あたろーの日記
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旧暦7月16日。 最近お弁当作りさっぱり。。。ちょっと休むとどどどーっと休んでしまう。あーいかん。。 8月31日になると、小学生の頃、毎年夏休みの終わりに宿題を必死に片づけていたことを思い出す。。。 あの頃、大人になったらこんな思いしなくて済むもんだと考えていました。が。違った。大人になっても8月31日はやっぱりどたばたして終わる。しかも大人になったら、8月31日みたいな日が12回ある。月末業務は毎月末必ずやってくる。。。 取りあえず、ほっと一息ついて、ミニビールでくつろぐ私でありました。 昨夜は台風の雨風で何度も目が覚めたのでもう眠いです。。。
旧暦7月15日。 台風16号の被害があまりにも大きいので、銭湯のロビーで大画面テレビに釘付けになっていました。 今年はほんとによく来ますね、台風。でもいつも西のほうばかり被害に遭って、東京に住んでいると申し訳ないような気持ちになります。今夜は都内も風が強くなって、さっき帰宅したらすぐにベランダの植木鉢やジョウロを飛ばされないように固定したり、水を満タンにしたり対策とりました。でも、それどころじゃなくて、自宅が浸水したり、土砂災害に遭ったり、亡くなった方もいるんだと思うと、しみじみ自分がここにいることが有り難いと思います。また次にもう18号が来るらしいですが、被害が大きくなりませんよう。。 昔元寇から日本を守った台風もこれくらいの規模だったのかなあ。それから何千回も台風がこの国にやってきたし、これからも何千回も暴れていくのだと思うと、つくづく、日本てすごい場所に位置してるんだなあ、と思ってしまう。。どんなに技術が進歩してもこれだけは変えられないですよね。
旧暦7月14日。 今朝も寒さで目が覚めた。 今夜から毛布掛けて寝ないと。 気温が下がって動きやすくなったこともあり、また机の上が狭くなったこともあり、これまで机上に積み重ねていた文庫本を、・・・やむを得ず部屋の真ん中のローテーブルに移した。おかげで、机の上はすっきりしてパソコンの周りも広々したけれど、食卓でもあったテーブルの上はすっかり本に占領されて、物置と化した。去年転居するときに持ち物を減らす意味で、本棚もひとつ処分したのに、結局また買い足す羽目になりそう。 これからは読んだ本はなるべく実家に送ろうと思っていたのに、この1年で新たに購入した本はどれも手元に置いておきたいものばかり。つまりは自分にとって今後長くおつきあいするであろう大事なテーマが決まりつつあって、それに沿った本が自然と集まった、ということなのかもしれない。元来凝り性で、これはと思ったテーマにしつこくしがみついている癖があるので、購入した本にいつまでも執着するのかも。でも、このいつまでも執着したくなる本を見つけるためには、買った本をちゃんと読まなければならない。積ん読ではなくって。。。 読んでない本が圧倒的に多いです。。嗚呼。
先日帰省した時に、父から我が家の先祖について調べるよう仰せつかった。いえ、なに、そんなこと好き好んでするのは父か長女の私くらいなので、帰ってくるのを待っていた節がある。。歴史小説と時代劇好きの父と、史学科(ただし考古学)卒業で図書館に恵まれた東京都在住の長女という、どこにでもいそうな取り合わせではあるけれど。 両親は佐渡の出身。父方の実家は近所の同姓の家から曾祖父の代に分家した・・・と父も思っていたのだけれど、それがどうやら違うらしい。祖父母を始め、親戚の年配者達も次々逝ってしまい、古くを知る術がどんどん消えていく。おまけに菩提寺が父の幼い頃に火事で焼け、部落の昔を知る資料も消えてしまった。その後住職が新たに書いてくれた過去帳は記憶に頼った曖昧なもので、曾祖父母の代以前はほとんど白紙である。 そんな状況だったけれど、父がこの初夏に親戚の集まりで、我が家の先祖は戦国時代あたりに、能登から敵討ちのために6人ほどで佐渡に渡ってきて、そのまま今の地に住み着いたらしい、と聞いてきた。で、6人衆のうちの1人が医者で、その子孫が我が家だそうな。確かに数年前取り壊した父の実家のつくりは昔の医者の家の造りだったし(独特の出っ張った部屋があった)、屋号には「庵」がつく。けれど一体我が家の家系のうちいつの時代の誰までが医者だったのか、定かではない。少なくとも曾祖父が医者とは聞いていないので、それ以前らしい。さらに取り壊しの際確認したら、屋根には能登瓦が葺かれていたとのこと。 現時点で我が家のルーツを知るための手がかりはこれくらいである。案外早く分かりそうだけれど、事情はそう簡単ではない。まず第一に、佐渡という土地はもともと人間の往来が激しく、とりわけ能登半島からは航路で多くの人が移住してきたと思われる。さらに、能登瓦は塩害に強いなどの長所から、佐渡でも海沿いの家屋で多く使われていたので、そう珍しくもない。 取りあえず、父が佐渡の親戚から送ってもらった我が家の先祖ともしかしたら少しは関係があるかもしれないという佐渡のある村の村史の記事を手がかりに、能登にある同姓の家の史料からあたってみることにして、昨日は日比谷の都立中央図書館までてくてく出かけて行き、○○家文書なるもののコピーを作ってもらった。もちろん私は古文書なんぞ読めやしない(授業とっておけば良かったと今更ながら後悔)ので、活字になっていてホッとしましたです。・・・だけど、手がかりになりそうな記述は見つからない。まあ、当然ですな。そう簡単に判っていくもんじゃないですよね。まずは能登にある同姓の旧家関連の資料にあたるのと同時に、佐渡関連の資料も地道にめくって、さらには能登以外の地方に散らばる同姓の家系について出来る限り調べてみるつもりです。・・・しかし、ウチの姓は、とことんたどっていくと、終いには出雲神話までたどり着いてしまうので、どこかでやめておかないと・・・けれど、それも面白いかも知れない、と、結局佐渡と能登と出雲神話を同時進行で調べ始めました。だけど、なんか、史学科を出たとは言え素人が闇雲に手を広げて調べているとしか思えない私。。家系って一体どうやって調べるんでしょう!? ・・・それ以上に、何故、今、家系なんでしょう??? 思うに、人はやはり、自分のルーツを知りたがるものなんだと思います。何かきっかけや手がかりがあれば、そこから辿って遡っていきたい、という衝動に駆られてしまうのです。 お世辞にも健康とは言えず、あまり長生きしないだろうと悟っている(らしい)父と、自分はどこから来てどこへ向かうのかについて必要以上に悩んでいる(と思われる)娘が、自分の血を遡る地道な作業に意義を感じるのは、必然かという気がします。。 と、かっこつけて書いてしまいましたが、実は一番惹かれるのは、先祖が6人で敵討ちに佐渡に渡ってきたという話です。そのうちの1人が医者だったという。。。なんか池波正太郎の藤枝梅庵みたいじゃないですかっ! ホントだったらかっこいいよなぁ♪
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