あたろーの日記
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旧暦8月5日。 今朝起きたら10時だった。 何がきっかけでこんなに寝坊助になったのかと、愕然とする。 だけど、まあ、1日好きなことしてたので満足と言えば満足な休日でした。『山姥』(坂東眞砂子・新潮文庫)を読む。上下巻の、今日は上巻。以前同作品でこの著者が直木賞を受賞した直後、母からハードカバーを借りて読んだものの、あまり身を入れて読めなかった。でも、今日再読してみて、この作者のあまりの非凡な才能に驚いてしまった。他の作品が映画化されたりして、土俗的な作品を書くホラー作家というイメージが強い。どうもねちっこくて読む気がしないのだけれど、で、この『山姥』もねちっこさはあるんだけど、この坂東眞砂子という人は、読者をぐいぐい作品の中に引き摺り込んでしまう筆力を持った作家だと脱帽せずにいられない。7年ほど前だったかに初めて読んだ頃に比べて、自分が主人公の涼之助はじめ他の登場人物にぐんと親近感を持って作品の中に入り込めることに気がつき、驚いた。特に、涼之助と、てるの夫鍵蔵。登場人物の心の綾を巧みに拾い上げて紙面に描き出し、そして作者は緻密に伏線を張り巡らせて、クライマックスへと読者を導く。 けれど、この作者の他の作品を読もうという気になれないのは、私にとって損なのだろうか。どうも、彼女の現代物にはそそられない。他の作品を読んでいないのに言うのは間違っていると思うけど、おどろおどろしさも『山姥』が限界だ。簡単に映画化できるような小説には惹かれない(奢った言い方かも知れないけど、この点は譲れません)。映像には映像の良さがあるし、小説には言葉を紡ぐことによって出来上がる世界がある。『山姥』には言葉でしか表現のしようがない独特の闇がある。読み手の中で、他人による映像化を拒むような、ある種の独占欲に似た気持ちも、優れた小説は引き出すことが出来るのだと思う。自分が好きで夢中になった小説が映画化されると聞いたとき、腹が立つか、待ってましたと喜ぶか。。。作者と読み手との間に、映像を司る他の人間が入り込む余地のないような小説、書く側と読む側との間だけに繋がる太い線、たとえ実力のある映画監督であっても、読み手の中に出現した小説の世界を超える映画を作るのは至難の業ではないか。 ・・・と話がどんどん逸れていることを承知で続けるのですが、要は、小説を原作としたいい映画やテレビドラマは沢山ある。。けれど、映像は映像、で、映像だけではその小説の作者の言わんとしたことを拾い尽くすのは不可能だと思うのです。映像の醍醐味もあるけれど、やはり、紙に書かれた小説には小説の良さがある、文字を追うことでしか得られない興奮がある、と思うのです。映画と小説はあくまで別物だと思うのです。と、ここまで書いて気がついた。坂東眞砂子作品、映画化された物も含めて、じゃあ、読んでみなきゃいかんがな。
| 2004年09月17日(金) |
丸善行ってきましたが。 |
旧暦8月4日。 今朝起きたら9時でした。 眠りが浅いせいか夜中明け方よく目が覚めるので、いつも腕時計をしたまま寝るのですが、夢の中で仕事しててしかも今日忘れてはいけない仕事だったのをうっかり忘れて慌てる夢で、起きたら夢だったのでほっとして腕時計を見たら9時だった。。。んで、「なんだよ6時が9時に見えら」と笑った瞬間凍りつきましたです。結局夢の中でも慌てて、現実でも慌てる羽目になった本日。。 しかし、遅く出社した分残業しっかりやらねばと思いながらチコチコとキーボード叩いていたにもかかわらず、どうも懸案事項の丸善が気になって気になって仕方がない。連休に行くと混んでいそうだし、自分も長居してしまいそう、ならば平日の夜行って、閉店とともに否が応でも追い出されるほうが、自分のためにもなる。本屋に入ると買う買わないにかかわらず、だらだらうろうろ居座ってしまい、あとで思い返すとその時間本読んでいた方がよっぽど為になったのではと後悔することも多いので、なるべくなら休日は避けたい(ただし神田などの古本屋めぐりは別)。しかし、自分はこの3連休、丸善に行かずに耐えきれるだろうか・・・・と、逡巡した結果、7時半に会社を飛び出して、丸の内は新しく出来た丸善に行きました。 新しいビル、オアゾ(エスペラント語らしいです)の1〜4階を占める「日本最大級の」書店だそうで、9時の閉店(これはありがたい!)1時間前、金曜だけあって、仕事帰りのスーツ姿の人達が多かったです。白を基調としたアカデミックな内装、どことなく洗練された印象。