あたろーの日記
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| 2003年11月23日(日) |
焼き鳥作ってみました |
寝違えて朝から首と肩が痛い。 なにやってても痛くて、気にすればするほど、凝る、凝る、凝る。 早く銭湯に入って打たせ湯で思いっきり首と肩に滝のようなお湯をジャバジャバ当てたい・・・というわけで、早めに銭湯に行って、念願の打たせ湯。それから露天風呂の縁に頭を乗っけて夜空を見ながら熱い湯にゆっくり浸かった。もう、極楽極楽。頬に冷たい夜風が当たるのがまた気持ちいい。首から下は熱い湯で血の巡りがよくなっている。あー極楽極楽。 銭湯から上がってそのまま近所のスーパーに行き、鶏肉買う。今夜は焼き鳥。えーと。皮、ねぎま、正肉。ししとう、にんにく。あと、冷奴。 焼き鳥の皮、大好き。カロリーが一番高そうだけど、あのこってり加減が好き。皮食べたーい、ってんで、鶏肉コーナーで皮を探す。が、やっぱりないよね。鶏肉の皮だけなんて、そもそも売ってるのかしら。見たことないもんね。・・・ということは・・・。 自宅に帰り、さっそく調理にとりかかる。 まずは、たれ。 ネットで焼き鳥の作り方説明してくれているサイトをあちこち見て回って、ちょいと研究。 で、割合は。醤油2、酒1、みりん1、砂糖0.7くらい。そこに和風だしをちょっと。あと、私の場合、チャツネ(カレーに入れるジャムみたいなもの)を小さじ1ほど足してみた。なんとなく、いいかなと思って。さあ、どうかな??それを小鍋で焦がさないように弱火でとろみが出るまで煮詰めていく。隠し味(?)のつもりで味噌を小さじ1ほど入れてみた。でもこれはいらないかも。うん、むしろないほうがいい、と後で食べて思った。次回からは味噌は入れない。 もも肉の皮を、包丁の先っちょを使ってこそげるように剥ぐ。もも肉から皮を剥ぐなんて初めてだ。他の料理ではいつもそのままぶつ切りにして使っているから。その皮をだいたい2センチ四方くらいに切る。切り離したもも肉も適当な大きさに切る。むね肉、これも切る。それから長ネギ、にんにくも適当な大きさに切る。なるべく均等な大きさに。ししとうは破裂しないように小さく切れ目を入れておく。 次はいよいよ串に刺す。ぶつ、ぶつ、ぶつ。。。あんまり欲張ってぎゅうぎゅうにしない。均等に焼けるように。 ここで気がついた。皮って結構刺しにくい。まず串の先がなかなか皮を突き抜けない。おまけにすべる。すべって自分の指を刺してしまう。うー。。鳥皮ってこんなに手間のかかるものだったんだ。 ねぎま、正肉、皮、にんにく、ししとうをそれぞれの串に刺しながら、ガスコンロの魚焼用グリルですでに焼き始める。下に水は張らない。蒸し焼きにならないように。あんまり強火にせず、中火くらいで途中ひっくり返して両面焼く。狐色にならないように。中に火が通ったかな、くらいで止めておく。 とろみが出るまで煮詰めて冷ましておいたたれは、別の容器に移しておく。煮詰めた時の小鍋は洗わずにそのまま。ここで台所の狭い私は考えた。 小鍋の中に、両面焼いた焼き鳥をいったんグリルから出してどんどん入れていく(串を立てるように)。グリルの中では次の焼き鳥を焼く。で、上がったらまたどんどん小鍋に入れる。最後のグループを焼き上げたら、小鍋に入れた焼き鳥達の上から、別容器に移しておいたたれをスプーンを使って回しかける。なるべく満遍なく。で、今度はたれのかかった焼き鳥をグリルで、先ほどよりちょっと強火にして両面さーっとあぶるように焼く。 焼き鳥を全部抜いた後の小鍋は、底のほうに再びたれが溜まっている。でも、このたれは、鶏肉から出た油も混ざって、最初に作った時よりもコクが増して美味しくなっているはず。それを鍋のまままた弱火にかけて温める。 焼き鳥が全部焼きあがったら、お皿に並べた焼き鳥の上から、再び煮詰めたたれを回しかけて出来上がり。 冷奴は、エシャロットとにらをみじん切りにして豆腐の上からちょっと豪快にかけて、その上からさらにごま油を1匙ほど、最後に醤油をさっとかけるだけ。これが結構いけます。
感想。 焼き鳥、美味しかった!! 自分で言うのもなんですが、十分満足のいく味になった。生意気なようだが、そこんじょそこらの焼き鳥屋さんには負けないわよぅ、位は言ってもいいかも、ははは。 焼き鳥のたれは時間のある時に作って、寝かせておくともっと味が出るかも。 自宅で焼き鳥、すでに作ったことある人もいるかも。 もし、まだのようでしたら、私のレシピ参考に、どうぞチャレンジしてくだされ。 結構楽しいです。 ちなみに写真は写真日記に。 次回はつくねもつくんねーと。
