あたろーの日記
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2004年12月22日(水) 正露丸はどこに。

 旧暦11月11日。
 昨夜は友達と忘年会で帰宅が遅くなり、日記を書く間もなく布団に潜り込んでしまいました、スミマセン。
 昨日は3人で新橋にて飲む。女友達とたまに美味しいもの食べながらゲラゲラ大笑いしないと、発散しないと、日々持ちませんな。
 今夜は会社関係の忘年会・・・だども、こちらは欠席。
 ところで今週は日曜の夜からどうもお腹の調子が悪い。いつもぐりぐりだ。時々ぴーひゃららだ。そんな感じだから、昨日会社で正露丸を飲んだ。薬箱から正露丸の壜を出し、自分の机でさりげなく飲もうと持っていき、そっと3粒中から出した・・・つもりが、1粒床に落ちて、そのまま机の下に転がっていった。
 正露丸1粒床に転がって、行方不明になった。
 正露丸1粒行方不明。
 正露丸1粒。
 ・・・臭いだけが強烈に漂って。

 ごめんなさい。

 机の下、覗いてみた。携帯電話のライト照らして探してみた。
 でも、正露丸、見つからない。
 隣の女性は「やっぱり、臭いますね」
 今日は「もう馴れたから平気ですよ」と言ってくれた。
 
 でも、やっぱり強烈に正露丸は臭っていた。
 臭いだけが、どこかに転がっている正露丸の存在をアピールしていた。
 仕事納めの日に私の机の周りを大掃除したら、正露丸、見つかるだろうか。責任重大だ。それとも、もしかしたら、明後日出社する頃には臭いも褪せているだろうか。そうであって欲しい。
 せめて、正露丸糖衣にしておくべきだったと反省している。

 
 小学生の頃、お腹がすごーく弱くて、正露丸は必需品だった。
 ある日母が正露丸を30粒くらい、ビニール袋に入れて持たせてくれた。
「学校に置いておきなさい」
 言いつけを守り、私は自分の机の中に正露丸の袋を入れた。これでいつお腹が痛くなっても心強い、と、シンプルに安心していた。
 数日後の朝、学校に行くと、私の机を男子が5〜6人、取り囲んでいた。
 その中には、クラス一格好良くて、スポーツも出来る●●君も混ざっていた。一瞬ドキドキした。でも、いつも私にちょっかい出す憎たらしい●●もいて、私の顔を振り返ったとたん、ニヤニヤし出したので、嫌な予感がしないでもなかった。
 ともかく、期待と不安の入り交じった気持ちを抑えながら、平静を装って自分の机に近づいていった。
 男子達の塊が崩れて、私の机が見えた。
 その時のありさまを、私は一生忘れることが出来ない。
 机の上にあるはずのないものが。
 正露丸の入ったビニール袋が。
 机の上に出して帰った覚えはないのに。
 ・・・誰か私の机に勝手に手を突っ込んで出しやがった・・・。
 クッソウ・・

 あの日以来、私は自分の人生から気取るということを捨てた。
 どんなに気取ってみたって、正露丸なのである。
 
 それから、もうひとつ学んだ。
 人は正露丸の臭いに敏感だということを。
 

 


2004年12月20日(月) 朝から電話で起こされる。

 旧暦11月9日。
 朝7時前、枕元の携帯電話が鳴った。私は携帯電話を目覚まし代わりにも使っているので、寝ぼけながら手探りで携帯を掴み、鳴り続けるベル音を止めた。で、あと5分だけ・・・と思ったところでハッと目が覚めた。ベル音は目覚ましじゃない、電話の着信音だ。着信履歴を見ると実家から。月曜の朝早くから電話なんて、あんまりいい予感しない。どころか悪い予感がしてしまう。何かあったのかと慌てて電話する。
 父が出た。なんだ元気じゃん。
「お父さん電話した?」
「ああーなんだ寝てたのか」
「はあ、着信履歴見たら家だったからさ」
「おぅ」
「で、なに?なんかあったの?」
「うんーおまえな」
「はぁ?」
「秋葉原行く予定あるか?」
「・・・はあ??」
「秋葉原」
「・・はあ〜?なんでよ」
「秋葉原行ったらついでにパソコンの値段調べてきてくれ」
「・・・あのね、そんな暇なんかないってっ!」
「そうか」
「・・・なに、お父さんパソコン買うの?」
「そう」
「パソコンの値段なら今ネットでいろいろ調べられるから、ネットで見てあげるよ」
「そうか(急に元気になる)」
「あい」
「じゃあな、お父さんな、デスクトップ型な、あのテレビがついてる奴な、あれで富士通かNECがいいな(って、それしか知らないんじゃないかっ)。それで安い奴な、見といてくれ」
「・・・・・はいはい、分かりました」

