あたろーの日記
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2006年03月02日(木) 久世さん死去。

 旧暦2月3日。
 演出家の久世光彦氏死去。
 『向田邦子の恋文』、ほんとにいいドラマだったなあ。久世さんを知ったのはだいぶ前、まだ20代の頃に買った向田邦子の料理を再現した本。久世さんは写真と一緒に向田さんの回想を載せていた。向田邦子という作家と人柄にほんと惚れていたんだなあと感じた。
 3月10日はちくま文庫から久世さんの本、『美の死 ―ぼくの感傷的読書』が出るので楽しみにしていた。そんな直前の訃報。
 ご冥福をお祈りします。

 このところ、自分と現役の女性作家の小説をもっと読もうと思っています。友人に教えて貰ったあさのあつこ、それから昔ちょっと読んだことのある山田詠美や川上弘美、といった方々の。ことばの拾い方がみずみずしい。感性が鋭い。私はどうも渋系の本を読んでしまうのですが、たまに同世代の方々の作品を読んで、よい刺激を得たい。なんでこんな風に書けるんだろう、と、羨ましくなってしまう。。。
 
 明日は金曜日。仕事帰りに近所の居酒屋でゆっくり本を読みつつ晩酌するひとときを持てるといいなあ。。。
 


2006年03月01日(水) ちとへ理屈。

 旧暦2月2日。
 昨夜妹から聞いたてっちゃんの話がずっと頭から離れず、ぐるぐるとてっちゃんの最期のことを思っては、涙が出てしまう。
 てっちゃんはウチの家族にとって、一生忘れられない犬になった。

 ざあざあ降りの雨。
 夜、自宅最寄り駅から外に出て、近くのコンビニの傘立てにビニル傘を突き刺して、店内に入り、牛乳とパンを買って出てきたら、傘はもうなかった。店内にいたのは2分位なのに、その間に、誰かが持って行ってしまった。私が傘立てに傘を刺した時、ビニル傘は他になかったし、店内のお客も2人位しかいなかったので、傘を間違えて持っていくことは考えられない。となると、すぐそばの地下鉄駅から出てきた人が、ぷいと持っていってしまったのか。ざあざあ雨を前にして、一瞬途方に暮れたけど、まあ、仕方がない、世の中こんなもんだよな、と、ダウンジャケットのフードをかぶって走り出した。
 自分がよくても、自分の代わりにずぶ濡れになる人がいるんだけどな。そういうの、分からないのかな。そこまで考えが及ばないのかな。と、走りながら思ったけど、頭に来てもしようがない、むかついたままでは自分が損するだけなので、黙って傘を持っていった人に対して怒りの気持ちを持つことはやめにした。
 昨日の朝、アパートのそばのごみ置き場にごみを出しに行ったら、同じく近所の人、自分より少し年上らしい男性が出勤がてらごみを出しに来たので、「おはようございます」と挨拶をしたのだけど、完全に無視された。一瞬腹が立ったけど、まあ、世の中こんなもんだよね、と、自分で自分に言い聞かせた。
 人を非難したってあんまり意味がないことも多いと思う。自分も気づかないうちに、或いは意図せずして、人に嫌な想いをさせていることも多いと思う。意図せずどころか明らかに自分の行動の結果人に迷惑をかけたと思うことも数知れず。
 それから、最近、怒りのエネルギーを抱え込むより、それをもっと違う方向に活かしたい、と思うようになって、実際それが出来るようになってきた。何か不当なことをされた時、相手に自分が不快になったと伝えてただして貰えるならいいけど、それがままならないなら、いつまでもマイナスの感情を抱えていても仕方がない。相手にいつか罰が当たればいいなんてことを考えるのもまた自分にとってよくないことだし。他人の悪口を誰かに吐き出して自分の正当性を主張しても、その時は気持ちよくても後で絶対気分がよくない。マイナスの感情を吐き出しても結局マイナスの感情が戻ってくるだけだし。・・・ほんとうは、自分が過敏になって、疲れてしまって、後ろ向きの考えや話題に流されたり押しつぶされてしまうのが怖くて、というのもあるかもしれない。
 それより、自分の見方を変えて、今自分に起こっている出来事が、自分にいったい何を教えようとしてくれているのかを考えるほうが、自分のためになるし、ちょっと楽しいかも、という心境になっている。
 まだまだ自分は、考え方が甘くて至らなくて、という部分が多いのだけど、せめて、昨日よりは一歩でも二歩でも成長している、ちょっとでも違う人間になっていたいし、自分の今の状況も、自分の将来も、思う方向に少しずつでも変化させていきたいです。
 一歩先の自分や自分の置かれた状況を作り出していく一番の要素は、自分の考え方や想いなんじゃないかなあ、と思う今日この頃です。
 ちと偉そうに理屈こねてますが。。。


