あたろーの日記
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旧暦3月19日。 仕事終わらず結局ガッコさぼって残魚。帰宅ルートはいろいろあるのですが、深夜皇居堀端をチャリンコで走るのはとても気持ちいいです。で途中で銭湯に寄って、髪の毛乾かしながらまたチャリンコで走るのも爽快です。 自転車通勤の人って結構多いですね。スーツ来てヘルメット被ってる人も少なくないです。女性も沢山すれ違います。かっこいい格好してる人もいたりして。 私の乗ってるのは正確に言うとロードレーサーとマウンテンバイクの中間のクロスバイクというやつです。ロードレーサーほど速くない(どんどん追い越されちゃう)けど、なかなかスピード出ます。最近、頑張れば巣鴨から青山まで30分で行けちまうことが判明しました。しかし、部活の特訓のごとく苦しく、1日の体力それで使い果たした感があったので、普通のペースで行きます。スピード出すのも危ないですしね。 それにしてもなかなか痩せていかないのは何故でしょうね。 脂肪が筋肉になって重くなったからでしょうか。ほんとに筋肉になってるんでしょうか。体型変わらないんですけど。 それが歳ってもんですかね。
・・・食べ過ぎってことですかね。
| 2004年05月06日(木) |
時代小説(市井もの) |
旧暦3月18日。 慌ただしい毎日がまた始まってしまった。。。 時間がどんどん、指の隙間から逃げていくような感覚。
連休中に読んだ時代小説で良かったもの。 藤沢周平「暁のひかり」松本清張「無宿人別帳」(ともに文春文庫)。 二本差し(お侍さん)が主役の時代ものもいいけど、それ以上に好きなのは社会からはじき出されたような人を丁寧に描いた小説。江戸の街の片隅でうごめく人々の心の綾を丹念に書き綴った藤沢周平の市井もの、大好きです。松本清張の「無宿人別帳」、無宿を主役にした小説はほとんどないのでは。そういうのが読みたくて探して探してやっと見つけたのが松本清張のこの短編集でした。なので、読み終えてしまうのが勿体なくて、ゆっくりゆっくり読みました。周平作品もそう。時代小説読むときに、武士が主役のものはどきどきしながら先へ先へとどんどん読み進めてしまう。ところが不思議と、市井ものは、本を閉じる時が来るのが哀しくて、同じ文章を何度も繰り返し読み返したりしながらのろのろと進みます。気がついたら、自分が時代もの読む速さってそうなっていました。 藤沢周平の市井もので特にお勧めの1冊に「驟(はし)り雨」(新潮文庫)があります。こちらも、じんと来る話ばかりです。
旧暦3月17日。 まだ朝8時前なんですけど、朝ご飯食べた後すぐ書いてます。もー日記書いてる(笑)。 昨日書いた日記読み返して、「ああ私って気張りすぎ」と、落ち込む。もっと肩の力抜いた方がいいんでないかい?と、自分で自分に言ってみる。ただ、結局、なんだって自分が好きでやってることだから、苦しいってことはないのです。でも、どして進歩しないんだ私は、と、時々沈む。焦る。 もちっと、自分を客観的に冷静に見つめながらやってかないといけないかな、と思います。それが結構難しいんだな。自分で見えるのは自分の欠点ばかり。うーん。。。
せっかくのこどもの日に朝からしっかり雨が降ってるっていうのは、かわいそうなもんですな。で、こどもの日だけど、大人もしっかり会社休ませてもらってます。ありがとふ。自分がほんとに子供の頃、実家ではこどもの日はそういえば夕ご飯に五目ちらしとかご馳走が並んでた。「どうして親がこどもの日を祝わなきゃならんのだ」とか父がわけの分からない文句言いつつも、我が家ではカレンダー通りに、子供が喜ぶイベントはちゃんとやっていたんだなあ、と、大人になった今、ちょっとずつ、断片を思い出している。 先月世田谷美術館に小磯良平展を観に行ったときに、ミュージアムショップで、「谷内六郎の絵本歳時記」という文庫本を見つけて買いました。新潮社から出てるんですが、今新潮社のサイトで検索しても出てこない。本屋さんではもう売ってないのかな。と思ったら、週刊新潮の表紙絵ギャラリーと称してこういうコーナーがありました。谷内六郎 週刊新潮表紙絵ギャラリーそうなんですよね、そういえば、言われてみないと記憶になかったんですが、週刊新潮の表紙絵って、昔こういう感じの絵だったなあ・・・と、くだんの文庫本をぱらぱらめくっていくと、どんどん郷愁の彼方に引き込まれていって、いつのまにか、子供だった時の自分が絵の中にいるんです。 「雪の落ちる音」「雪あられが障子をたたく」「やまびこの住む場所」「停電小僧」「月夜の蚊帳」・・・。 谷内六郎さんは、大人になっても子供の視線のまま絵を描き続けることが出来たのですね。それを、子供の頃のことを忘れてしまった私が観ていると、自分の中にいる子供の自分が目の前に現れて、哀しいんだけど嬉しいんだけどやっぱり哀しい、っていう、へんな気持ちになってしまいます。いつまでも子供の頃の純粋な心を持ち続けたいなんて誰しも一度は思ったり聞いたりするけど、実際そんなことできっこない、世の中そんなに綺麗じゃないし、人生シンプルからはほど遠い。それでも、六郎さんの絵を観ていると、心のどこかを揺り動かされて、自分にも子供の頃の記憶が残っていたんだ、って不思議な驚きがやってきます。でも、正直言うと、ちょっと辛いんですよね、六郎さんの絵を観ていると。。。この頃にはもう戻れないって、分かり切っているから。それでも、ページをめくってしまう。そして、生涯こういう絵を描き続けられた画家が、羨ましく思えてしまう。 絵の1枚1枚に添えられた六郎さんのエッセイがまた良いです。ツボを突いてきます。「夜の公衆電話」で、キツネが神主さんに一晩中電話を掛けてるっていう絵と、それに添えられた文章が一番好きです。
でもね、新潮社のサイトで販売されている複製画は1枚5万円以上します。そういうのじゃなくて、文庫本かそれよりちょっと大きめの画集で手軽に買える六郎さんの本、もっと流通させて欲しいなと思いました。 それにしても。 しばらく古本屋さんに行ってないです。 そろそろ禁断症状が。 行きたい行きたい行きたい。。 でも取りあえず今日は我慢。
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