江戸開府400年記念事業の一環として開催された「お江戸寄合」(全国街道交流会議主催・日比谷公会堂)に行ってきた。 二部構成で、第一部はシンポジウム、NHKの松平アナウンサーを司会に、脚本家の市川森一、エッセイストの高橋千劔破(ちはや)、徳川宗家第18代当主の徳川恒孝の各氏が、江戸時代の、江戸と各地の文化交流の橋渡し役であった街道とその周辺について語り合う。シンポジウムというよりもっとリラックスした雰囲気、談話会、という感じ。それぞれに江戸文化を長く見つめてきた方々で、どの話も面白く、とても1時間半では足りない。もっと話を聞きたかった。 よく言われているように、家康が江戸で幕府を開くまでは江戸は葦原茂る土地であったというのは嘘で、実は、それ以前から江戸は着々と都市として整備されていたらしい。北条氏王国をそのまま頂戴する形で、家康はしっかりした都市構想を持って江戸に入り、すでに都市として体裁を整えつつあった江戸から地方への街道をすぐさま整備し始めたとのこと(高橋氏)。 参勤交代は各大名達とその民達に大きな負担を強いて、各藩の財政を圧迫したことから批判的に捉えられがちだが、参勤交代の一行(武家だけでなく、お抱えの職人等さまざまな人達も同行)が各街道の各宿場を滞在しながら江戸に向かう道中で、いろんな土地との交流が生まれ、そこで文化が混ざり合い、さらに江戸での滞在中も文化交流が行われ、参勤交代によって文化が攪拌されたことは大きな意義があった。例えば「わが藩の大根は漬物にすると旨くないが、この藩の大根は旨い、どうしたわけか」というようなことから芸能にいたるまで、さまざまな段階で文化がシャッフルされた(市川氏、高橋氏)。 江戸時代の鎖国は日本を世界の発展から大きく隔て後退させたとマイナスに評価されがち。けれど、長い江戸幕府の時代で、武器の発達が見られなかったこと、入鉄砲に出女、と厳しかった関所はあれど、一般のしかも女性も現代より頻繁に安全にひとり旅ができたほど平和な時代であったことを再評価すべきである。争いのない平和な時代だったからこそ、旅人が頻繁に行き来して街道がさらに発達し、人びとの心が豊かであった(徳川氏)。 日本人が西欧人に比べて大の旅好きであると当時シーボルトなど日本に来たオランダ人が驚いている。彼らは、街道、街道沿いの宿場、それから旅をサポートする人達(籠屋)やグッズがよく整備され、揃っていることが、これだけ旅好きなお国柄たるゆえんで、心が豊かで自由な人びとだと書き残している。戦争がもたらすものは貧富の差である。戦争のなかった江戸時代の心の豊かさを今一度見直すべき(高橋氏)。 ・・・と、ほんとはまだまだ語られたことは多いのですが、書ききれないのでこのあたりで。 第二部は「江戸錦街道絵巻」と題して、「鈴鹿馬子唄」に始まり、「薩摩藩妙円寺参り」(伊集院太鼓)、「熱海湯汲道中」や「ぶり街道行列」「皇女和宮行列」などの再現。 それぞれに趣向を凝らし、扮装あり、忠実な再現ありと、とても楽しめたし、勉強になった。
日比谷公園では、同じく400年記念行事の一環として、「江戸天下祭」が行われていて、諸国物産展と、江戸の祭りの華であった「江戸天下祭」を再現すべく全国から江戸に里帰りした山車を公園内で引き回していた。24日(月)の昼間には、当時のルートでさらに多い数の山車や神輿が日比谷周辺を練り歩くそう。それを見に行けるか分からないので、嬉しくて会場のあちこち回ってデジカメで撮影し、合間に携帯のカメラでも撮って写真日記にも掲載しましたので、興味ある方はご覧くだされ。 天下祭とは、江戸時代に、神田祭と山王祭の山車や神輿の行列が、毎年交互に江戸城に入っていく、とても豪華で盛大な祭りだったそう。 今回、青梅市、埼玉県川越市や熊谷市などから、江戸時代に江戸から散逸し、引き取られ、各地方で大切に受け継がれてきた山車が里帰りしてこの再現天下祭に参加している。天保年間に作られたものも。 山車のてっぺんには弁慶や武内宿禰などのリアルな人形がついて、その下で鐘や太鼓や笛のお囃子が鳴り響き、おかめひょっとこ、狐が激しく舞い踊り、周りをねじり鉢巻にはっぴ姿の曳き手達が煉り足で山車を曳いていく。 