あたろーの日記
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2005年05月31日(火) また太って参りました。

 旧暦4月24日。
 このところ痩せたと思ったらまた太ってきた。
 まともな食生活をして良い太り方をするなら問題ない(その人に一番合った体型を身体が自然に選ぶなら)のだけど、ちょっと食生活が不規則になってきたかな。お弁当はなんとか作っている(というか詰め込んでいる)けど、朝の食欲がないので、パンとか栄養クッキーみたいなので済ませてしまう。ほんとは玄米ご飯に漬け物、味噌汁、おひたしなどの野菜類、納豆がベストなのですが。夜は残業になるので、気がつくと社員食堂に行ってたっぷり食べてしまう。先週末は家や居酒屋で呑んで、焼き鳥とか肉類結構食べちゃった。
 食生活にリズムが出来てくると、それがちょっと崩れるだけで身体に反応が出るみたいです。しかも先週は夕方雨が降るってんで、自転車通勤全然できなかった。で、すぐ太り始めるのは凄い。ちょっと待ってよ、って感じ。
 明日から6月。再び仕切り直しだなこりゃ。


2005年05月30日(月) 富士は雲が隠してしまって・・・

 旧暦4月23日。
 しつこくすみません。ほんと臆病なもんで。。。
 日本列島って、毎日沢山地震が起きてるんですね。ニュースに出るのはほんの一部で。
 Hi-net高感度地震観測網
 これ見ても素人にはよく分からないのですが、やっぱり自分の足元もいつ揺れてもおかしくないんだ、と思う。阪神淡路も新潟も福岡も人ごとではないんですよね。口を酸っぱくして言います。備えは必要ですね。
 ・・・と言いつつ、いざとなったら人一倍パニックになりそう。落ち着いて行動できるように頭の中でシュミレーションしてみる。

 
 話変わりまして、最近街中で見つけた気になる看板。
 左は新宿西口の雑居ビルにあった、「ゴーゴーカレー」の看板。なんじゃこりゃ、と、思わず立ち止まってゴリラ君を激写。ついでにカレーも食べてみたいような気もしたけど、やめた。お腹いっぱいだったし。今度行ってみたいような気もしますが、新宿西口にはかの有名な(?)「ハイチカレー」という店があり、学生時代よく食べに行った。なので新宿でカレーとなると、「ハイチカレー」になびいてしまう。「ハイチカレー」の店構えは、昔やってた「のっぽさん」というテレビ番組に出てくる着ぐるみの「ゴンタ君」そっくりなのだ(と私は思うのですが)。ここまで来て気がついた。「ハイチカレー」も撮ってくるべきでした。近かったのに。
 右は昨日、新橋あたり自転車で走っていて、通り過ぎた後に、「ん!」と思ってUターンして携帯取り出して撮影。バンコック銀行の東京支店です。上についている鳥はガルーダですか?で、タイ語が書かれてあって、なんだかかわいい。異国情緒たっぷりのバンコック銀行の店構えでした。休日で銀行休みだったから遠慮なく眺めてました。

 また話変わりまして、昨日夜、実家の母から電話。無事に、富士山から新潟まで帰ってきたそうで。で、肝心な富士山ですが、残念ながら曇りでほんのちょっと山頂が雲の切れ間から覗いた瞬間以外、そのお姿にまみえることはかなわなかったそうな・・・・なんつうか、その、すんごく気の毒。5合目まで車で上ったんだけど、「これが富士山だ!!」っていう実感はついぞ湧かなかったらしい。実は昨日の昼に、父の携帯に電話してみたんですが、すんごく不機嫌な声で、オヤジが「今5合目まで来てるんだけど、富士が見えねえんだよ」とぼやいていたのでした。
 一体何のために新潟からはるばる山梨まで行ったんでしょうね・・・。
「じゃあ、東京タワー見といて良かったじゃん」と私。「そ、そうよねえ、そうだわほんとほんと、東京タワーに寄っておいてほんと良かったわよ」と自分自身を納得させる母。
 ・・・まさか、しばらくしてから2度目のチャレンジなんて言い出さないよなァ・・・。


2005年05月29日(日) 宗教って・・・

 旧暦4月22日。
 朝、増上寺にて大学で受講している先生のお説教があったので、ポタ子(自転車)に乗って芝公園まで。
 昨日は東京タワー、今日は増上寺。お隣同士なんですよね。2日続けて同じ場所に来てる(笑)
 日曜の朝からお寺でお説教を聴くなんて、とても穏やかで清々しい気持ち。
 お話の内容は、現代人と「死」。とりわけ終末期医療との関わりの中で。現代人は「死」とどう向き合おうとしているのか。それは科学的で合理的な「死」への理解と、み仏の教えに導かれての「死」への理解の、どちらであるのか。どちらが人として生きるに死ぬに、気持ちを安らかにしてくれるのか。救いとなるのか。
 今気になることがひとつあります。それは、日常の会話の中で、宗教を、例えば、「ひとつのことを妄信的に信じ込むなんてまるで宗教だ」という言い方で引き合いに出すことです。特定の主義主張や誰かの言ったことや生活スタイルなどについて、自分の理解の度を超えたものについて、人が一線を引くために、相手を牽制するために使う比喩表現。
 新興宗教の教団による凶悪事件が起きたり、特定の宗教団体が社会問題化する中で、日本人ってかなり宗教アレルギーになってしまった。確かに、宗教にはそういう危険な面もあると思う。
 だけど、宗教って、当然それだけじゃない。
 自分の内面と深く見つめ合った時、自分の存在というものに様々な疑問がわき起こった時、「生」と「死」について考えた時、そこに何かある、受け皿がある、というのはどれほど救われることか。
 勿論、宗教は人に勧めるものでも押しつけるものでもない。だけど、簡単に否定しきれるものでもない。今若くて健康で、「死」など微塵も考えない毎日を送っていても、人間いずれは死ぬ。明らかに「死」が自分に或いは自分の身近な人に近づきつつあると知った時、自分にとって宗教とは何かを初めて考える人もいると思う。「死」だけだはなく、人生の様々な場面で、宗教に出会う人もいる。人それぞれだけど。
 洋の東西を問わず、宗教に絡んだ芸術が人の心に深い感動を与えるのは、やはり宗教が、本人は意識せずとも、人間にとって切り離せない重要な何かを持っているからなのではないかと思う。
 そういうことを考えずに、宗教を否定的に捉えるのはお門違いでは、と思う。
 最近、人と宗教の関わり合いについて、あれこれ考えたりしてます。


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