あたろーの日記
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旧暦5月4日。 イラクで韓国人が人質になったというニュースを見ていて、(この人も数日後には殺されてしまうんだろうな・・・)と思った自分が怖い。生きている人質の映像が流れ、数日後にはその人が死んでいる、その繰り返しに馴れてしまった自分が怖い。・・・報道を見ているこちらは無責任だけれども、人質となっているキムさんにとっては、今の1分1秒が長く貴重なはず。自分の命を恐怖の中で必死に抱え込んで耐えているはず。自分がのほほんとして過ごしている今この瞬間にも、絶望と一縷の望みとの間を震えながら行ったり来たりしている人がいる。彼の救出を必死に願う家族がいる。
もちろん、人質を取って要求に応じなければ殺害すると脅す行為は許されることではないけれど、暴力につぐ暴力の世界になってしまった原因はなんだろう、とも思う。。 人質が無事に家族の元に帰ることができるよう、祈るばかりです。
| 2004年06月20日(日) |
デリケートなことではありますが。 |
旧暦5月3日。 あまりの暑さに、自分がまるで腐食し始めた脂肉にでもなったよう。 昼過ぎには限界が来て、読みかけの文庫本とお風呂セットリュックに入れて、銭湯へ。日曜の早い時間の銭湯はおばちゃんおばあちゃん達の社交場。 「暑いわね〜が今日の挨拶代わりだわ」 「30度超えてるわよねぇ」「超えてる超えてる絶対超えてるわよ」 「とうとう始まっちゃったわねえ選挙。終わるまで(街宣カーが)うるさいのよね」「だけど誰に投票したって変わらないじゃない。(公約)守らないんだもの誰も」 脱衣所で、隣で服を脱いでいたおばあちゃんが私の顔を見ながら気まずそうに、「汗でズロースがぴったりくっついちゃって脱げないの」と言う。そう言われても困ります。「は、ははははは・・・そうですよね、暑いですもんね今日は」としか答えようがない。
汗を流してさっぱりした後は、図書館へ。冷房が効いていてほっとする。小さな施設だけど、人がいっぱい。暑さに耐えられなくなったら図書館ですごす。勉強してて気が散ってしようがないときも、図書館かカフェに行く。
『創価学会』(島田裕巳著・新潮新書)を読んだ。 新書というコンパクトな体裁ながら、創価学会の本質について、とても分かりやすく手際よくまとめられていると思う。創価学会が何故ここまで会員数を増やして大きく成長したのか。それは、創価学会が現世利益を前面に打ち出していること、現代の日本ではすでに失われつつある「村」に匹敵するほどの機能を持つ、会員同士の相互扶助による組織、農村から都市に移り住み(家長でないため先祖代々の宗教にしがらみがない人達)、安定した生活が保障されているとは言い難い人達の受け皿となったこと、また会員達による熱心な(本書には「戦闘的な」という表現も使われている)布教活動(折伏)、などが理由としてあるようだ。特に、強固な相互扶助組織であればなおのこと、家族親族一同が学会員であれば、実際問題として脱会しにくいという事情(それまでの生活の保障を失うことになりかねない)もあるらしい。 本書の趣旨はあくまで中立的客観的な立場で創価学会を論じる、というものであり、学会擁護の書でもないし、学会批判を前面に打ち出している本でもない。今や国民の7人に1人と言われる会員数を有する創価学会が、何故、既存の宗教をはるかに超える規模となったのか。氏は、こう述べている。 「創価学会が実現しようとしたことは、ある意味で、日本の戦後社会が実現しようとしたことであった。敗戦によって打ちのめされた日本国民は、豊かな生活の実現を求めて企業や労働組合といった組織を作り上げ、組織に忠誠を尽くしながら勤勉に働き続けた。その姿は、創価学会の会員たちの姿と重なる。一般の国民は、創価学会の思想や組織のあり方には賛同できなくても、追求する価値については、創価学会と共通したものをもっているのである。・・・中略・・・創価学会という組織は、日本人の誰にとっても決して遠い組織ではない。むしろ、私たちの欲望を肥大化させたものが創価学会であるとも言えるのである。」