あたろーの日記
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| 2004年06月09日(水) |
向井亜紀さんのこと。 |
旧暦4月22日。
運転免許証更新通知のはがきが届いていた。で、焦っています。前回の更新からもうそんなに経ってしまったかと。。。もちろん、「優良」、引き続きゴールドカードです。ぜんぜんハンドル握ってないもんね、世のため人のため、自分のため。なんだけど、免許の更新はヒヤヒヤモノです。前回も苦労しましたです。。。視力検査。というのも、私の視力は、裸眼で0.01以下なのです、両眼とも。しかも、右眼はひどい乱視でもあります。コンタクトレンズ入れていても0.7まではとても見えない。それでも、今以上度を強くすると、こんどは頭が痛くなってしまうので、コンタクトもこれが限度なのです。5年前の更新時、もうやぶれかぶれに、視力検査の順番待ち中に、直前の人の「上、右、斜め右下うんぬんかんんうん」を丸暗記して、自分の番になったらその通り答えましたら、ことごとく外れだったらしく、その場で見事初めから視力検査やり直しとなったわけです。人の2倍も時間食ってしまったわけです。当たり前ですな。・・・で、今回はどうするか、もう、コンタクトの上に眼鏡を掛けて視力検査に臨むしかありません。さっき試しにやってみたら、あまりのドギツさにクラッときてしまいました。でもなんとかいけそう。はじめ、尚更字がぼやけて、それでもしばらく我慢していると焦点が合って、遠くの字がなんとか読める位にはなります。でも、指された記号に焦点合わせるのに時間かかる、というわけで、今回も視力検査は人の2倍かかりそうです。 どうせこの先も運転しないでたぶん一生優良ドライバーなんだから、いっそ10年か20年更新にしてもらいたいと切に願う者でございます。
話替わるんですが、向井亜紀さんの出生届不受理。うーん。。と考え込んでしまいました(お役所が勝手にプライバシーに関わることを公表したと向井さんは憤っています、ごもっともです)。向井亜紀さんてなんとなく好きになれなかったんですよね、今まで。「夫の遺伝子を残したい」という記者会見のイメージが強くて。子宮ガンとの闘いには共感覚えても、「夫の遺伝子・・・」発言の方がインパクト強すぎて、同性、同世代の私には、それが、「男性の遺伝子を残す」=「女性としての存在価値」であるかのような主張に思えて、それは向井さんの意思と別のところで勝手に歩き出してしまった言葉なんだろうけど、マスコミによって何度も何度も伝えられる向井さんのそのメッセージが、彼女の本来の姿とは違った姿を私の中で作ってしまったような気がしています。 で、向井さんに対する自分の見方が偏っていたんじゃないかと気づかされたのは、先日の大学のとある講義がきっかけなんですが、彼女のHPmukai aki official web siteにある日記を読んでいるうちに、外向けだけど外向けでもない(女優さんだし、少なくとも私を含めてネットに日記を書く人はある程度外向けの意識がありますが)、問題に対する真摯な態度、まっすぐな姿勢が読む側に伝わってきて、この人の言葉にもっと耳を傾けてみよう、という気持ちになったのです。 子供が欲しい、子供を育てたい、という想い。私もとてもよく解ります。街で小さな子供をヒステリックに叱り飛ばしている母親見ると、私だったらもっと違う育て方が出来るのに・・・・なんて思ってしまう。前を歩いている親子の背中を見ながら、自分が子供の手を引いて、夕ご飯の話なんかしながら家路を急ぐ姿を想像してしまう。ニュースで虐待され、命を落とす子供のことを知るたびに、世の中には産みの親でなくても、親として子供にあり余るほどの愛情を注ぐことの出来る親が沢山いるだろうに、なんて不条理な仕組みなんだろうと考えてしまう。・・・そして、向井さんの日記(さすがに、お役所に対して怒っていることが多いみたいですが)を読むと、こんな風に自分が「親」になることを切実に願い、行動し、子供達にあふれるほどの愛情を注いで日々子育てに奮闘しているのに、どうしてこの人は日本の法律では「親」として認められないのだろう、と、大きな疑問が湧いてくるのです。 日本の生殖医療、倫理問題、法律問題、まだまだ3者とも検討や議論を重ねていかねばならない点が沢山残されている、その日本の枠組みを離れてアメリカでの代理出産という道を選んだ向井夫妻。けれど、アメリカでは夫妻は双子の子供達の親と認められても、日本では認められない。日本では、子供を産んだ女性があくまでも親。 代理母出産。。。とてもとても、難しい、クリアすべき問題が多いと思う、倫理的に。女性の身体は子供を産むための道具なのか、という疑問も湧く。代理母出産が普及すれば、いずれそれが、貧富間の金銭授受を伴う行為に繋がりかねない。代理母制度が定着してしまうと、貧しい国の立場の弱い女性達が、自分の意思に反して代理母にさせられてしまう可能性だってあると思う。