あたろーの日記
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| 2004年09月27日(月) |
便利になったなあ図書館。 |
旧暦8月14日。 「努力、努力・・・」を自分に言い聞かせないと実行できない私。今日も暗示掛けながらもぞもぞ動き回っていた。進歩あったかどうだか。。。そんなこと繰り返しながらおばあさんになっていくんだきっと(笑)。 大学の図書館の貸し出し業務が機械化されていてびっくりした。いつものように窓口に借りたい本を持っていったら、「あちらの機械でお願いします」と言われた。「?」と思いながら近づいてみると、コピー機大の自動貸出機なる装置。カード読み取り口に学生証を差し込んで、画面に従い図書を台に乗せる。と、図書についてるバーコードシールをスキャナで読み込んで(たぶんそういう仕組み)、最後に脇からジジジーっと、レシートみたいな白い紙が出てきて、そこにご利用明細とあり、書名著者名貸し出し期日が印字されている。ふぅん。と、感心してしまった。出てきた利用明細、取っておけば借りた記録にもなるからいいかな、と思ったけど、感熱紙だからだめかも。 近年図書館が昔と比べると格段に使いやすくなっているなあ。多くの公立図書館で、蔵書検索をインターネットでできるようになっている。だからよく行く都立中央図書館などは、出かける前に自宅のパソコンで蔵書を予め調べて、請求番号までメモしていけば時間を有効に使える。この便利さを知ってしまうと、資料探しが楽になる。 コピー機もしかり。コピー機のない時代の人は大学ノートに手書きで必死に書き写したそうだけど。。今はそれをしなくていい、なんとありがたいことでせう。 なのに、なのに、こんなに便利になってきた図書館なのに、なんで大学の図書館は閑散としているのかいな。もったいないよおお。。
旧暦8月13日。 1日家で過ごす。深川江戸資料館に行くか行くまいか迷いながら、空模様を見て、結局出かけないことに決めた。同じアパートのお兄ちゃんの目覚まし時計は、7時57分から9時半まで鳴り続けた。それを耳にしながら近くのコンビニに新聞を買いに行く。 読売新聞に「ハリー・ポッター」邦訳版で有名になった静山社の社長である松岡佑子さんのインタビューが乗っていた。「物事の成功の度合いは、かけた時間に比例する」 倒産寸前の小さな出版社をここまで有名にした方だからこそ、言える言葉なんだろうと思う。そういう人の台詞にはずしりと現実感が漂っている。 最近、「努力」とか「頑張る」ということが悪いことのように言われることが多いような気がする。例えば、自分の能力以上のことを引き受けて頑張りすぎた挙げ句、メンタルな面でしんどい思いをするならそれはあんまりよくないことだろうとは思うけど、それを逆手に取って、「努力」や「頑張る」が、流行遅れのように言われることもあって、それは納得できない。地べたに短い足を踏ん張って歯を食いしばるようなイメージ、昔から日本人に備わっていた悪しき性質、とでもいうような。 だけど努力とか頑張ることって、自分に対して自分が取る態度のことじゃないかと思う。自分の中にある理想とか目標に対しての、自分なりの答え、方法。くじけそうになったときや落ち込んだとき、自分を後押しするもの。自分の思う理想があるのに、それが実現出来なかったとき、それに向けて努力したのかしなかったのかによって、同じ結果でも満足度はぜんぜん違うと思う。努力するとか頑張るとかいうのは、結局は自分自身に対するエールなんですよね、自分自身との対話というか。。 かく言う私なんですが、外に向けて「頑張っている」振りをするのがうまいだけで、実際はぜんぜん努力も頑張ってもいない。それで毎日自己嫌悪の日々です。 しょうがない。亀さんだもの。って、そんな風に簡単に自分を諦めちゃいけないですよね。せめて明日の自分は今日より一歩前進するように、努力しなきゃいけないな、って思います。。
旧暦8月12日。 久しぶりに小唄の稽古。夏の暑い間はお師匠さんも大変なのでお休みだったのですが、久々の稽古とはいえ、弟子たるもの、その間自宅でチントンシャンと練習すべきところ、私の場合は珍豚シャンでした。したがって、当然の因果でまったく上達してない。 だけど、この頃、日本の昔の音色が耳に心地よくなってきた感じ。三味線の音、小唄の調べ、なんとなくだけど、しっくりくるようになってきたかも。三味線をつま弾きながら、頭ちょっとだけ?江戸時代にタイムスリップしてみたり。私の場合、小唄の稽古の熱心度は江戸への興味と連動してるような気がします。 だから稽古中もわりとボーッとしてたり(半分江戸の街に出かけている)して、ぜんぜん上達しないんですよね。。。
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