あたろーの日記
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2003年07月03日(木) パッションフルーツ⇒訂正事項

 先日日記に頂いたパッションフルーツのことを書いたんだけど、今日、それを下さったお人が日記を読んでびっくりして慌ててメールを下さった。
 ・・・パッションの種を出してはいかんのだそうだ。
 種をプーするのではなく、全部食べるのだそうです。
 なんと、私はせっかく頂いた貴重な果物の食べられるはずの大部分を、無駄にしておったのです。・・・吐き出した種ベランダの植木鉢に蒔いてたもんね。今更土の中から拾って食べるわけにもいかないしね。。
 どうりで可食部の少ない果物だと思いました。
 頂いた時にちゃんと説明してくださったのに、まったく理解してなかった私。フォッフォッフォ。。。
 幸いあと2個残ってます。
 明日、種も食べてみます。
 
 私の日記を読んで、パッションフルーツの食べ方を間違えて覚えてしまった人がいましたら、すぐさま訂正してください。
 パッションフルーツは種ごとお食べくださいm(_ _+)m

 ☆☆☆
 
 雨夜の帰り道。住宅の軒下でくちなしが白い花を沢山つけていた。
 通り過ぎると後ろから甘美な香りがいつまでも追いかけてくる。
 くちなしの香りって好きだな。
 でもそれがあまりにも官能的でむせかえってしまうので、私のアパートの狭いベランダには置けない。なめくじが寄ってくるというのも理由にあるけど。
 ところでどうしてくちなしっていうんだろう?
 と、今夜はそんなことに思い巡らせながら歩いていた。
 くちなし。
 梔子。
 ・・・口無し?
 岡野玲子の漫画「陰陽師」(夢枕獏原作)に、僧侶のもとに毎晩口のない女の人が現れて、安倍晴明が、僧侶が写経をした際に「如」という字の口の部分に墨を落としてしまい、その「如」という字がその女の人の正体であると解いた話があったけれど、そのタイトルが「梔子の女(ひと)」だった。
 くちなしの花。・・・しとしとと雨の降る季節に黙って咲いている無口な花だから?そういうイメージがある。
 ・・・朽ちなし?
 これは私が語感からなんとなくイメージしてしまったんだけど。。
 純白の飾り気のない美しい花。周囲の景色の中に決して埋没することのない柔らかい白さ。こんなに香り、こんなに人を魅了する花は、ずっと朽ちることを知らないのじゃないかな。永遠に、その白さを保ったまま、庭の片隅にひっそりと咲き続けるのじゃないだろうか。
 でも、残念ながら、くちなしの花もやがて色あせていく。真っ白い花は、いずれ茶色に変化していく。闇夜に浮き上がるほど美しい白であったがために、白でなくなっていく変化の過程は、哀しくなるほど無残で寂しい。
 朽ちなし、であれば、素敵なのに。

 それでとうとう「広辞苑」で調べることにした。
 なんだ、なんかつまんないの。
 「果実が熟しても口を開かないからいう」とあった。
 あー確かに、口がすぼんだような形の実がなるなあ。
 でも、ロマンがない名前の由来に、ちょっとがっかり。
 
 ところで、くちなしの花を見ると、どうしても「くちなしの花」という歌を思い出してしまう。http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/kuchinashinohana.html
 あたしっておやじっぽい。。。
 
 
 
 


2003年07月02日(水) 「ブレードランナー」

 リドリー・スコット監督の映画「ブレードランナー」が好きで、もう何回観たか分からないけど、観るたびに新しい発見があって、飽きない。
 劇場ウケを狙って監督の意図しないエンディングになってしまった1982年の劇場公開版(「完全版」)と、時を経て1992年に監督が改めて希望通りに編集しなおしたディレクターズ・カット(「最終版」)、一見同じ映画なんだけど、やっぱり違う。
 例えば「完全版」では主人公のデッカード(ハリソン・フォード)のナレーションが入るけれど、「最終版」ではまったく入らない。そもそもスコット監督はこの映画をフィルム・ノワール的なものにしたかったそうで、となるとご丁寧に観客に説明をくっつけるようなナレーションを入れることは論外だったようで。
 それから劇場公開版とは決定的に異なるのは、レプリカント(アンドロイド)を追って抹殺するブレードランナーという仕事をしている主人公のデッカード自身が、じつはレプリカントなんではないかという疑念を映画を観る側に与えようとしていること。デッカードがレプリカントか人間かについては人によって判断は分かれるかもしれないけれど、スコット監督は明らかにレプリカントだと意図して映画を制作した、とインタヴューに答えているらしい。
 デッカードがレプリカントだと意識させられる点からも、私は「最終版」のほうが好き。ある決定的なワンシーン(私には決定的に思えてしまう)といくつかの台詞から判断するに、デッカードはやっぱりレプリなんだなあ、と思えてくる。少し謎解きの要素もあって面白い。で、そういう観点から観ると、「最終版」には「完全版」にない深みや広がりが出てくるような気がするんだけど。。。
 さらに、デッカードがレプリカントだと思うと、レプリカントのリーダーであるロイ(ルトガー・ハウアー)の言動がさらに重みを増す。ロイはデッカードがレプリカントだと知っていたんじゃなかな、とまで思えてしまう。だとするとロイが息絶える場面での解釈も違ってくるかな。
 ちなみに俳優陣では、ルトガー・ハウアーが一番存在感があって好き。主役のハリソン・フォード以上の存在感。ルトガー・ハウアーは大好きな俳優さん。一番好きなのは彼が主役を演じた「聖なる酔っ払いの伝説」(エルマンノ・オルミ監督)と、この「ブレードランナー」。「聖なる・・・」は橋の下に住むホームレスを演じていて、アクション俳優として有名な彼とはまた違う一面を見せてくれる。私は断然こっちのほうが好きです。