14日に開店したばかりとあって、エスカレーターですれ違う人みんな、キョロキョロしてるところが面白かったです(自分も)。今日は、まず4階の文具売り場をザッと見て、3階の文庫本コーナーに行きました。文具は日本橋の丸善の地下にある文具売り場と商品の顔ぶれはほとんど同じ、だけど、百貨店の文具フロアのようにお洒落な感じ。万年筆とか、卓上小物とか、革製品とか、腕時計。文具売り場で私がウキウキして必ず覗くのはノート類と原稿用紙のコーナー。・・・普通。が、ノートはツバメの大学ノートもしっかりあるし、モールスキンもロディア(メモパッド)もあるし、あとメーカーは分からないけど使い勝手の良さそうな洒落た表紙の洋物ノートもありました。原稿用紙は普通だった。丸善の原稿用紙は実用本位で選べば使いやすいんだけど、ちと高い。高いというのは今のところ愛用しているコクヨ製と比べてるだけなので、私の感覚はアテにならないです。相馬屋や山田屋製よりは安いので。でも、丸善の原稿用紙のどこが好きかって言うと、升目が薄いところです。あと、紙自体も薄い。これで今出回っているサイズよりもう一回り小さいのがあれば、多少高くても丸善にするんだけどなあ。ちなみに原稿用紙が揃っているのは、銀座の伊東屋です。ブラブラと見本がぶら下げてあって、探しやすいです。・・・と言いつつ、いつも最後は好みのものを探しあぐねてコクヨに落ち着く。。 えーと・・・何の話だったか忘れてはいけない、本屋の話でした。 3階の文庫本コーナーに行きました。 ここは、狭いなあ。いや、大きい部類に入るんだろうけど、新宿の紀伊国屋、池袋のジュンク堂には完全に負ける。しかも、本棚が異様に高い。これは文庫本コーナーに限らず、この新しくできた丸善全体に言えるんだけど、本棚が高すぎます。上のほうにある本、当然手が届かないし、それどころか、背表紙が見えない。視力の悪い私が言うのもなんですけど、だいたい本屋来る人は細かい字読み過ぎて近眼になってる人が多いんだから(?)あんなに遠い本の題名なんて見えないです。しかも、字が小さいのに加えて、上の方だと天井の電灯が反射して尚更見えづらいことも。さらにさらに、たとえ運良く上の棚の背表紙が読めたとして、それでその本を手にしたくなったとしても、売り場に置いてある脚立に昇ってそれを取るのは、ちょっと怖いです。特にスカートの女性なんて困るよ。脚立じゃなきゃ取れない位置に本を置いてある本屋は多いけど、あそこまで本棚が高いのはちょっとないです。それから、書棚と書棚の間隔がとても狭い。お客さん二人背中合わせにそれぞれ前にある書棚の本見てたら、その間を通るのは難しい。「すみません」と一声掛けなきゃならないくらい狭い。ジュンク堂池袋店のゆったりした文庫本コーナーに馴れてしまうと、こちらの丸善の狭さは落ち着かない。その点、同じ東京駅近くの八重洲ブックセンターの文庫本売り場のほうがまだましです。書棚も低いので本探しやすいし。まあ、それだけ詰め込んであるわけで、数がある分、探している本が見つかる可能性もあります。が、今日見た文庫本コーナーについて言えば、ゆっくり本棚を巡るお客さんの立場にはなってないです。そこが大きな不満。 と、文句たらたら並べてるくせに、しっかり3冊買ってきました。んでもって、またしばらくしたら行くと思います。だけどだけど、文庫本コーナー、なんとかしてくれよ〜!!
旧暦8月3日。 あと1日で連休。連休があると思うと少し、いやどどーんと気が楽。連休はなんにも予定入れてません。それが最高の贅沢です。この本とあの本を読もうとか、あっこら辺までちゃりん歩(チャリで散歩)しよう、とか、そんな程度に頭の中で計画立てて朝早起きするのが好きな休日の過ごし方です。ただ、こういう休みは朝早起きしないとあっという間に終わってしまうので寝起きが肝心なのだ(当然前日の深酒は厳禁)。 丸の内に新しくできた丸善に行ってみたいんだけど、この連休含めしばらくは混雑しそうなので、躊躇してます。それに、行けば行ったで長居してしまいそうだし、何冊か買ってしまいそうだし。。。今自宅にはまだ読んでない積ん読状態の本が沢山あるので、しばらく買うのは控えようと思っているのですが(無理そう)。 さらに、もうすぐ神保町の古本市もあるので、資金溜とかないと。 でも行ってみたいよなあ丸善。巣鴨から乗り換えナシで簡単に行ける大型書店がまた増えましたです。 ほっほっほ。すっごく嬉しい。。。 しかし読むのが遅いのに買う量だけ多いのは自慢にならない。。けど、世の中にはそういう仲間が多いらしいです。ほっ。
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