あたろーの日記
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旧暦7月28日。  青空が広がっていて涼しい風が吹いてくる。今の季節が最高に過ごしやすい。最近日曜の朝はふらふらとコンビニまで新聞を買いに行く。平日はインターネットでニュースをチェックするけど、やっぱり、朝ゆっくり新聞を読むほうが休日の気分になるので。。 途中、車庫の屋根に寝ころんでいる猫に下から声を掛ける。と、ギロリと睨み返された。高いところにいる猫は強気だ。だいたい私みたいに猫に構って貰いたくて猫撫で声で呼びかける輩なんかは特に扱いがひどい。完全にバカにする。別にえさをくれるわけでもなし、涼しい寝床を提供するわけでもなし、ただの通りすがりのくせして手土産も持たずに遊んで貰いたがる人間なもんで、声を掛けられた猫がよほど暇をもてあましていていっちょ相手してやるかな、という気にでもならない限り、上から邪魔そうな顔で見下ろされるだけであります。
夏目漱石の『吾輩は猫である』まだ読み終わりません。毎日チビチビと読んでいますがようやく半分。これ、面白いのか面白くないのか、正直言って分かりません。以前読んだとき、確か頭に入らないまま取りあえずなんとか読み通したような記憶があるのですが、改めて、今回はじっくり読もうと思ったけれど。。。しんどい。。。(^_^;)面白い箇所も結構あるし、くすりと笑ってしまう時もあるのですが、この分厚さ、いや、つまらない訳じゃないんですが、実を言うと、早く読了して次の本に行きたくて、心のどこかでイライラしながら読んでしまってます。。気分的にはまる時はどんどん進むのですが、乗らないと数ページで閉じてしまって。。今、『御宿かわせみ』(平岩弓枝・文春文庫)と『半七捕物帳』(岡本綺堂・光文社文庫)も同時に読み進めているのですが、当然ながら、それらのほうが読みやすくて話のテンポが良いので、どうしてもそちらを開いてしまうのです。ああこれではいけません。。一度読み始めた本を最後まで読む習慣をつけなければ。 『吾輩は猫である』、決してつまらない訳じゃないのですが(なんつったって文豪夏目漱石だ)、・・・しかし、読むのがしんどいとは、私の読書力が乏しいのであります。反省。
旧暦7月27日。 久しぶりに会った友人達と遅くまで飲んでいました。よって、土曜の日記を日曜の朝書いています(最近これが多い?)。 昨日は9月11日だった。 夜のニュースを見ていて、NYの世界貿易センタービルに飛行機が突っ込んでしまう事故があって、その直後の中継映像を見ていたら、もう1機が飛び込んできた。そこで初めて、アナウンサーも、テレビを見ているこちらも、事故ではなくてテロなのだと気がついて、慄然となった。あれからもう3年も経ったんだ。 3年の間に、同時テロ以外にも、信じられないような出来事が次々と起こって、たとえ日本に住んでいたって、今日と同じような平穏な日が明日も続くとは限らないのではないか、と思うようになった。 テロという言葉が日常用語化し、今日もどこかで大勢の人達が亡くなっているという事実に、地球全体がどんよりとした黒雲に覆われているようなイメージが消えない。 テロで家族を失った人達の悲しみや苦しみを考えると、じゃあどうすればよいの目には目を歯には歯をしかないじゃないか、とも思うこともあるけれど、それでもやはり、暴力がものを言う世の中にしてはいけないという気がする。この3年の間、大きな軍事力をもつ国々が、軍事力の行使と対話と、どちらをより多く行ってきたか。対話なんてしてるところをついぞ見たことも聞いたこともないような気がする。。。 戦争は良くない子供をはじめとする弱い立場の人達が犠牲となる、なんて言うのは綺麗事だと言う人もいるけれど、それは戦争の現実を知らない者の言えることだと思う。戦場で子供を失ったり、親を失ったり、自分の身体を失ったり、住むところを失ったり、大切なものを失ったりした人は、心底戦争なんてこりごりだと思うに決まっている。世の中の問題を戦争で解決すべきだと考える人は、まず、自分と家族を連れて戦場に乗り込んでから、そう言うべきだと思う。「戦争反対」を叫ぶばかりではあまりにも幼稚だという意見もあるけれど、戦争に反対する理由の根本は、やっぱり、犠牲となる人達への思いだ。 同時多発テロから3年、結局、復讐の重ね合いで、犠牲者は増えるばかり。世界中の多くの人達が、こんな世の中はもうこりごりだと思っているのに、アメリカ人はまた戦争好きな大統領を選ぼうとしているらしい。<米大統領選>外国世論は圧倒的にケリー支持(毎日新聞9月9日) ちょっと感情的な言い方かも知れないけど、アメリカ人の大国意識とか、強い国意識ってつくづく嫌になるな。
旧暦7月26日。 お風呂上がりに近所の居酒屋で飲む。 同じく1人で来ていたおばちゃんと意気投合。時代小説の話とか、戦争直後の巣鴨の様子とか、エルヴィス・プレスリーとか細木数子とか。戦争が終わってラジオから流れてきたプレスリーのインパクトは、その後のビートルズの比ではない、とのこと。うん、プレスリーは凄い。プレスリーは格好いい。ああいうカリスマ性のある歌い手はもう登場しないんだろうか? 同じ職場で働く女性が、「ここのトイレの全身鏡って、細く見えますよね」と言う。なぬ?「他の人も言ってますよ、実際より細めに見えるんです。そういう鏡ってあるんですよ、洋服屋さんの全身鏡によく使われているんです」 だそうなのだ。洋服屋さんでは、実物より細く見える鏡を置いて、試着してみて自分がほっそり見えるのに気を良くしてもらい、さらには購買意欲も高めて貰おう、という魂胆があるらしい。 がーん。 なんと。 そんな。 真実とは異なるものを映す鏡があるとは。 この世で一番正直なのは鏡のはずではないか? それが、鏡が、嘘をつくとは。 グリム兄弟も真っ青、「白雪姫」のお話は成り立たなくなってしまうではないか。 じゃあなんだ?今まで毎日会社でトイレに行くたびに、トイレ出口の全身鏡に映る自分の姿に、細くなっただのお腹が凹んできただのといちいち喜んでいた私は、鏡にだまされていたということになるのだろうか? そんな。 ひどい。 一歩譲って、洋服屋さんが、お客が少しでも細く見える鏡を置くのは仕方ないとして、オフィスビルのトイレにそういう鏡を取り付けたビル側の意図は一体何なのだ?それが一体何の役に立つというのだ?? し、しかし。 やはり解せない。 どこに置く鏡であろうとも、鏡たるもの、真実を映さずして何を映すというのだ。。。
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