大げさなことではなく、そういう危険性も孕んでいる、元手がいらない、身体の一部を使うビジネスが(性、医療含めて)、搾取する側(子供が欲しいと願う人だけでなく、その気持ちを利用してビジネスにする人達も含めて)によって都合良く利用され、搾取される側に悲劇をもたらしている例が数限りなく多いということを踏まえて慎重に議論を重ねていかないといけないのでは、と思います。 向井夫妻の場合も、アメリカでは認められていても日本ではまだ法整備のされていない代理母出産。現段階では、法律的に「親」と認められるのは確かに難しいかな、という気がします。ただ、法務省が、向井夫妻の例について、真剣に且つ血の通った対応をしてくれているのかというと、大きな疑問ですけど。 だけど・・・。毎日のようにマスコミで報じられる、児童虐待や、親に殺される子供のことを思うにつけ思うのですが。生物学的には親というのは簡単になれるし、法律的にも、簡単になれる。生物学的に親=法律でも親、というのが法務省のいう「親」なんですよね。でも、精神的に、子供に対する愛情の深さでなる「親」っていうのは、必ずしも生物学的、法律的な「親」の数と一致しないわけですよね。それどころか、生物学的、法律的に「親」と認められなくても、精神的、愛情的に十分「親」の資格がある人も確かにいるわけで。。どういう親が子供にとって一番幸せな親なのか、を考えた場合、法律や行政がそれをサポートするどころか、逆に親子にとってマイナスの措置しかとれないというのは、果たして妥当なのかどうか・・・という想いも生まれるわけです。 行政側の立場も理解できるのですが、現実に問題が起こっている、それを無視せず、議論の場を、と思います。
旧暦4月21日。 先日、横浜のとあるバーで、「シャルトリューズ」というお酒を飲ませて戴きました。このリキュール、フランスの同名の修道院で長く作られ続けているものだそう。約130種類の薬草が入っているのだけれど、その原料や配合の割合は、民間企業に製造を委託した現在も、3名ほどの修道士だけが外に漏らさぬよう堅く守り続けているといいます。例えばシナモン、カルダモン、クローブ、コリアンダー・・・などが入っていると思われているのですが、確かなことは門外不出の製造法故、想像の域を出ないとのこと。・・・ふむふむと頷きながらカウンターの上でメモを取る私に、マスターが丁寧に説明してくださったのでございます(美味しいお酒を口にするとコーフンしてメモ帳をおっぴろげる悪い癖があります)。 スパイシーでアルコール度が55度の緑色「シャルトリューズ・ヴェール」は、どちらかというと男性が好むそうで、女性に人気なのは、蜂蜜の甘さが感じられる黄色い「シャルトリューズ・ジョーヌ」、こちらはアルコール度40。小さいグラスにそれぞれ注いでもらい、「ヴェール」と「ジョーヌ」を代わり番こにチビチビ飲み比べていました。さすがに55度の「ヴェール」はストレートだとそんなに沢山飲めないのですが、不思議な位、くせになって、ちょっと間をおくとまた飲みたくなってしまう、「ジョーヌ」もしかり。甘みのあるお酒があまり好きでない私としては、「ヴェーヌ」のほうを気に入ったのですが、でも、両方ボトルで欲しくなったので、今度酒屋でみつけたら買ってみようかな、と思います。西洋の養命酒、みたいにも言われるそうですが、養命酒ほどの薬臭さはありません(昔養命酒を飲んでいました)。130種類もの薬草(ハーブ)が入っているだけあって、もういろんな味と香りが融け合って、もったり濃くてスパイシーさがたまらなく陶酔させてくれます。このお酒をカクテルにするのは難しい、バーのマスターのように熟練した腕もない私が自宅で飲む場合は、ストレートでチビリチビリ、眠る前の養命酒よろしく口に含んで、舌の上で転がしながら(玉露みたいに)、かの国の修道院に想いを馳せるがよろしいかと思ったわけでございます。 ちょっと変わった癖のあるお酒が好きな方にゃあ、断然お勧めでっせぇ。
・・・ところで、お酒の師匠は、食事の前に必ず行きつけのバーに行きます。まだ外が暗くならないうちからカクテルを2杯くらいカクカクッといって、それから飲みながら食事、そのあとまたバー1〜2軒。その日もその後に中華街へ繰り出しました。だけど最後にちゃんと横浜から電車に乗ってきて、乗り換えの田端駅でパッと目が覚めた自分って、とても凄いと思いました。酒の流儀は分かりませんが、なんとなく、肝臓も鍛えられてきたような気がします。。。
旧暦4月20日。
朝、当たり前のようにいつも通り家を飛び出していった娘の元気な声を、夜にはもう聞くことが出来ないというのは、なんて残酷なことなんだろう。 母親が病で亡くなり、そして娘がこういう形で亡くなり、ひまわりのような存在を次々と失ってしまった家庭で、残された父親と息子がどのような状態にあるのか、想像するだけで胸が痛む。 御手洗さんの父親の手記、最後までまともに読むことが出来ない。まだ現実を受け入れることが出来ない父親。この先、どんな想いを背負いながら、娘さんのいない人生を歩んでいくのだろう。 マスコミは出来る限りそっとしておくべきだと思う。こちらも知りたいことは沢山あるけれど、でも、遺族の気持ちを最優先にすべきと思う。
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