あたろーの日記
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旧暦4月11日。 暑かったです。東京は31度を超えたそうで。夕方早めに銭湯行って、ビール呑みながら黒沢明監督の「どん底」(1957年)観てました。 ゴーリキーの「どん底」が原作。舞台を江戸のまさに掃き溜めのようなオンボロの長屋に設定して、長屋の住人達を中心とした群像劇。三船敏郎、藤原釜足、千秋実、はもとより、山田五十鈴、香川京子、三好栄子、それから三井弘次が良かったです。どうにも救いようがない社会の底辺でうごめく生活。哀しさとか、逞しさとか。ここでどんな言葉を使って映画の感想を書いても、「どん底」の画面からあふれる役者と脚本のエネルギーをとうて表現しきることは出来ません。映画を観ていて、役者さん達の演技にこれだけ引き込まれたのは初めてです。そして観終わって後、じわじわとボディーブローが効いてくるのも。
旧暦4月11日。 ようやく布団を干せた土曜日。掃除洗濯ベランダの手入れ。ミニトマトがぐんぐん伸びて、小さな青い実をつけました。これから梅雨になるけど大丈夫かな、ちょっと心配。 あまりにも暑いので、ついに押し入れから扇風機を出しました。大家さんに、すだれを掛けるといいわよと言われて、押し入れの奥に去年買った物があったのを思い出しました。明日にでもつけようか。風鈴もぶら下げようか。。。 夜、先日買った「せんねん灸」を肩や背中、腕、それから足の裏の「湧泉」に据えまくってました。先日初めて灸を据えた時はびくびくしながらやったのですが、一度経験してしまうと、あのキュウッとなる熱さがやみつきになって次から次へと・・・さっき計10個、使いました。 ちなみに「せんねん灸」のホームページがあるのですが、詳しくってとても役立ちます。せんねん灸ホームページ 私は初心者なので「ソフト竹生島」というのを使っています。お灸なんて年配の方がやるもんだというイメージがあったのですが、自分も30代で仕事プライベート含め毎日パソコンの前に長時間座っていたり、いろんなストレスや疲労からか、慢性的な肩こりに悩まされ、ちょっと休んだ位じゃ、体力回復しないし、やっぱり30代なりの身体になってるんだなってしみじみ思いつつ、少しでもラクになるならという気持ちは私も同じだ、と、ついにお灸に手を出したわけです。しかし考えてみれば、経絡なんて年齢関係なくあるわけだし、鍼も灸も長い歴史に裏付けられてるんだし、こりゃやらないテはないべ、なのです。 でも、鍼はさすがに自分でできないし、鍼灸院で施術してもらうと1回5000円前後かかってしまう。そうちょくちょく行くわけにもいかない。というわけでお灸ですな、お灸。 丸い台座の上に筒状にしたもぐさが乗っていて、そこに火をつけ、台座の反対側のシールをはがし、ツボに貼り付けます。簡単簡単。で、約3〜4分間、ツボの上でもぐさが静かに燃えて、もぐさの成分と熱が台座の穴を通して皮膚にジーンと伝わってくる仕組みです。「あちー」と思うものの、さほど我慢できない熱さでもなく、むしろ心地よいです。もぐさが燃え尽きてもしばらくそのまま貼り付けて、台座が冷めたらはがします。皮膚に丸いお灸の痕が残るかなあと心配だったんですが、たまにちょっと赤くなるくらいで、それもすぐに退きます。ただ、個人差等あるそうなので、ちゃんと「せんねん灸」のホームページを見るか、説明書を見てしてください。 で、効果のほどは、というと・・・。まだ始めたばかりなので、あんまり分かりません、正直言うと。私の肩こりは慢性的で恐ろしいほど固まっている(もんでもらうとびっくりされる)ので、そうすぐには、というわけにはいかないようです。でも、お灸ってなんだか自分に合っているような気がするので、しばらく続けてみるのだ。それに、もぐさの燃える匂いがホワイトセージをいぶす時の匂いとそっくりで、アロマテラピー効果も高いです。 「せんねん灸」のシリーズには他にみそ灸、にんにく灸というのもあり、ちょっとそそられます。あと、火を使わないお灸というのもあるそうなので、会社ではそれをつけていようかな、と、思案中でございます。 というわけで、お灸、お勧めでござる。
| 2004年05月28日(金) |
戦場のジャーナリスト |
旧暦4月10日。 「イラクに行きたい。命は惜しいが、やらなければいけないことがある」 イラクで殺害されたと伝えられている小川功太郎さんの言葉だそうだ。叔父の橋田さんは、ファルージャでの銃撃戦に巻き込まれ片眼を怪我した少年に日本で治療を受けさせるために、奔走していたという。 命を失うかも知れないという覚悟があったという二人。危険を承知で戦場に行くジャーナリスト魂があるからこそ、戦争の現実が、戦場にいない人達にまで伝えられる。戦場にフリーのジャーナリスト達がいるからこそ、人類は「人間」であり続けることができるのだと、これは大げさではなく、本当にそう思っています。 権力を握り、戦争を始め、若者をそこに送り込む政治家がいて、戦場で人が人を殺すことに馴れてしまい感覚が麻痺してしまう兵士達がいて、戦渦の中で逃げまどい犠牲になる人達がいて、安全な場所で戦争を遠い世界のことだと無関心でいる人達がいて・・・人は争わなくても互いに生存し続けることができるだけの知恵も叡智も手に入れたのに、戦争というのはいとも簡単にそれを否定してしまう、けれどもその戦場で人間の眼と心を持った自由な立場のジャーナリストが、彼の視線と心と言葉で戦場で一体何が起こっているのかを語ってくれる、伝えてくれる、そうするのが自分の使命だという信念のもとに、人間が人間であるために戦争を否定するために行動してくれる、そういう人達がいるからこそ、人類はかろうじて「人間」でいることのできる権利を保っているのだと思います。 この前の日本人人質事件の際もそうだったけど、今回もまたすでに一部の政治家から「自己責任」発言が出ています。たぶんこれからその言葉を何度も耳にすることになるんだろうな。「自己責任」と相手を批判すること自体政治家の責任逃れだと思う。政治家以外でも、私たちがイラクで被害にあった邦人を「自己責任」と非難することも、私たちの責任逃れだと思う。戦争について真剣に考えることから逃げている、戦争を他人事と考えている、人の痛みを知ろうとしない、そういう無責任さから逃れることと一緒だと思う。
そもそも、危険を承知で戦地に行くジャーナリストやボランティアの人達に、「自己責任」という言葉を投げつけることが妥当かどうか。人類の眼や心や手や足の一部としてその行動力と勇気に感謝すべき人達に向かって「自己責任」と非難するのは、あまりにも考えが浅すぎると思う。
お二人の死を深く悼みます。
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