あたろーの日記
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旧暦6月30日。 朝起きたらざあざあ雨で、嬉しかった。豪雨で被災した人達になんだか申し訳ないようだけど、雨がこんなに待ち遠しかったのは初めて。でも、涼しいどころか寒かった終戦記念日の今日。イラク情勢は悪くなる一方。 近所の猫が子供を産んで、どうやら今日、よそへ貰われていったようだ。人の話し声と、ミーミーという鳴き声、車の音。それからしばらくして、母猫が子猫を探し回る鳴き声。哀しげで、必死で、もう聞いていられない。ふだんの喧嘩声とはぜんぜん違う。仕方ないことだけど、可哀相だけど、仕方ない・・・。いつまでも鳴きながら探し回っていた。
『アヴァロン』(押井守監督・2001年)を観た。 近未来、若者は『アヴァロン』と呼ばれるオンラインの戦闘ゲームに熱狂していた。主人公のアッシュの日常はこの『アヴァロン』と、愛犬の待つ部屋での生活の繰り返し。彼女は『アヴァロン』で凄腕のプレイヤーとして知られており、ゲームの賞金で暮らしている。やがて彼女はゲームの中に登場する「ゴースト」と呼ばれるバグ=少女=外の世界への導き手を追い始めて・・・というのがあらすじ。アニメーションではなく、実写版。舞台設定がポーランドというのが良かった。物語がわりと静かに進んでいくのも良かった。けれど、仮想現実というテーマにオンラインゲームが絡んでしまうと、例えば小説を読んでいて、ある場面が出てきてあとでそれが主人公の見た夢だった、という安易なオチ(?失礼)で誤魔化されて肩すかしを食らうのと同じくらい、つまらなくてがっかりする。或いは「こんな夢を見た」で延々と夢の内容を語り始める登場人物の独白ほど、小説を中ダルミさせるものはない(そう思うのは私だけ?)。『アヴァロン』は最初からオンラインゲームでの仮想現実をテーマに打ち出しているので、観ているこちらもそのつもりでいるけれど、私自身がゲームをしないせいか、映画にうまく入り込めなかった。ただゲームに熱中する主人公の心象がまったく理解できないというわけではなかったけれど(その辺は丁寧に描かれていたとは思う)。また、物語中の3つの世界である、主人公の日常・ゲームの中・クラスSAあるいはクラスリアルと呼ばれる「外」の世界(主人公にとってはあくまでゲームの中の世界?)の関係性を描くにはオンラインゲームを持ってくることが必要なのだろうけれど・・・。 順序では『攻殻機動隊』と『イノセンス』(他にも押井作品はあるのですが)の間に作られた同監督の映画と捉えれば、2つのアニメーション作品にえらく感動してしまった私としてはやはり『アヴァロン』も好きになりたい映画なのだけど、観た順序が作品が作られた時間軸に沿ってなかったからかどうか、ともかく、失礼ながらちょっと退屈な映画でした。押井監督に影響されたと公言しているウォシャウスキー兄弟監督の『マトリックス』シリーズも、第1作目(面白かった!けど)を観ただけで次に食指が動かないのも実は同じような理由からで、その理由というのは、ホントのところ、「仮想現実」「バーチャルリアリティ」っていう言葉にすでに食傷気味になっているからです。いやいや、自分が今生きているこの場所がホントのホントの世界じゃなくて、現実は他に存在してる、とか、自分が立っている位置が非常にあやふや、っていう感覚、それを映画で表現しようという試みはとても面白いしテーマ的にも掘り下げる余地はあるものだとは思うのだけど。そして、ネット社会が広がりと深さを持って成長し、私たちの世界から切り離せなくなった今だからこそ、仮想現実と現実とは何か、その境はあるのか、今ここにいる私は何?というテーマは、それを語り合うのに新たな舞台を提供されてはいるのだろうけれど。 だけど。 今まで「実生活」だと思っていた当たり前の日常が、すでに不確かなものに思える今日(こんにち)、ネットの世界を媒介にして仮想現実を登場させる手法にそんなに魅力や興味を感じなくなっている自分。日々変化する思考、見えてくるもの見えなくなっていくもの、届くようになるもの届かなくなっていくもの、思い出すこと忘れていくこと、変化する環境、変化する世界、変化する人々・・・。それがいいとか悪いとかいう問題ではなくて、確実に「ある」と実感できるものが果たしてどれほどあるのか。世の中は変化するもの不確かなもので溢れかえっているのではないだろうか。そして人はそれをいつも追いかけながら、この先どのように変化していくのか分からない日常を生きて、やがて人生を終える、そんな気がする。たったひとつ確かなものがあるとすれば、それは「死」だ。だから、「死」がいつか確実にやってくるまで、不確かな人生の中で不確かなものの手応えを自分なりに求めつつ、生きてみよう、そんな結論に至るのだけれど、だから、現実とそうでないものをネットの世界を持ち出すことによって描くのは、狭い、と思う。幾通りにも掘り下げられるテーマかもしれないけれど、それでもやっぱり、限定される。ネット社会に目をつけて映画を作った人達は鋭いし、凄いと思うけれど、すでに、もう沢山、と思ってしまう私は逆に疎いのか。。 