あたろーの日記
DiaryINDEX|past|will
旧暦7月22日。 立教学院創立130周年記念で「江戸川乱歩と大衆の20世紀展」というのをやっていて、乱歩の土蔵を特別公開という滅多にない機会に、絶対行こうと決めていたのに、すっかり忘れていた。先日池袋のジュンク堂に行った折、チラシをみつけて店内で思わず叫び声を上げてしまった。。特別公開の期間をすっかり忘れてしっかり帰省しておりました。あーあ。悔やんでも悔やみきれない。江戸川乱歩の土蔵は憧れのひとつ。仕方がない。時々この頁を見てマヌケな自分を慰めるとします。書斎訪問・江戸川乱歩の土蔵(神保町.com) 江戸川乱歩と初めて出会ったのは小学校の図書館。怪人二十面相だったかな。それからテレビドラマ。子供は見てはいけないと親に叱られたような記憶が。それと、一番印象に残ったのは高階良子の漫画「ドクターGの島」。これが江戸川乱歩の「孤島の鬼」を下敷きにしたものだった。これは先に漫画を読んで、そっちのほうに完全に取り憑かれてしまい、高階良子の絵がどうも頭から離れない。十代の多感な年頃に「ドクターGの島」はすっごくインパクトを与えてくれた。 今書店では光文社文庫版の江戸川乱歩シリーズが平積みされているけど、私は春陽堂書店版のほうが好きです。黒を基調に多賀新のおどろおどろした銅版画が表紙を飾っていて、怪しげですごく好きです。カバーつけないととても人前では読めないのですが。。。
| 2004年09月05日(日) |
ラジオ。「銀河鉄道の夜」。 |
旧暦7月21日。 ラジオ云々屁理屈書いてしまったのですが、民放ラジオにも耳に心地よい番組は沢山あるのです。間の取り方が上手い語り手だったり、心の準備なくとも耳にすんなり入って留まってくれる音楽をさりげなく流してくれたり、そういう番組は探せばいくらでもありそうなので、探してみようっと。 新潟の実家にいた中高生の頃、自室のラジオの感度がやけに良くて、ダイヤルをゆっくりゆっくり回していると、平壌放送(今思うとそうだった)や、韓国の歌謡番組や、ロシア語の放送が聞こえたりして、訳判らないままドキドキした。スピーカーに耳を近づけながらひたすらゆっくりダイヤルを回し続けると、「ツートンツートン」とか「ピー・・・ピー・・・」とか規則的な信号も受信するし、どこの国の言葉か判らないような不思議な言葉も耳にする。面白がってしばらく聴いていると、いきなり終わって無音になったり、前回聴いたラジオ局をまた聴こうと同じ周波数に目盛りを合わせるのに、雑音だけで全く何も聞こえない、ということもあった。もしかしたら聴いてはいけない局を突き止めてしまうのでは、と、ちょっとしたスパイみたいな気分にもなったりして。どこかの国の、秘密の地下組織が人々を喚起するために時々周波数を変えて番組を流したりしてるかも、とか、それから、宇宙人はどの周波数でメッセージを送ってくるのだろうか、なんて、無知もいいとこだけどちょっと考えてみたりもした。目には見えないけど、自分の周りにはいろんな電波が飛び回っていて、それをラジオ受信機が拾うんだと思うと、すごく神秘的でもあった。今でもそう思う。 もしかしたら、ラジオはテレビより奥深いんじゃないか、という気がする。そんなわけで、感度の良いラジオが無性に欲しくなってきました。。。宇宙人のメッセージも受信できるような。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読んでいた。新潮文庫版をもっていたのだけど、先日ちくま文庫版を買って、旧仮名遣いで読んだ。やはり近代文学は原文に近い旧仮名遣いで読んだ方が味わい深いような気がする。 もう何回読んだか判らないけど、結末も知っているけど、また読みたくなって、で、最初から最後まで泣いてしまう。胸の上部がつかえて、悲しい気持ちになりながら、ジョバンニやカムパネルラが愛おしくて、二人の気持ちになりきって、読んでいく。「夢」を利用した話は好きではないけれど、これだけは特別だと思う。こんなに美しい話が他にあるだろうか。これほど哀しくて、幻想的でな物語はないと思う。いつの間にか、自分もジョバンニと一緒に車窓の外を眺めている。そして、ジョバンニは自分のことだと思ってしまう。 そういえば、ラジオと、「銀河鉄道の夜」は、どことなく共通点があるような気がする。ないと言えばないんだけど、あると言えばある。上手く言葉にできないのだけど、うーん、なんと言うか、ノスタルジーか、神秘か、目に見えない周波数を拾う旅、とでも言うのか。。