 随所に出てくるちょっとオカシイ日本も好き。
 舞台となる近未来の東京風の都市。日本女性が微笑みながら口に錠剤をほうり込む「強力わかもと」のでかいネオン看板。だいたい、近未来の街の看板に「万年筆」(それもでかでかと)はきっとないだろうと笑ってしまうんだけど、まあいいや。屋台のおっちゃんや街で繰り返し同じ日本語が流されるのもおかしくていい。
 映画が始まった瞬間から自分もその場所にいるかのごとく雰囲気にどっぷり浸かれるところが好き。ストーリーもさることながら、街の存在感、エネルギーが画面から伝わってくるような気がする。
 「ブレードランナー」のファンは私の周りにも結構いて、皆それぞれの思い入れがあるみたい。
 観れば観るほど、自分だけの映画になっていく、そういう面白さ、不可思議さ、奥深さがこの映画の人気の魅力かも。

 


2003年07月01日(火) もっと他のコトに怒りなよー

 ロシアから来たタトゥーというデュオが、生放送の途中に自分達の出番をすっぽかして帰っちゃったのが話題になって、マスコミを賑わしているみたいだけど、正直言って「あほくさ」と思ってしまうよゥ。いい加減もうニュースで取り上げるのやめればいいのにね。実際被害をこうむったテレビ局やプロモーターのご苦労を分からないわけではないけど、そういう荒天破なことをしかねないと十分予想できるアーティストを出演させて話題を得ようという狙いもあったんだろうし、リスクは重々承知しておくべきだよね。もちろん出番すっぽかした方が悪いんだけど、それに対する怒りの動機が、どうも、十代の外国の女の子達に日本をバカにされた、というところにあるような気がして、なんかヘン。このデュオが例えば30代位の男性だったら、非難の度合いもたぶん違っていただろうなあ。
 テレビ朝日は当然ギャラは払わない、なんて言ってるけど、話題づくりに貢献したんだから(そもそも番組を生放送にすること自体、ハプニング性を期待してるんじゃないか?)ちっとは払ってあげれば?これでミュージックステーションの視聴率もしばらく上がるかもしれないんだし。
 そんなことよりも、日本という国では、まったく仕事をせずに拘置所暮らしをしている悪徳政治家になんと年間2000万円近くものギャラが平然と支払われているんである。当然それは国民の血税ぞ。その悪徳政治家とはあの鈴木宗男議員、そういえばまだ議員やめてないんだよゥ、もう、びっくりしちゃった。すっかり記憶の彼方に追いやってましたし。昨年1年間で、「議員歳費は月々支給され、昨年3、6、12月にはボーナスが総額約690万円」合計「約1970万円」支給されたそう。http://www.asahi.com/politics/update/0630/005.html
 すごいよね。2000万稼ぐには私何年働かなきゃならないんだろ。働かずに拘置所でのんびりしてる悪徳政治家のオヤジ養うために私今日も稼ぐのかと思うとほんとアホらし。まじで税金返して欲しい。
 それから早稲田大学生らのサークルでのレイプ事件に関連して、「(レイプする人は)まだ元気があるからいい。正常に近いんじゃないか」とのたまったガマガエル議員氏。どんなに釈明しようと貧相な犯罪認識しかないのがもうばればれです。選挙カーの中でアルバイトの女性に性的嫌がらせをして辞職に追い込まれた横山ノックと同類なのがようく分かる。
 さらにはその発言があった同じ会場で親分ガマガエルである森元首相の堂々たる熱弁に私はあいた口が塞がらなかった。要約すると、結婚して子供を立派に産み育ててきた女性もいる一方で、ずっと独身で気ままに暮らしてきたくせに歳をとったらさあ年金で面倒みてくれと都合のいいことを言う女性もいる、子供を産んで育ててきた女性はご苦労さんとねぎらうべきだけど、そうではない女性は云々かんぬん。。。という内容だった。
 ここまで来ると怒りというよりもう呆れるというか情けない。この人が口でさんざん災いを呼んだとはいえ、一時期日本の首相だったんだよなあ。こういう、女性を子供を産む道具としか見ていないような人が政治を動かしているんだから、日本という国はオソロシイ。
 私は男女の性差を否定しないし、男女それぞれに補い合って助け合っていける自然な形が理想なんじゃないかなあと思っているけど、そういうことと、女性は男性より劣るとか、女性は子供を産んでこそ一人前とかいう捉え方はぜんぜん違う。あまりにも貧弱で、視野の狭く低い見方だ。というか根本的に相手を人格ある人間だと見る能力に欠けているのだから、その貧相な思考能力を憐れむべきかも。
 こういう貧しい考え方しか出来ない政治家が、公の場で堂々と呆れた言動をしている、そういう事態にもっと怒るべきなんじゃないかと思うんだけど。マスコミは、外国の未成年の女の子の不可解な言動を追っかけまわしてクローズアップするより、自分の国の政治の中枢にいる人達をもっと監視して欲しい。
 と、ここまで書いて気がついたんだけど、タトゥーに対して日本人が怒っている心理の根っこにあるのと、レイプするのは元気な証拠だなどと言えてしまう心理の素は、よくよく考えると同じ種類のものじゃないかと思った。
 どっちも相手が女性だから、というのがあるんだよね。。。たぶん。

 今日はちっと吐き出したからすっきりしました。
 最後まで読んでくださってありがとうですm(_ _)m
 おやすみなさい。
 


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