あたろーの日記
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旧暦1月11日。 泉鏡花文学にひとかたならぬ想いを寄せる友人から早速反応が(それをこちらも期待してたりして)。「煮燗」はやはり鏡花の造語であるのでは、とのこと。 そういえば、ちくま文庫にも泉鏡花全集がありますね。
昨日からまた一段と体調が良くなって、少し調子に乗りすぎたか、夕方急にケ(に点々)ロちゃんが出てきそうになり、定時に会社を出る。と、今日は地下鉄で帰宅しようとして、乗換駅の神保町で、ちょっとだけ地上に顔を出してしまう。久々の古書街。靖国通りで閉店間近の古書店をちらちらと覗き、東京堂書店と古書モールと、三省堂書店へ。三省堂書店は店内模様替えの最中で、1階の特設会場の部分に、女性雑誌がどかーんと移動していた。なんと。これは。・・・・ちと酷いじゃありませんかって、私が言う筋合いではないでしょうが、やっぱ、面白くない。解せないよ。確かに三省堂書店の雑誌コーナーはこれまで狭くて、人がひしめいていたけれど。女性誌と言えば、「暮らしの手帖」か「クウネル」くらいしか手にしない私としては、女性誌コーナーが広くなっても嬉しくない。それどころか、秋の古書市の時に古書がひしめくはずの三省堂1階特設会場がなくなっちゃうの?というショックのほうが大きいです。別に会場が設けられるならいいけど。どうなんだろ。。。 で、1階の奥のほう、詩歌コーナーや落語や歌舞伎などの古典芸能コーナーはどこかに行っちゃって(どこ行ったんだろ)、代わりに2階にあった地図コーナーがでーんと降りてきていた。うーむ、地図かあ。地図もいいけど、詩歌と落語はどこ行くのだろう。。。 2階の文庫本コーナーは、営業時間でお客さんも沢山いる中で、いくつかの棚がごっそり空っぽになって、店員さん達が中の本を移動させていた。岩波文庫の棚を見たかったのだけど、からっぽ。じゃあどこかに移動してあるのかな、と、ウロウロするも岩波文庫は全然なし。そういえば、朝日文庫も、岩波新書も、ない。もとあった棚は全部からっぽで、中の本もどこにも並んでない。強いて言えば、作業している店員さんの後ろのワゴンに、補充用の岩波文庫があるだけ。ええーっ、これってちょっと酷くない?せめて閉店後にやってくれない?って思うのは客の我が儘でしょうか?もしくは1日お休みにしてやって欲しい。開店しているなら岩波文庫もちゃんと開架して欲しい。。。だって、岩波文庫と新潮文庫とか講談社文庫とか中公文庫などで出している同じ作家の同じ作品を、実際手にとって比べてから買いたいっていうの、ありません?とか、何を買うか決めずに本屋に行って、背表紙をダーッと眺めているうちに次第に読みたい本が浮き上がってくる、っていう経験ありませんか?あと、本屋に行くと、全部の棚を一通り巡回しないと気が済まない人っていませんか?・・・私はそういうタイプなので、今日の三省堂書店にはちとがっかりしてしまった。。。 なんだかうだうだと文句だらけになってしまいました。 ところでどんな店内に生まれ変わるんだろ。楽しみなような、不安なような。 今日は結局、「東京かわら版」と「週刊読書人」だけ買って帰ってきました。落ち着くまで三省堂には近寄らないでおこう。
旧暦1月10日。 復活復活復活ぅ。 5日間寝てばかりいたので、さすがに足元がふらつく。身体全体がふわふわと宙に浮いているような感覚。まだちょっとだるさが残るものの、風邪の症状は消えて、胸から風邪も抜けていったよう。マスクは満員電車の中だけにする。長かった風邪、1ヶ月半近く引いてました。長かったほんとに。。。 会社で、若い殿方約2名に、「痩せましたねえ!」と絶賛される。特に顔が、とのこと。「え?ほんと?」「ええ、だって前はこう・・・ここら辺がもうちょっとぷくうっと・・・」「・・・いいよ、それ以上言わなくて」お褒めの言葉は最初のほうだけ有難く頂戴して、あとの続きは聞かないほうがベター。褒められたのが嬉しいからって、あんまり突っ込んで聞くと、喧嘩売られてバター。 こんな寒さだし、雪降っちゃったし、体調もまだ油断できないので、自転車はまだ先だけど、かといって、電車通勤だと、会社のあるビルの隣がもう地下鉄駅で、自宅から最寄り駅までも近いので、あんまり歩く機会がない。ということで、自転車通勤じゃないときは、なるべく会社から遠く、自宅からも遠い駅を利用することにして、今日は少し、てくてく歩いた。
『高野聖・眉かくしの霊』(泉鏡花・岩波文庫)の中の、「眉かくしの霊」を読んでいて、「煮燗」(にえかん)という言葉が出てきた。
「・・・・・・ぶるぶる寒いから、煮燗で、一杯のみながら、息もつかずに、幾口か鶫(つぐみ)を囓って、ああ、おいしいと一息して」(以下略)
という表現。 この、「煮燗」というのは初めて目にしたので、広辞苑を引いてみたけれど、載っていない。インターネットで検索すると、泉鏡花の「眉かくしの霊」がずらりとヒットする。ということは、泉鏡花の造語なんだろうか。それともどこか他でも使われていますでしょうか。 私の近所の、半ば隠れ家と化している居酒屋では、熱燗を注文すると、すぐに、熱々の、お銚子持つのも命がけみたいな、ほんとにあっつ熱のお酒が出てくる。たぶん注文がある前から、あらかじめお燗され続けて出番を待っていたお酒なんだと思う。ふつう「熱燗」と言ったらまさか煮え立つようなお酒は出てこないのだけれど、その居酒屋ではお銚子の中が煮え立っている。初めて見たときはびっくりして、まいったなあ、とちと思ったのですが、慣れてしまうと、これが不思議なもので、今では熱燗といえば、近所の居酒屋で呑むような命がけの熱さのものなのです。 で、くだんの、泉鏡花を読んでいて、ああそうそうそう・・・と、「煮燗」という表現のところで立ち止まって、しばし感心して納得して、うまくツボにはまったこの言葉がえらく気に入ってしまった。「ぶるぶる寒いから、煮燗で」というのは、まさに、冬の私の毎日の気分であります。「ぶるぶる寒いから、煮燗で、一杯のみながら、息もつかずに、幾口か焼き鳥を囓って、ああ、おいしいと一息して」。さすがに毎日呑むわけにはいきませんが。冬に、ああお酒が呑みたいなあ、と思うとき、近所の居酒屋のぐつぐつの煮燗が一番喉にしっくりきて、幸せ。 と、書いておきながら、当然、しばらく風邪でご無沙汰してます。 煮燗が美味しい季節のうちに、あと何回行けるかなあ。。。 毎日、赤提灯の前を素通りするのが、ほんとに辛いんです。我ながら、よく耐えてると思います。
旧暦1月9日。 昨夜、夜中に何度も目が覚めて戻してしまった。風邪ほぼ治ったと思ったのにちとショックでしばしボー然。月曜なのに会社を休んでしまった。さすがに明日はもう休めません。ずるずると風邪が長引いて、お恥ずかしい限り。今夜も早く寝ます。
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