思えば従来からある映画も小説も、ほとんど仮想現実だ。というか、仮想か現実か、そんなことはどうでもいいと思えるほどにのめり込める作品が、自分にとっていい映画や小説だったりする。例えば机の前で紙の上の文字を追っているだけなのに、コーヒーが冷めるのも忘れて夢中になって小説に入り込んで出てこられなくなる。本を閉じても打ちのめされて、読み終えてからもずっと本の中身を頭の中で繰り返しつつ、自分の目の前のコーヒーの冷たくなったカップに口をつける。そういう時、小説の世界に自分は完全に支配されていて、本を読んだだけなのに喉の奥にボールが詰まったみたいに苦しくて、目の前のカップも、冷たくなったコーヒーも、まったく意味を持たない。・・・つまりはわざわざネット上のゲームを持ち出さなくても、従来の映画でも小説でも、あるいは演劇でも語りでも、シミュレーションは昔から存在していた。ただそれらとネットが異なるのは、ネットが今やそこと気づかない場所にもしっかりはびこっているということなんだとは思う。そういう意味で押井監督もウォシャウスキー兄弟監督もネット社会を描こうとしているのは分かる、けれど、今ここにいる自分とそうでない自分、を表現するのにネットを用いるのにはやはり飽きが来る。 ・・・というようなことを今日は悶々と考えてしまいました。支離滅裂で、小生意気ではあります。まだ自分の中で整理つかないまま書いてます。お許しを。。。
旧暦6月29日。 レンタルで「ラストサムライ」を観た。ようやく観た。 少し後悔。公開時に映画館で観ておけば良かった。。 トム・クルーズの映画、だと思っていたら、違った。 武士の映画だった。勝元役の渡辺謙が良かったし、小雪も真田広之も良かった。他の日本人俳優達もとても良かった。もちろんトム・クルーズも良かった。ハリウッドの映画で日本が出てくるといつもお定まりの描き方しかされていなくて滑稽だったから、ほんとにハリウッド映画なの?ってびっくりした。 日本人の血の奥底に忘れされられたようにその小さな欠片があるのかもしれない、武士道、それをハリウッドが真っ向から撮ったものだから、日本人としては少々複雑。そんなにあからさまに武士道をズバッと前面に出されても。。。という気もしないでもないけど、観ているこちらが気恥ずかしくなるほどストレートに武士の美学を描いているこの映画に結局どんどん夢中になる。 監督が17歳になる息子にも観て、異文化に思いを馳せて欲しい、と言っているけれど、異文化どころか当の日本人である私も、もっと何か知りたい、と思わせてくれる映画でした。 よく考えてみるとちょっと陳腐な部分もあるけれど、それを補って余りあるほどだと思います。
| 2004年08月13日(金) |
免許更新した。私は優良ドライバー。 |
旧暦6月28日。 昨日の日記読んで、「思索」なんて書いていたのでなんか可笑しかった。 私の場合は「思索」じゃなくて、ただ悶々としちょるだけじゃん。。 会社早退して免許の更新に行ってきた。新宿都庁。地下鉄から地上に出たとたん、もわっとした暑さにぶっ倒れるかと思いました。都庁のあたりは緑こそ少しあるけれど、地表はほぼ完全にコンクリートで覆われていて、ビルの谷間をあたふた歩き回ってる感じにさせられる。早く建物に逃げ込まないと日干しになってしまう。。。 免許のほうは、優良ドライバー(えっへん!)なので、楽ちんです・・・と言いたいところですが、私の場合視力が恐ろしく悪い。ひどい乱視とド近眼で、コンタクトしてても0.7行かないんです。。一応眼鏡も持ってきたけど、前の人がさっさと終わってしまい、カバンから出す余裕もなく、ま、いいか!ってんで、計測器を覗き込んだ。が、一番最初の一番大きいやつがすでにおぼろげにしか見えず、目を細めてなんとかクリア。で、2番目のものはもう完全に見えず、もうこうなったら当てずっぽう、超能力、運任せ、と半ばやけくそになって右左上下言ってたら、検査官に「違うでしょ〜だってその前が下だったんだから、今度は・・・」え?そうなの?そんなんでいいの?「じゃあ、上」「ええっ?」「あ、右」「・・もう一回」「左」「・・はい、じゃ、今度はもうひとつ別の」と、まあ、要するに、当たるまで何度でも繰り返してくれるんですね。当然他人より倍の時間かかってなんとかなんとか視力検査パスしましたです。だいじょぶだって、私運転しませんから。なんつったってゴールドカードですよ。優良ドライバー。無事故無違反です。若葉マーク通り越して、ぺーぺーぺーぱーです。私の場合運転すること自体違反ですから。 それで、そのあと30分ほど講習会。ビデオ、爆睡しちまった。。。だいじょうぶですって。私、運転しませんから、絶対。 だけど、今思うとほんと不思議。 自分が免許取れたことが。
ところで、免許更新でいつも思うのですが、周囲の人みんな自分と誕生日が近いんだって考えると、なんだか不思議で嬉しくて不気味。夏生まれの顔ってなんだかみんなおっとり系。。
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