豪華絢爛とはまさにこのこと。そこに粋といなせがくっついて、祭りのもつ神々しさと猥雑さが加わって、人々の熱気が乗っかって、現代なんだけど私は完全に江戸時代にタイムスリップしてました。今は山車も電気の灯りで飾られてるけど、江戸時代はどんな感じだったのか。でも、山車や御輿を囲む人々のわくわくした表情はきっと今も昔も変わらないと思った。お囃子のリズムに自然に体が反応し、担ぎ手曳き手と見る者問わず一体感が生まれ、怪しい踊りのおかめひょっとこ狐狸に心が呼応し、引き込まれていく。祭りのパワーは、人の心の中の普段大人しくさせられている部分を引きずり出し、高揚させてくれる。そこに、祭られた神々との接点もまた生まれるのだなあと、実感した。山車の上の狐の仕草に夢中になって見ていると、隣のねじり鉢巻はっぴの「ねりきち」姿のおじさんたちが「ねぇ、きんきらぴかぴかきゃーきゃー(・・・なんとなく言いたいことは分かる)よりも、こっちのほうが何倍も楽しいよねぇ」と話していた。「お姉ちゃん楽しいかい??」・・・あ、なんだ、さっきから私に話しかけてたんだ。「はい、凄いですね。楽しいです」「もっと前に行きなよ、狐が手ェ出してくれるよ」と、おじさん、コーフンして手振りつけたらそのはずみで持っていたカメラの袋が地面にガシャ(いや、私のじゃなくておじさんの)。でもおじさんお構いナシではしゃいでた。 江戸庶民の大きな楽しみのひとつであった天下祭。天保の節約政策のあおりを受け、また火災による消失の際の建直し費用の問題、また都電の開通で電線が張られたりしたことなどから、大きさと豪華さを競った山車も次第に姿を消し、各地方に引き取られていったとのこと。 今回の祭の復活のために、5年前から天下祭の本家本元の神田明神や日枝神社の氏子達と、流出した山車を持つ各都市の人々が協力して準備をしてきたそう。できれば、これから毎年、もしくは2年に1回くらいの割合で、この祭を再現して欲しいなあと、最後に露店で買った大盛りの焼そばをぱくつきながら思ったのでした。 24日に行ける方はぜひ!おすすめですよぅ〜。 おすすめのサイト「江戸ネット」http://edo400.net/ 天下祭についても詳しく載っています。
うひゃひゃとうとう出たワイ。 9月に引っ越して来た当初は、小さい子供のごきが結構沢山出没。畳のへりを歩いていたりトイレの壁にへばりついていたり、サッシのへりで休んでいたり。そのたびにティッシュでつまんでいた。ホウ酸団子も置いた。蜘蛛とゲジゲジはごきの天敵だと知り、絶対殺さないようにしていた。ただし、ゲジゲジを見たのは1回きり。それも、あまりの異様な形体にあわてて抹殺してしまった。 台所の生ゴミも夜と出がけには必ず袋の口を閉じ、ごきの喜びそうな環境は作らないようにしてたのに。 でもとうとうヤツは出てしまった。 朝、団子虫の屍骸が窓の下に転がっていたので、いやーな予感はしたのです。なんで虫がどっから部屋に入り込むんだろう。。。 お風呂から戻ってきて、金曜の夜だから一杯やろうってんで煮物火にかけてコンロににんにくほうり込んで、その間ちょっと部屋掃除しとこうとリュックをひょいっと持ち上げた時に、なにかが滑り落ちたような気がした。 ん?とリュックの置いてあった辺りを見回したけど何もない。気のせいか、とも思った。この部屋はこどものごきも9月以来見てないし、気のせい気のせい。。。。でも、なんとなく不安になってしつこくきょろきょろしたそのとき。 あーいたー!!!! まだ大人になってない、中学生くらいのごき。 逃がすもんかー! ってんで部屋の隅に常備してあるゴキジェットプロを掴んでぶっかけた。 それからしばらく放心状態。 体の震えが止まらないので、も1回銭湯行ってくっか。。。と思ったけど、 時間も遅いので、ふらふらと台所に立ち、鍋の火を止めて、最後にオムレツ作ろうと切っておいたまな板の上の野菜は食べる気失せて冷蔵庫にしまった。 金曜の夜のわくわく感は完全に消えてしまった。 。。。と思ったけど、やっぱり缶ビールくらいは飲もうと煮物とにんにく盛って、半分放心状態で無理やりくつろぎました。 やっぱ出るわねきっと。 こうして少しづつ私も強くなっていくのだきっと。 ごきには気の毒だけど、私の部屋に出没するならそれなりの覚悟をしてもらわないと。
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