(『創価学会』) 本書は中立を保ちながらも、創価学会という巨大宗教組織に孕む様々な問題の断片をいくつか提示してくれています。その上で、戦後の日本社会がある意味創価学会のような組織を必要とし、利用してきたのではないか、というようなことも述べています。私の知り合いにも、聞いたことはないけれどもしかしたら学会員の方がいるかもしれない。これを読んでくださっている方の中にもいるかもしれない。「創価学会」をネットで検索すると、学会員の人のHPが多いけれど、中には創価学会批判のHPもあります。他人の信じる宗教について述べるのは難しいですけど、今、日本社会で創価学会という組織がとても大きな影響力を持ち始めている、ということを考えると、非常にデリケートな問題ではあるけれど、日本における現象のひとつとして直視しいろいろ考えていくことは必要なのではないか、と思います。
| 2004年06月19日(土) |
なんだかんだとまた神田。 |
旧暦5月2日。 昨日はちょっと暗いこと書いちゃったかなーと朝になって思ったのだけれど、「うつ」って今とても多いんだって。だからそのまま残しておくことにしました。だって、日記を読んでくださった方の多くは、「ふうん、そうなんだー」と思うにとどまるかもしれないけれど、中には「私と同じだー」と共感してくださる方もいるような気がするので。私の書いたことが少しでも参考になればと思います。 昨日の付け足しですが、「うつ」は病院で診察を受けて、薬を飲んで改善されるそうです。私も今度ひどくなったら素人判断しないでちゃんと病院に行こうと思います。うつ・不安啓発委員会公式ホームページは、昨日の講師の方に教えて戴いたのですが、とても参考になります。
今日は久しぶりに神保町へ。 靖国通りの古書店を見て回り、古書会館に行く。が、今日は古本に食指があまり動かず。本日のメインは三省堂と東京堂書店。新刊本です。 岩波文庫の今月の新刊が16日に発売されたはず・・・と、わくわくしながら。新刊の『ブレイク詩集』、復刊の『近世畸人伝』『塵劫記』、それから復刊でも新刊でもないけれど『南無阿弥陀仏』(柳宗悦)、それと、新潮新書『創価学会』(島田裕巳)。あと、ちくま文庫の『内田百間集成1 阿房列車』を購入。 ブレイクは、今、大江健三郎を再読しているので、岩波から対訳詩集が出ると知り、自分的にはとてもにタイムリーだと心待ちにしていたもの。『近世畸人伝』は、以前古書で探して持っているのだけれど、復刊となるとやはり嬉しくて買ってしまった。今、ちくま文庫からも、畸人研究会の手による畸人研究の本が出ていて、そっちも気になるのだけれど、やっぱり江戸時代の畸人の味わい深さには負けるでしょう、と勝手に推測。挿絵が好き。可笑しくって、かわいい。『塵劫記』は、江戸時代の和算書。私数学できないんですけど、これは面白そうです。絵がいっぱい。「ねずみざんの事」では、ねずみが沢山出てくる。うげげ。『南無阿弥陀仏』は前々から読みたかった本。浄土思想に深く心を寄せる民芸学者の書いたものを、その柔らかい文章をじっくり味わいながら読みたい。内田百間は、飄々としてユーモラスな感じが好き。呑みながら読みたい本。それから、『創価学会』は帯の「この巨大な宗教団体を我々はどれだけ知っているか」にひかれて手に取った。今日本で「学会」と言えば、学術研究の学会のことじゃなくて創価学会のことなんですね。公明党は連立与党の一翼だし。創価学会関連の建物は街のあちこちにあって、沢山の人達が出てくるのも見かけるし。・・・でも、創価学会って、実際どんな団体なの?と素朴に疑問が生じるわけです。今や日本人の7人に1人(本書)と言われる巨大な宗教団体に成長した創価学会。本屋に行けば池田大作関連の本で結構なスペースを使っているし。他人の信奉している宗教を論じることは難しい。この本は、「あくまでも客観的な研究者の視点から、現代日本社会における創価学会の『意味』を明解に読み解いた格好の入門書」だそうです。 ちなみに、岩波文庫の「夏の一括重版」はこれまた読みたい本がずらりと揃っているので、待ちきれないです。だから岩波文庫って大好きなんだなー。
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