あたろーの日記
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旧暦8月26日。 と書いておきながら、今は翌日曜の朝です。台風一過の青空の下、自転車に乗って江戸散策に行ってこようと張り切って起きたのに。。。どんより曇り空です。雨が降ったりやんだりのようです。おまけに遠くでゴロゴロ雷の音もします。あーあ。でも昨日は1日閉じこもりっぱなしだったので、出かけたくてうずうずしてます。
昨日の台風は凄かったですね。日中の激しい雨に躊躇したのですが、夕方台風の本体が来たらもっとひどくなるというので、15時の銭湯開店と同時にお風呂に入って(ざあざあ降りの中しっかり露天風呂〔注・屋根付き〕も堪能)、缶ビール買って帰ってきました。玄関のドアを開けようと鍵をいじっている間にもう雨脚が強まってきました。出かけるのがもうちょっと遅ければずぶぬれになるところでした。 晩酌の肴作っているうちにどんどん風が強くなってきて、窓ガラスに雨がものすごい勢いで打ち付ける。とうとう雨戸も閉めました。子供の頃、ガソリンスタンドの自動洗車機に乗車したまま車ごと入れられて喜んでたことがあったけど、あんなんよりもっと凄かった。アパート全体がまるごと洗われているように、ザアーッ、ザアーッ、バシャーッ。おまけに建物も揺れる。思えば、新潟に住んでいた頃と東京に出てきてから合わせても、本格的に台風の襲来に遭ったのは少ないような気がします。子供の頃、凄い台風が来て、停電になって、ろうそくで夕ご飯食べた記憶があるのですが、台風で大変な目に遭ったのはせいぜいその程度だったような。。東日本では記録的な台風だとニュースでも言ってますが、まさにそうなんですね。台風をまともに何度も経験している沖縄や九州の人達に比べるとずいぶん慌てたりビビったり(ビビっていたのは私だけ?)。
江戸時代に書かれた日記類の記録を読んでいると(結構笑えるし、面白いです)、「大風」「大嵐」「大雨」というのがよく出てきます。これは『武江年表』(ちくま学芸文庫)にあったのですが、
(文政六年・1823年)八月十七日夜八時より南大風雨。所々人家を損す。怪我人・死亡の者多し。品川・高輪・鯨州辺大浪、家を没したる所、少なからず。 (万延元年・1860年)七月二十二日より雨。二十四日朝より北大風雨、終日止まず。家屋を損じ、塀牆(かきね)を倒し、樹木を折り、海上には覆破漂蕩の船多かりしと聞こゆ。夜に入りて鎮る(所々に出水あり)。
当時は旧暦だったので、2つとも今でいう秋の話なんだと思いますが、現代だったら、天気予報で、台風からのしめった風が流れ込み秋雨前線が活発化して、その後台風本体がやってくる、というしくみも分かるし、いつ頃風が強まりそうだという予測もつきますよね。でも昔はそうは行かなかったんですよね。ある時突然風雨が強くなる。あれよあれよという間に風速20メートル以上の暴風になって、家をなぎ倒し船を転覆させ、火事が起こったら一気に周囲に広まるし。いやはや、天気予報で天候の予測がつく現代人には、とても想像できない恐ろしい時代だったんですね。。と言っても、昔の人達はそんなこと露とも思ってなかっただろうけど。でも、今だったら、台風が来そうだから旅行は取りやめにしよう、ということもあるけれど、昔の人はそんなこと考えもせず、てくてくと出かけていった。もっとも、今の旅は万事交通機関に頼らなければできなくて、台風が来れば飛行機も新幹線も運休してしまう、だからまったく身動き取れなくなってしまうのですが、昔はそうでなかった?昔の人は自分の足で歩いてどこまでも行ったので、嵐が来れば宿場に飛び込み、民家で雨宿りさせてもらいながら、旅を進めたんですよね。現代では、連休明けには戻ってきて会社に行かなければ、とか、予定が狂ったら次の予定に響くという強迫観念がいつも頭の中にあるんだけれども、東海道をてくてく行く昔の人達の頭の中にはそういうのはあんまりなかったんだろうなあ(羨ましい。。。)。 と思っていたら、ひとつ、ありました。船です。天気予報がなくてもマイペースで進められた(?)昔の旅、交通機関がマヒするという心配などとは無縁のように思っていましたら、船というものがありました。上の『武江年表』にも出ていますね、船が沢山転覆したり壊れたり漂流したと。しかし、台風のたびにそうだったんでしょうか。沖に出て台風が来てしまったらもう為す術なしのような気がしますものね。。。船乗りの人達は経験からなにか嵐を知らせるような自然のサインとかを知っていたんでしょうか?でなければとてもとても、私なんぞ昔の船には乗れません(-_-)
| 2004年10月08日(金) |
『サライ』と『ラジオ深夜便』 |
旧暦8月25日。 台風が来る、東日本に上陸するとなるとこの10年で最も強い勢力だとのことなので、さっきベランダの植木鉢をビニル紐で固定したりしてました。雨も夜になって本降りになってきて、ベランダに顔出してるだけで頭びしょぬれ。晴れの日も束の間だったなあ。。 明日は三味線のお稽古の予定だったのですが、中止になりました。だからってどこかに出かけるわけにもいかないので、家でじっとしてます。そういえば知り合いに明日結婚式挙げる人がいるんですけど、大変だなあ。仕事でどうしても外出しなきゃならない人も多いですよね。交通機関にも影響出そうだし。。。こないだの地震で地盤ゆるんでるところもありそうだし、雨続きですでに被害出てる地域もあるし、今度の台風で被害がさらに大きくならないようにと願うばかりです。
