あたろーの日記
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2004年03月13日(土) 桜がもう。。

旧暦の2月23日。
自宅近くの桜が満開。東京でこんなに早く咲く桜は、なんていう種類なんだろう。夜の写真になってしまいましたが、1枚。

昨夜は友達と遅くまでしゃべくってました。バナナケーキとホットケーキ、美味しかった。
 私は友人として付き合うにはつまらない人間だと思う。おしゃれや流行の話題ぜんぜん知らないし、テレビの話についていけないし、理屈多いし。自分の興味あることだけにどっぷり浸かって毎日暮らしてるような、面白味のない人間だし。集団行動より孤独でいるほうが好きだし。ぜんぜん華やかじゃないし。不精だし、気も利かない。恋人だったらなおさら、可愛気ない嫌な女だと思われるだろうなあ。
 でも、友人にはとても恵まれている。数の問題ではないけれど。
 大人同士(と、自分では思っている)の友人づきあいは、十代の頃のような「仲良しさん」づきあいとは、ニュアンスが違うと思う。お互い歳も食って、しょっぱい経験もある程度積んでいる。だから、それぞれの歴史と内面を尊重し合い、いたわり合い、励まし合って行く。社会に出てみると、うわべだけのつきあいの多さにも我慢しなければならない。だからこそ、本音を語り合ってそれでいて心が癒される関係のありがたみが身にしみる。
 自分のことばっかりにかまけてて全く不肖の私なのに、そういう仲間達がいるというのは嬉しいことです。


2004年03月11日(木) あ〜ぶ〜ら〜かたぶら。

旧暦の2月21日。
いよいよ虫さんが元気になりそうな陽気で。ところが明日はまたぐっと冷え込むんだそうです。虫が元気なのも、寒いのも嫌。
江戸時代に著された日本で初めての方言辞典「物類称呼」というのがありまして、地方ごとの自然現象から父母の呼び方、食物や衣類、動植物の呼び名を紹介しています。

あぶらむし○伊勢にて・ごきくらひむしと云 薩摩にて・あまめと云 肥州にて・ごきかぶらうと云

「ごきかぶり」を「広辞苑」で引くと、「御器噛り」という漢字が出てきました。「御器」は飯椀のことだそうです。茶碗に群がってかぶりつくからそんな名前になったんでしょうか。ひえ〜ぞっとしますぅ。それにしても、カタカナで「ゴキブリ」と書くのと、ひらがなの「ごきぶり」では雰囲気が違いますね。さらに「ごきかぶり」だと、ちょっと愛嬌がある・・・なんてことはないけど。。

「あぶらむし」というのは、油が好きだからとか、背中が脂ぎっているからとか聞いたことがありますが、どっちなんだろう(あ、でも、別に知りたくありませんっ)。年配の人は「あぶらむし」と言うほうが多いようです。よく、年配の方と一緒にいて、「ほれ、そこにあぶらむし」とか、「こないだあぶらむしが出てねぇ」なんて言われて、あぶらむしが植物につくあの緑色の小さい虫のことだとしか思っていなかった頃の私は、(なんだ、そんなの全然平気なのに、大げさだなあ)と思っておりました。で、ある日、知り合いの女性宅で食事をいただいてるときに、「あれまっ、あぶらむし」とおばさんがティッシュをつかんで立ち上がった。あぶらむしくらい構やせん、と思いつつも、口をもぐもぐさせながらおばさんの手の先に目をやった私は、思わず中のものを吹き出しそうになった。

それ以来、あぶらむしと聞くと、まず、ぞっとするようになりましたです。



2004年03月10日(水) 被差別民について

 旧暦2月20日。
 空気が柔らかくて、ちょっとした風も気持ちよい1日でした。

 仕事が終わると会社飛び出して、急いで神保町などに行き、時間の許す限り本探しです、このごろ。うまくいけば古本屋の何軒かはまだ開いているので。どうしても調べたいことがあって、あれこれ資料をめくってます。明日時間があれば図書館です。なるべく残業しないで早く帰れるようにしたいです。
 学生時代、もっと勉強しておけばよかった、あんなに時間があったのに、と、今になってひどく後悔しています。今勉強しようと思えば、寝る時間を削るしかないので、きついです。だけど、今この年齢だからこそ、調べたり考えたりすることの面白さや大切さを知っているのだと思えばいいのかも。

 近世の被差別民について、あれこれ調べています。「穢多」とか「非人」とか「かわた」とか。
 唐突に言いますが、私の父の生まれは被差別部落です。正確には被差別部落であった、というべきなのでしょうが、実態を知らない私の目から見ても、佐渡の中でも特に貧しい地域であることは明らかです。だから、というのでしょうか、私にとって、被差別民、被差別部落、不可触民といったテーマは、自分なりの方法でずっと関わっていきたいことでもあります。部落差別は現代でもやはり残っていると聞きます。表向きではなくても、人間の心の中には他者を差別する思想が根強く息づいているのではないかと思います。それは差別する側の個々の人格、人間性といった問題だけではなくて、人間の血の中に植え付けられた遺伝子のようなもののしわざではないだろうか、とも思うのです。だから、差別というのは、この先もなくならない。たとえ将来日本の中で部落差別が綺麗に根絶されたとしても、世界のどこかで、差別する側とされる側の対立が必ず存在していくのではないかと思います。そんなこともふまえて、近世、江戸、佐渡、美作、弾左衛門、穢多、非人、かわた、ちょうり・・・などのフィルターを通して探る「差別」の深層を、自分なりに理解できたら、と考えています。
 というわけで、今日はここらへんで。


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