振り込めばいいのですが、そうしようかなあどうしようかなあ、とずっと迷い続けている。・・・ならいい加減振り込んじゃえばいいのに、タダでも貰えると思うと・・・貧乏性なので。

 ウチの近所で呑もうと思ったら、いつもの居酒屋は定休日だった。ふつう金曜の居酒屋は稼ぎ時のはずなんだけど、ここは曜日じゃなくて決まった日にちに休みなので、時たまこんなことも。しようがない、どうしようかなとちと迷って、ちょっと離れたところにある店に行く。自分がうっかりしていたのが悪かったのだけど、いつもの席でいつもの肴と呑み慣れた味のお酒を頭に思い描いて帰って来たら、看板も提灯も真っ暗、というのはちょっと衝撃的だ。はっきり言ってうろたえる。こんな時おっさんやおにいさんなら躊躇せず別の店に飛び込めるのかも(いや、案外飛び込めないかも?)だけど、私は徒歩圏内の相性のよい店が限られてしまっているのを身にしみて感じているので、その隠れ家のような一番好きな店が閉まっていると、とぼとぼともう1軒の予備の逃げ込み場に向かうしかない(だったら帰宅すればって?そうです。。。)。
 何度か訪れて、ちょっと賑やかだけど居心地は悪くない店。串ものの種類も多いし、安いし、店員さんも雰囲気がいい。カウンターの隅っこが空いていたのでよかった、と座る。と、カウンターのもう一方の隅に座っていた私と同年代らしい女性が、店員さんとわいわいおしゃべりしながら、しきりにこちらを気にしているのが分かる。お互い女同士1人で来てるからかなー、私が入ってきた瞬間から興味を示してくださって。。。たぶん、目を合わせたらすぐ会話が始まるんだろうけど、申し訳ない、こちらは人と喋るのがしんどくなっているので、あえて視線を向けないようにする。ごめんなさい。
 今週はごくごく私的なことで、ちょっとしんどいことがあった。でも、わざわざ人に喋ってどうとなることでもなし、それに、口にすることでかえって複雑で重くなりそうで(そういうことってありますよね)、だけど、会社がちょうど月末業務等でどたばたしてたので、そのどたばたでだいぶ気が紛れて助けられた。1人で家にこもっていたらきっとドヨ〜ンとなっていたかもしれない、外に出ていろんな酸素吸って吐いて脳味噌のいろんな部分動かして、そいでじたばたしてたら、問題の別の顔も見えてきて、自分の中で納得できる形に変化する、ような気がする。
 空になった中ジョッキやお銚子に、自分の捨てたいものをぶはーっと吐き出してしまう。もしくはカウンターの隅に、まるまるまると雪だるまのように太らせてまるめて転がして店を出る。
 もしくは・・・。
 私が店を出たあと、カウンターの隅っこに、むっつりん娘の影絵がいつまでもお銚子傾けてたりする。
 
 


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