今週木曜発売の雑誌『サライ』が池波正太郎特集だったのをキオスクで見て思わず買ってしまいました。実家に毎号届くので帰省すれば読める筈なのですが、とうていそれまで待ちきれませんです。次号は司馬遼太郎特集だそうなので、これも買わないと。。 『サライ』ってもう創刊15周年なんですね。早いなあ。創刊当時私は学生で、書店に行くと女性誌コーナーよりおっさん雑誌コーナーをうろうろすることが多かったので(あ、今でも)、『サライ』にも当然、というか、すんごく惹かれて、それ以来のファンです。「ファンです」なんて、レトロな言い方だ(笑) 最近、NHKラジオの『ラジオ深夜便』を聴きながら眠りにつくことが多いです。夜中過ぎに目が覚めてなかなか寝つけなくなったときもラジオつけていつの間にか寝入ったりします。『サライ』と『ラジオ深夜便』て、なんとなく共通点があるんですよね。読み始めると、聴き始めると、自分の中にしっくり入ってくる、決して押しつけがましくなく、説教臭くなく、読み手聞き手の側のリズムを崩すことなく、こちらとのちょうど良い距離を保ちながらも、長い間ずっと一本筋の通った姿勢で続いている雑誌、番組。それでいて深くて面白い。流行をあおったりセンセーショナルな情報に固執したりすることは決してしない。 私がおばあちゃんになったときも『サライ』と『ラジオ深夜便』が続いていることを切に望みます(^_^)
| 2004年10月07日(木) |
今更大義名分どうのこうの言ったって。 |
旧暦8月24日。 朝の空気がとても気持ちよかったです。でも夜はぐっと冷え込みますね。夏はどんどん遠ざかって・・・なのに、夜道を歩いていたら大きなゴキちゃんがもぞもぞしてた。ぎょっとしてひょいっと片足上げて避けて通る。足だけじゃなくて身体全体が反応したので、後ろを歩いている人には、いきなり踊り出したヘンな姉ちゃんに思えただろうな。だいたい苦手な人間にしか気がつかないのが悔しい。みんなどうしてそんなに普通に歩けるんだ?外歩いてるとゴキばっかりだよっ!!ほんと東京って怖いところだと思ふ。
イラクに大量破壊兵器はなかったと今更言われてもね。戦争の大義名分が崩れたなんて今更弁解したってね。戦争始めたアメリカも追従した国も、それからそれを煽って読者や視聴者に偏った情報しか流さなかったマスコミにも責任重大、だけどたとえ責任取ったってたかが知れてる。もっとも戦争することに躍起になってたってことは要するに自分たちの立場を有利にもっていくことばかり考えてたってことだから、今になって戦争の大義名分が崩れようと、自分たちのこと守ることばかりで、これからもきっとちっとも反省しないだろうというのは目に見えてるし。 今更イラク戦争が間違ってたなんて言っても、失われた大量の命は戻ってこない。家族や友人を失った悲しみが癒されるわけでもない。アメリカがイラクの国土に落とした大量の爆弾で汚染された大地がそう簡単に元に戻るわけではない。アメリカ初めイラクに兵を送っている国々の政治家達が支持率を気にしながら口先だけでイラク問題を語っても、殺された人達が戻ってくるわけではない。イラクからフセインを追い出したことだけでも意義深いなんて言う人もいるけど、あんなに国土をめちゃめちゃにされて沢山の命を奪われて、それでイラクの人達が納得しているとはとうてい思えない。戦争で命を失った人が沢山いるのに、戦争を仕掛けたり加担した国の政治家達が身綺麗にして美味しいものを食べてゴルフしたりしてる世の中って、狂っているのではないか?あまりにも理不尽ではないか?直接手を汚したわけではないけど、兵士達を使って多くの人の命を奪った殺人犯ではないの?殺人犯でないとしたらなんだろう?戦争が大量殺戮でないとしたらなんなのだろう?戦争をするということはそこまで背負い込む覚悟がいることだと思うけど、イラク戦争をしかけた国々の政治家達にそこまで考えて苦しみ抜いた形跡は全くなし。特にのほほんとなんの疑問もなしにアメリカ追従だけしていればよいという考えの小泉首相も福田官房長官、あまりにも脳天気すぎるよね。(イラクに大量破壊兵器が存在しなかったとの報告は)「非常に結構なこと」(福田官房長官)って、もっと他に言い方があるだろう、って怒りを感じました。あと、アメリカがイラクに攻撃した直後に、「イラク攻撃は正しい」と社説で声高にこの戦争の正当性を主張した読売新聞や、政府の顔色を窺いながら報道の使命を忘れたかのように情報を選んでかいつまんでしか流さなかったマスコミが、相変わらず上手に自分たちの立場を守るべく、世界的な世論の潮流にシフトしつつあるのも見逃したくない。自分たちの発した情報が、言葉が、イラクでの戦争を煽り、長引かせ、多くの犠牲者を産む遠因となったということをマスコミはもっと肝に銘じるべきではないか。 とにかく、今更戦争の大義名分が崩れたとか、大量破壊兵器は実はなかったとか言っても、イラクで命を落とした人達が決して浮かばれるわけではないということを、安全な場所に生きている人間は(当然私も含めて)絶対忘れちゃいけないと思うのです。。
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