 月曜の朝からこれだよまったく。
 思えば、この夏帰省した折に、私が実家でモバイル用のパソコンを開いてインターネットでいろいろ調べているのを、興味津々で覗き込んでいたのは、姪っ子達だけではなかったのでした。
 しかし、父がパソコンを買うとなると、しまいにはデジタル一眼レフにまで触手を伸ばしそうで、それも怖い。あれやたら費用かかりそうだ。母の目がつり上がりそうだ。・・・と考えてみたが、そこまで行かない可能性も大きい。だって前科あるもんね。むかーし父が買ったNECのワープロ、ほとんど使いこなせないままほったらかしだったから、私が貰ったんだ、かれこれ15年くらい前。それ、まだ私のアパートにありますが。たぶん、パソコン買っても同じ道を辿る可能性大。今は小学生の孫達のほうがきっとパソコン早く使いこなせるようになるでしょう。

 それにしても、パソコン=秋葉原、という固定観念は一体何なの?確かに新潟には家電量販店が少ない。だからって、秋葉原価格調べてどうするつもりだったんだ?謎だ。本人も分かってないんだろうけど。まあ、新潟にもヨドバシカメラがあるから(新幹線降りるとすぐある)、そこでいいんじゃないの?もしくは、通販とか。だけど、デルなんて安くていいよと勧めても、知らないメーカーは嫌だとか言うんだろうな。
 と、気がついた。実家にパソコン使える人間はいない。両親も弟夫婦も、少し離れて暮らしている妹夫婦も、誰1人としてパソコンを知らない(妹夫婦のパソコンは数年前に稼働したきり埃を被っている)。まさか。
 まさか私が帰ってくるのを待ってるわけじゃ。。。
 パソコン買うのからセットアップからメールの打ち方からネットに繋ぐのからなにからなにまで、私にさせるのでは。。。
 帰省したらゆっくり休みたいです。猫を膝の上に乗せて、ゆっくり本読みながら過ごしたいです。寝正月にしたいです。
 今からちょっとブルーです。


2004年12月19日(日) 10年続いている会。

 旧暦11月8日。
 文学の同人誌の忘年会に行った。創立10周年の同人誌。えっ?もう10年にもなるんだ。。。正直すごいって思う。メンバーに入れ替わりはあるけれど、人数的にはあまり変化せず、40人前後を保っている。年3回の会誌を出し続けて現在30号。小説、戯曲、詩、俳句、短歌、随筆・・と、ジャンルはいろいろ、書きたいものをどんどん書く、メンバーが出した作品は選りすぐり無く公平に掲載する、という形で、10年も続いてきた。紆余曲折は過去にいろいろあったけれど、様々な世代、バックボーンの人達がお互い刺激し合って発展してきた。また、会の運営を中心になってやってくれている人達の尽力によるところ、特に大きい。私なぞはその人達にいつもお世話になりっぱなし。。。
 こんな風に偉そうに書いている私は、10年前の今頃、この同人誌の創立時にちょうどメンバーになった。オリジナルメンバーなのだけど、実は、この2年ほど、会をサボりにサボっていました。毎月1回、半日かけてそれぞれの作品を合評する例会があるのだけど、それもサボって、会誌に作品出すのもサボって。ずいぶんと足が遠のいてました。同人誌に作品を出すこと、文章を書く、ということ以前に、何もかもに自信がなくなって、自分が嫌で仕方がなかった時期。素人が書ける書けないで悩むなんて贅沢な甘えだとも思うけど、そういうことより前に、自分自身の存在について悩みが深くなる一方で、模索ばかりしていた時期。そのくせ、まったく書かないでいることも辛くて、ネットで日記を書いていた2年間。
 このところ、ようやく、小説を書くのが楽しいと再び思えるようになってきました。書きたいことが湧きだして、とにかく原稿用紙に書いていこう、という気持ち。
 そろそろ、また出ておいでよ、と、仲間が声を掛けてくれて、サボっていたので行きづらかったけど、今日はプチ勇気を出して忘年会に顔を出してきました。初めて会うメンバーもいたけれど、みんな、前と変わらず温かく迎えてくれて、話がはずんだ。みんなと話していると、やっぱり、どんどん作品を書きたい、みんなに読んでもらい、批評して欲しい、という意欲が湧きます。いい意味で刺激になるし。小説を書くというのはもの凄く孤独な作業だけど、同じことをしている仲間が身近にいる、というのは、ありがたいことなんだと今更ながらにしみじみ思いました。
 来年に向けて、新たな気持ちになることが出来ました。


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