旧暦7月20日。 土曜の日記を日曜の朝書いています。 昨夜は雷が鳴っていたので、パソコンの電源を落として、コンセント抜いていました。機械には弱いのですが、雷はよくないと以前教えられたのでゴロゴロ鳴ると律儀にパソコン閉じてます。 土日の過ごし方で今一番好きなのは、早朝から起きて、すっぴん顔ぼさぼさ頭で近所のコンビニに行き新聞を1紙か2紙買って来て、朝食食べながら読み、あとひたすら本を読む1日を過ごし、夕方銭湯に行き、風呂上がりにスーパーや八百屋を覗いて今夜の食材とお酒を仕入れて、帰宅後さっさと料理して、パソコンの前にお酒と一緒に並べて、あとはのんびり、ネットで落語を聴いたり、ラジオをつけたり、軽い読み物をめくったり、という、超自分勝手でお気楽な1日です。一応名誉のために付け足しますと、もちろん掃除洗濯もしなきゃならないので合間合間にちょこちょこ動いてはいます。だけど、概して、申し訳ないくらいぐうたらな時間を過ごします。。。外出したらしたでそれも楽しいし、時々どこか行こうという気にもなるんだけど、翌日なんにも予定がないという夜は、うきうきして頑張って早寝してしまう(笑)。 ラジオなんてすっかり昔のメディアになってしまったと思っていたら、気がついたら最近再びよく聴くようになっている。実をいうと私がテレビ嫌いなのは、面白い番組がないのもあるけれど、どういう番組であれ一旦テレビをつけると結局自分が見入ってしまって、その間他のことが手につかない、そのくせ見終わった後、疲労感の他はほとんど何も残らないという、ただテレビに身を委ねて終わる状況が嫌いだからでもあります。その点ラジオは「ながら」が出来る。ただ、昔の自分と違って、最近どうやら音楽番組に食指が動かなくなってきた。音楽が嫌いになったわけではないのだけれど、昔(10代20代)は家にいる時しじゅう音楽をつけていたはずなのに、今は「あれを聴こう」と思った時にCDを引っ張り出す程度。むしろ耳が静かなほうがよくて、あれほど聴いたFMの音楽番組もつける気がしない。若くて賑やかなDJの声も耳障りに思えて(偏屈になったかなー)、今ラジオをつけるとほとんどNHKラジオ第1を聴いています。昔は一番つまらないと思っていたんだけどなぁ。今では一番落ち着けて面白いと思えます(笑)。年配のアナウンサーが多くて、さすがNHK、語り口も聞きやすくて安心して耳を傾けていられるし、テレビのアナウンサーと違って華やかさがないのがかえって魅力です。朗読や落語の番組もよく聴くし、最後まで聴いていられないけれど「ラジオ深夜便」もいいですよね。 とうの昔に亡くなった祖母が、1人暮らしの家でいつもラジオを聴いていました。テレビは壊れて音だけしか聞こえなくても平気だったらしいけれど、ラジオは大切にしていた。子供心に、どうして音楽も流さなくて語りだけの番組に聴き入っているのか、不思議でした。 今私が使っているラジオは、もう何年も前に買ったSONYのオヤジラジオ(?)です。通勤時に背広の胸ポケットに入るくらいの大きさ。あ、オヤジラジオじゃなくて、通勤ラジオ、って言うんでしたっけ?それです。購入した動機は、通勤時間に電車でラジオ講座を聴くことだったのですが、そんな目的も見失い。。。いや、それもまたいつか始めましょう、いつか。。 ふと思いました。テレビは綺麗なタレントさんを画面に出せば、番組の質うんぬんより取りあえず視聴者を引き寄せることができる、映像の引力を利用すれば番組を作る側がちょっと手抜きしようがなんとか「もつ」わけですが、ラジオはそうはいかない。映像の助けがない分、聴く側をどれだけ飽きさせないか、惹きつけておけるか、番組を制作する側の質が問われるのではないかと。そもそも聴く側が、映像でものを言うテレビ番組と同じものをラジオにはハナから求めていないし、テレビとは比べものにならないくらい様々なシチュエーションで聴いている上に、どちらかというとテレビほど番組編成に変化を求めていないので、制作側はなかなか大変だなあという気がします。それから、私の偏見なのかもしれないですが、外見よりも語り手としての教育をしっかり受けているアナウンサーが多いNHK第1が、一番心落ち着けて聴けるのかなぁ。。
|