あたろーの日記
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2004年09月09日(木) 目黒のさんま

 旧暦7月25日。
 朝晩が涼しくて、日中青空の雲も高い。秋なんだ秋なんだ、と、すこぶる嬉しくなる。と、さんまが食べたくなって、今夜はさんま。窓を開けて、匂いをご近所にまき散らしてさんま焼く。ご近所猫達にこれみよがし・・じゃなくて、これ嗅げよがしにさんまだー(相手はまぐろ食べてたりして)。それと、ビール。ああ、何故今日が金曜でないのだ。明日まだ仕事があるでないの。
 落語に「目黒のさんま」という噺(はなし)がある。
 昔、殿様が家来を連れて遠乗りに出かけ、目黒(当時はまだ田んぼや畑ばかりでした)でちょうどお腹が空いたときに、さんまを焼く匂いが漂ってきた。そこで、さんまを焼いているお百姓さんに頼んで、さんまなる魚を初めて食べさせて貰ったお殿様。当時、さんまは下魚(げうお)と言って、庶民の魚。とてもとても、お殿様が食されるような魚ではない。ところが、お百姓さんの焼いた黒こげのさんまのあの脂の乗った旨さが忘れられない殿様。お城へ帰ってもさんまが食べたくて食べたくて仕方がない。そんなある日、ご親戚からお呼ばれになって、お食事はお好きなものをなんなりと、と言われた殿様、これはラッキー、と、早速さんまをご注文。ところが、言われた側でもさんまの調理の仕方など分からない。家来に聞いて、なるほど、と、日本橋は魚河岸で最上等のさんまを仕入れ、脂が多すぎてはお身体に毒であるからと、十分に蒸し上げて、小骨も綺麗に抜き取って、さんまのだしがらになったようなものをお殿様に提供した。
 「これが、さんまか?」「御意にござります」「さようか、やけに白いが・・・さんまとはもっと黒こげではなかったか?」「いえいえ、さんまに間違いございません」「さようか・・どれどれ、確かにこれはさんまの匂いじゃ」と、さんまに箸をつける殿様、しかし、脂分の全くないさんま、ぱさぱさとしてぜんぜん美味しくありません。「・・・して、このさんま、どこのさんまじゃ?」「ははー、日本橋魚河岸より取り寄せましてござりまする」「あっ、それはいかん、さんまは目黒に限る」
 ・・・という噺です。
 庶民に生まれたことが幸せだと気づかせてくれるアイテム。
 それが、さんま。
 
 して、なんと、こんなお祭りがあるのでござりまする。
 第9回 目黒のさんま祭り
 知らなかったなー。今年ですでに9回目なのですね。秋の空の下でさんまを食し、寄席を聴く。いいじゃあないですか。いいなあ。しかも、さんま食べ放題って書いてありますよ。さんま食べ放題って、お殿様に羨ましがられますね(・・・でも。いくらなんでも限度があるよなあ)。
 と、ここまで書いたところで、何故か雷が鳴っている。あらら。また。
 
 


2004年09月08日(水) 水上勉氏死去

 旧暦7月24日。
 作家の水上勉氏が亡くなった。
 お若い時から病弱で、のち、心筋梗塞や脳梗塞も患われたが、それも乗り越え、小説のほかに随筆や対談、さらに独特の柔らかい画風で四季折々の野菜などを描いたりと、きっとこの方はいつまでもお元気で、四季の風情を楽しみながら静かな景色の中暮らしておられるのだろうと思っていたのだけれど・・・もう85歳におなりだったんですね。
 存命の日本人作家では最も尊敬する方でした。日本海側の冬の厳しさと海の波荒さを知っている作家だけに、とても親近感もありました。
 『金閣炎上』『越後つついし親不知・はなれ瞽女おりん』『土を喰う日々』(いずれも新潮文庫)・・・特に好きな水上作品です。『金閣炎上』は、三島由紀夫の『金閣寺』よりも好きです。三島由紀夫とは視点が違うのですが、較べてしまう。水上勉の『金閣炎上』のほうが、個人的には、ずしりときます。
 それから、女性の心を丁寧に描く作家でもありました。『越後つついし親不知・はなれ瞽女おりん』、哀しい物語ですが、哀しい人生を背負った女性の生き様を、心の綾を大切に描き、表現してあります。
 『土を喰う日々』、子供の頃、禅寺で覚えた精進料理をベースに、軽井沢の仕事場の一角に畑を作り、野菜を育て、包丁を握り、四季を食す。そのつれづれを書いた随筆で、読みながら、自分もいつかこんな暮らしがしたい、と思わせる。。。
 尊敬する作家、などと言っておきながら、実はまだまだ読んでいない水上作品が沢山あります。この秋は水上勉も読もう。。
 好きな作家が亡くなるのは悲しいです。
 ご冥福をお祈りします。


2004年09月07日(火) 註釈をどう読むか・・・なーんて。

 旧暦7月23日。
 江戸川乱歩の話題を昨日書いたけれど、春陽堂の装幀が好きだと言ったけれど、実は家には春陽堂の乱歩は3冊しかありません。江戸川乱歩の作品は、春陽堂のほか、光文社文庫、創元推理文庫(初版当時の挿絵入り)、角川文庫などにあって、それぞれ特徴的な作りなので、好みで選ぶと宜しくてよ。かく言うあたくしもこの秋冬は乱歩を集中的に読もうかと・・・今密かに乱歩ブームなのですね。夏目漱石もブームのような気がするけど。。この前会社で本に詳しい人から教えられたのですが、夏目漱石ならちくま文庫が読みやすいらしい。というのも、註釈が、巻末ではなくて、それぞれのページの端っこについているからだそうです。本屋さんの店頭で確認したら、確かにそうなっていました。だけど、新潮文庫のえんじ色の背表紙はおなじみだし、岩波文庫の装幀や文字の感じが好きだし、ということで、悩みましたが岩波の漱石を今片っ端から読もうと抱きついているところです。先月買った『吾輩は猫である』を読んでいます。漱石再読中。10代20代、そして30代では、同じ本でも読み方が異なるので、我ながら面白いと思います(自分のことが)。
 ところで章末や巻末についている註釈を、本文を読んでいる間どうチェックするか。。。です。私は結構せっかちなところがあって、小説を読んでいる時は、なるべく註は見ないようにしています。いちいち後ろのページをめくってページ番号を探すのも面倒くさいし、せっかく良いテンポで読んでいたものを中断するのも嫌なので。一応、註釈がやたらと多い本は、註釈のページに付箋を貼って、見たいときはすぐ飛べるようにはしてあるのですが、本文を読んでいる間はほとんど見ません。その代わり、一息ついたときなどに、ざぁっと註のページに目を通して、なんとなく、位の感じでどんな説明が書かれているかを認識しておきます。
 小説と違って、学術的(と言ったって、難しい本は読めませんが)な本の場合は、註釈の助けを借りないと前に進めない場合もあるので、逆に逐一ページをめくって確認します。ただ、註釈が引用文献の説明だったりすることもあるので、本文を読む前に、一応、章ごとの註釈にざっと目を通して、本文を読みながら確認すべき註釈があるかどうか、検討をつけておく、というやり方もします。
 最近本ネタが多いなあ。。。
 


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