あたろーの日記
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2003年12月03日(水) 死ぬために生まれる

 会社の健康診断から帰ってきた同僚が、検診で「死にたいと思ったことはありますか」と聞かれたと話していた。
 昨夜は授業で先生が、最近多くなっているうつ病による自殺の話をされた。
 
 健康診断で死にたいと思ったことはあるかなんて聞かれても、困るな。
 どんな顔してなんて答えたらいいのか、困る。

 人はおぎゃあとこの世に生まれた瞬間から、死に向かっている。
 人は死ぬためにこの世に生まれる。
 どうせ死ぬためにこの世に生を受けたんだから、もうちょっと踏ん張ってみようかっていう気になる。
 どのみち最後は死ぬんだから、人生気楽に考えたほうがいい。


2003年12月02日(火) 文化鍋はすごいです!

 ・・・なんだか雑誌の特集みたいな題になっちゃった。
 偉そうなことは書けないんだけど。
 
 最近ますます寒く、布団から出るのがツライ朝。
 寒いけど我慢して、台所に立って、前夜研いでざるに上げておいたお米1合分を文化鍋に入れて、米と同等+1割分(と鍋の説明書には書いてあるけど堅めが好きな私は水は少なめ)の水を足して、鍋の蓋をしてその上にお椀を伏せて(鍋の蓋を押さえるため)強火にかける。鍋が小さいのですぐグラグラ始まる。そうしたら弱火、ほんとに弱火にして15分。15分たったら一瞬、5秒間だけ強火にして火を止める。そのまま12〜3分蒸らす。蓋を開けると白いお米がつやつやと光っている。。。。その頃にはもうお弁当と朝ごはん作るのにがちゃがちゃ元気に動き回れるくらいに台所も暖まっている。
 引越しを機に、炊飯器をやめた。ガスでご飯を炊く、というのを紹介しているサイトがあって、http://homepage2.nifty.com/NG/そこに感化されて、
文化鍋を買った。このレトロな外観にえらく一目ぼれしてしまったのも理由。他に、炊飯器の電気代って馬鹿にならない。今までレンジとPCと炊飯器一度に使っていたらブレーカーが落ちたことも何度か。それから1人分の1日のご飯を炊くのには炊飯器は向いていない。なにせまずい。1合だけだと釜の底に平べったくこびりついたような炊き上がり。なので今までは3〜5合炊いて一膳分ずつラップに包んで冷凍保存し、食べる分だけレンジでチンしていた。ラクだったけど、とっても不満だった。少量で美味しく炊ける方法はないものかと。。。
 そうしたら文化鍋に行き着いた。
 なんてったって可愛い。私が買ったのは株式会社トーヤマの亀印文化鍋http://www5b.biglobe.ne.jp/~toyama/index.htm の、一番小さい14センチ径のもの。3500円だから、この小ささの鍋としては安くないほう。でも大事に使えば炊飯器より断然長持ちするし、場所もとらない、手入れもラク、もちろんご飯焚く以外にも煮物にも使えるし、でいいことずくめ。
 これでご飯を炊くとほんとに美味しい。実は一番最初にこれでご飯炊いた時、鍋の底におこげびっしりつけてしまって、先行き不安になったのだけど、2回目以降はばっちり、おこげも滅多にできなくなって、つやつやふっくらご飯。炊飯器のほうが便利だと思い込んでいた今までが嘘のよう。だって炊飯器のほうが面倒なんだもん。手入れが。炊くのも、時間と火加減に馴れちゃえばどうってことないです。ラクです。
 しかも、文化鍋というのは鍋のふちが蓋より立ち上がっていて、そのお陰で蓋と鍋の内側との間に煮汁等がはみ出してくると、それがシールド効果を生んで、煮物でもご飯でも早く煮あがるし、炊き上がるのですね。すごく感動した。文化鍋、もう手放せません。
 夜は残業が多くてなかなか家で夕ご飯食べることができない。なので、朝と昼は自分で栄養管理したくて、最近はなるべく和食中心です。炊きたてのご飯、半分はお弁当に入れて、半分は朝から納豆ごはん♪幸せです。お弁当作るのはちょっと面倒だけど、休日や夜、ちょこちょこっと常備菜作っておけば、あとは朝メインのおかずを料理して詰めるだけ。大したことはやってません。
 文化鍋、買って絶対損はないです。
 この先家族ができても、私は一生文化鍋でご飯焚くだろうなぁ。


2003年12月01日(月) 『日本人と浄土』

 イラクはまだまだ戦争状態だと思う。
 亡くなった二人の日本人外交官の死を無駄にしないためには、自衛隊派遣を取りやめ、アメリカ主導でない平和的な手段でイラク復興を目指すしかないのじゃないかと思う。。。
 小泉さん、どうしても自衛隊を送りたいのなら、まず自分で現地に行って様子を確かめたらどうでしょう?

 『日本人と浄土』(山折哲雄/講談社学術文庫・1995年)を読んだ。
 いくつかの雑誌や講演から集められた原稿を編んだもの。なので著者の考える「日本人の浄土観」についてのエッセンスが繰り返し各章で述べられている。
 「常世の国」の世界観を持っていた人々の住む古代の日本に、インドで生まれ中国を経て、仏教が伝えられた。広大な大陸で生まれ、大陸を渡ってきた仏教が、海に囲まれた山深き島国に浸透していった時、人々の浄土観はどのように変化していったのか。筆者は、道長や、鴨長明、親鸞を通して、また山岳信仰の視点からも、アプローチを試みる。
 
 とても興味深く、面白かった。日本人と仏教を考える際に、どうしても、日本人の意識の奥深くにある「常世の国」思想を切り離すことはできないのだと思った。山を神聖視し、海を畏怖の念を込めて見つめてきた日本の人々の心の中で、インドで生まれた浄土の思想が、大陸的な視点から当然のごとく変化して独自の世界観を形作った。

 特に面白かったのは、出羽三山の山岳信仰についてと、鴨長明の生き方、それから親鸞聖人の海と山の体験について。
 仏教を、日本という島国の、海と山に視点を移して空間的な観点から捉えることは、私達の心の奥底を探っていく時に、とても大切なんじゃないかとふと思った。


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