2006年02月28日(火) てっちゃんのこと。。。

 旧暦2月1日。
 私がこの日記を書き始めてから、3年以上、年に3〜4回自宅でごきに遭遇するほか、道端で何度かお会いしている、その度に、それから昔話としても、ごき話がこの日記に何度も登場している。思うに、この日記のごき話を集めると、小冊子くらいの量になるんではなかろうか。
 と、そんなくだらないことを考えていたら2月ももう終わってしまう。
 
 職場の書物の大先輩から、車谷長吉氏の本を沢山戴く。ちょうど、『文學界』3月号の氏の航海記を読んでいて面白いと思っていたところだったので、すごく嬉しい。読むものを戴くということはなんと有難いことか。
 
 また、職場の人が1人退職。月末って、そういうことが多いから、やっぱりさみしい。最近すぐ、胸が詰まる。
 
 会社でとんでもないミスをしてしまった。ふつうこんな大ボケはしないだろう、と思うようなことをやっていた。ああまただ、しかも今度は上司の責任問題も含めて、ただではすまされない、なんらかの処分も覚悟して、実は先の週末は落ち込んだり、いじいじ考えてもしようがない、と諦めたり、の繰り返しだった。こんな役立たずはもうクビだろうなあとまで思っていた。しかし、私が心配症で考えすぎたのか、問題がそう大きくなることはなく、でも私が思うに私の完全な落ち度なのに、上司や周囲の人のフォローで、その後の手続きは大事に至らずに進められている。ほんとうに申し訳ない、と思いながらも、上司にも、同僚にも、いつも助けられながら仕事していける環境に感謝の気持ちが湧いてくる。今回のことだけじゃなくて、自分は、毎日毎日、どんな小さな場面でも、例えば誰かとすれ違って挨拶や笑みを交わすだけでも、いつもいつも、周囲の人に助けられているんだと思う。
 
 今、田舎の妹から電話があった。日記を書いている途中だったのだけど、しばらく話していた。
 先週の日曜の夜中に、酔って喉が渇いて水を飲みに台所に行こうと階段を降りていたら、転げ落ちて救急車で運ばれ、頭を縫う大怪我をしたそう(心配させまいと私には誰も教えてくれなかったのだけど、あれから1週間以上経って検査結果も無事だったので、今本人から電話があった)。まったく、酔って階段から転げ落ちるなんてマヌケすぎる。・・・その、妹が救急車で運ばれたのと同じ夜中に、妹の住む家から車で1時間ほどのところにある実家の秋田犬、てっちゃんが老衰で朦朧とし始めたので、父の車でかかりつけの動物病院に運ばれたそうだ。・・・それから約1週間後に、てっちゃんは意識がほとんど戻らずに病院で最期を迎え、妹は病院の検査結果が出て頭部に異常はないと確認された・・・。
 妹とてっちゃんが同じ日のほぼ同じ時刻にそれぞれ病院に担ぎ込まれて、・・・てっちゃんが妹の身代わりになった。てっちゃんが身代わりになってくれたんだね、と、母と妹はそう話し合ったそうだ。妹が私に電話してきたのは、自分が怪我をした話をしたいからではなくて、てっちゃんが自分の代わりに天国に行ってくれたことを私に伝えておきたかったからだ。
 実家には常に犬や猫が何匹もいて、だからもう何代にもわたっていろんな犬達や猫達と暮らしてきて、それぞれに個性があってさまざまな思い出をくれたけれど、みんな、別れ際に、決して忘れることの出来ない形で最期の想いを遺していく。だけど、今回の、てっちゃんのようなことは初めてだ。・・・妹は今は実家から離れているけれど、結婚前はてっちゃんが幼い頃から散歩に連れて行き、遊んだり、ごはんを世話したり、それこそ噛まれて救急車で運ばれたこともあったけど、てっちゃんのことをもの凄く可愛がっていたし、てっちゃんも相当妹を信頼していた。・・・犬や猫や他の動物と一緒に暮らしたことのある人なら実感されると思うのだけど、家族同然の関係にある人間や犬や猫の間には、ほんとうに不思議な、どう考えても不思議で胸の熱くなるような、切なくなるような、強い繋がりがあるんだと感じる。犬や猫が、遠く離れた飼い主のもとへはるばる旅して辿り着くという話を聞いたことがあるけれど、それも凄く理解できる。
 一昨日の日記に、てっちゃんはちょっとバカだったと書いたけれど、あれは撤回します。すごくすごくいい犬でした。最高の秋田犬でした。
 


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