あたろーの日記
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旧暦6月14日。 2番目か3番目によく行く銭湯は、最近浴室をちょっと改装して、浴室のど真ん中に小さな池を作り、水草で囲み、金魚を泳がせた。久しぶりに行ったとき、浴室のドアを開けて、思わず立ちつくした。みんなが裸でゴシゴシやってるのを尻目に、小さくて赤い金魚たちがスイスイ泳いでる。のぞき込むと足元に寄ってくる。思わず池に手を突っ込んでみたくなったけどがまんしてのぞき込んでいた。裸で金魚見るのってヘンな気分。お風呂から上がると番台のおばちゃんが笑いながら、「金魚見てると寄ってくるでしょう」と言う。銭湯のオヤジさん手作りの金魚池だそうだ。レトロで小さな銭湯の、今では何故かお洒落に見えるタイルと壁に描かれた山と海の絵。あちこちに観葉植物と、岩。そして浴室の真ん中に金魚の池。
ロッカーの前で服を着ながら番台のおばちゃんといろいろ話し込んでいたら、おばちゃんが急に真面目な顔になって、「お姉さん、嫌いでしょう」と言う。「はい?」「嫌いでしょう・・・」 しばらく双方の動きが止まった。おばちゃんの視線が、私の顔と、私の肩の向こうの、背後のロッカーの両方を行ったり来たりしていることに気づき、ぎょっとして着の身着のまま(ほんと)私が番台のほうに駆け寄るのと、おばちゃんが番台をさっと飛び降りて韋駄天のごとくロッカーに走り寄ったのが同時だった。 おばちゃんとすれ違いざま、背後にあったロッカーを見る。おばちゃんが大きなご・・・ごきぶりをバシッと新聞で叩いて、ティッシュでササッとくるんで、ダダッとゴミ箱に捨てた。そして番台の前で凍りかけている私を振り返って微笑んだ。・・・そういえば道側の男湯の浴室、窓がバーンと開いてて、横を通るとき別の意味でギョッとしたっけ。その窓から入ってきたらしい。金魚だけでなく、ご○○○もいたりします。 だけど強いおばちゃんが番台にいるから、怖くないのだ。
旧暦6月13日。 昨日あんな風に書いて、今日は自己嫌悪。書いたことに自分で落ち込む。 会社や外で、人との言葉のやり取りを通して、自分がいかに自分のことしか考えていないか、ということに気づく。ものごとのマイナス面しか目に入らないようになっては駄目だ。視野が狭くなってしまったら、見えるはずの他の大切なことも逃してしまうような気がした。 会社にも会話していて心が和む人達が沢山いるのに。 1人でキリキリと被害者意識持っていては自分は全く成長できない。 嫌なこともあるけど、それは自分がそこから何かを学ぶためにあるのかも。少なくともそう思いながら日々過ごした方が、不満抱えて生きるよりよっぽど得るものが多いんだきっと。今更ながら心の中で確認する。それに、顔がマイナスの方角に向いてたら、マイナスの世界にあることしか見えないものね。。 人の評価なんてどうでもいい、という気もする。とても気にはなるけど、気にしたって仕方ない。人は誰でも、他人を評価できるほど凄くない。神様でもあるまいし。他人を評価するのが大好きな人も多いけど、馬鹿馬鹿しいや。評価するほうも、評価を気にするほうも。みんな死ぬまで一緒にいるわけでもないし。死んでからも一緒ってわけでもないし。私は私の仕事頑張ってこなしていくしかないんだと思う。・・・それにしても世の中なんでこう、偉い方々ばかりなんだろう・・・?・・・ま、深く考えてもしゃあないか。 というわけで、妙に立ち直りの早い人間だったりします。 要するに、他人に評価される人生よりも、自分で十分納得できる人生でありたい(なんで急に人生なんだ??)と考えたわけです。何故なら、自分自身について最もよく知っているのは、ほかならぬ自分なんだものね。。。
旧暦6月12日。 会社の入っているビルのロビーでクラシックコンサートがあったので、残業抜け出して聴いていた。高原守指揮ニューヨークシンフォニックアンサンブル。この時期毎年恒例で、ビル関係者と家族は無料なんです。ヴィヴァルディ、ベートーベン、エルガーを堪能しました。特にベートーベン「交響曲第7番 イ長調 作品92」は圧巻でした。アンコールのエルガー「行進曲威風堂々」は好きな曲なので嬉しかったです(確か前回もアンコール曲だったような・・)。世界的に活躍してるソリストも沢山いる楽団の高度な演奏をタダで、しかも残業中にフラッと聴きに行けるなんて幸せです。
だけど、その後仕事に戻って残業しながら、やっぱりこの仕事私にはもう無理だな、って思いました。 どんなに残業したって、走り回ったって、休日出たって泊まり込んだって、50人近い技術職の中の「事務兼経理兼家政婦兼雑用係」の私は、職場では別に必要とされてないんだと改めて感じるからです。泊まり込んで仕事しても、実際仕事の能力がなければ、歓送迎会などの部の飲み会で、飲んだ勢いの上司に、「仕事ができるわけじゃないだろ」と言われその場にいる人達に笑いものにされるだけです。自分自身でも仕事ができる人間じゃないという自覚はちゃんと持ってるけど、自分でそう思うのと他人(特に上司)に言われるのとではわけが違う。自分が無能な人間だと自覚してるからこそ、他人からそう言われるのが辛い、ということなんて、自信満々の人達には分からないんだし、人を傷つけることなどたいしたことに思わないんだと思う。 1年前に隣の部の同じ仕事をしていた女性がやめて、2つの部を引き受けて、その時躊躇したけど、上司達が「いざとなったら伝票作成でもなんでも手伝うから」とまで言ってくれたので、そこまで言うなら自分も期待に応えるよう頑張ろうと思った。文句言わないで頑張るのが美徳だとずっと思ってたので、友達にもあまり愚痴らないできた。でも、もう限界に近いと思う。仕事の量の問題じゃない。量的な問題は馴れで次第にだけど何とか毎月片づくようになってきた。そうじゃなくて、もっと違う種類の問題のような気がしてます。うまく表現できないのだけど。 たぶん、1対1と、1対50における違いみたいなもの?例えば○○さん対○○さん、じゃなくて、「(部長)席付き」という奇妙で差別的な職名対50人という図式に、自分が耐えられなくなっているんじゃないかと思う。自分がついている業務に、会社が正社員でなく(正社員がやっている部もあるけど)、私のような女性の派遣社員をつかせているという図式の中に、自分が精神的にうまく当てはまらなくなってきたんだと思う。派遣社員で食べている自分を棚に上げてヘンな言い方だけど。 もともと派遣社員を長くやるつもりはなかったけど、長すぎです。もう35歳だし。派遣社員でやっていける人も多いし、ならではの仕事もいっぱいあると思う。だけど、こう言っちゃ悪いけど、30代半ば過ぎた派遣社員はよほどのプロフェッショナルでもない限り、若い正社員のいる職場ではただのおばさんです。やめたって、次の派遣社員で補充すれば完了。存在感なんてないし、すぐ忘れられるだけ。
と言っても、とてもすぐにやめられる状況じゃないので、みんなに迷惑かけないように、ちゃんと業務整えて、引き継ぎ資料作って、跡継ぎにきちんとバトンタッチしてからでないと。
最近愚痴っぽくなりましたね。 自分でも呆れる。。 でも少し気持ち軽くなりました。どうもスミマセン。。
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