あたろーの日記
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2003年06月30日(月) 節約じまん!?

 先日田舎の妹と電話していたら、節約の話になった。
 妹曰く「そういえば、府中で一緒に暮らしていた学生時代に、翌日どちらかのバイト代が入るまで互いの所持金合わせて百円ってことがあったね」
 「そんなことあったっけ?」と私が聞くと、妹はよく覚えてるらしく、「あったよ。で、その百円で近所の八百屋で人参買って、それを細かく刻んでご飯と一緒に焚いて、人参ライスにして晩御飯にしたんだよ」だそうだ。
 妹が上京する前は私が風呂なしのアパートに1人暮らしをしていて、やっぱり翌日のバイト代が入るまで所持金が数百円しかなく、銭湯に行ってしまったらあとは大根1本しか買えなくて、大根づくしの晩御飯だったこともあった。あ?いや、銭湯か大根どちらかを選択するしかなかった、だったかな。・・・「○○づくし」っていうのはたぶん二通りのニュアンスのある言葉で、「贅を極めた○○づくし」というのと、「貧を極めた○○づくし」の両方の意味を裏腹に持っている。どっちの意味に捉えるかは使う本人次第。便利で幸せな言葉です。かたや旅館で、かたや風呂なしアパートで使える。奥深い言葉です。
 学生時代は学費と家賃分は親に出してもらってたのでまだ贅沢なほうだったけど、食費や他の生活費はバイトでまかなってたので、バイト給料数日前から生活費切り詰め大作戦はよくやった。それでも否が応でも出費はある。自分1人暮らしだった時は全財産を自分で把握していたのでうまく乗り切ることが出来たが、妹と2人暮しをしている時は、互いに相手がまだお金持ってるだろうという甘えがあったので、ふと気がついて互いに財布の中身をぶちまけて合計金額のあまりの少なさにびっくり仰天、数日間2人で隠遁生活をおくる羽目になったこともたびたび。。
 結構逞しい(?)生活を切り抜けてきたのかも。。。
 そのたびに二人で生活費切り詰め策を練ったり、光熱費を抑える工夫をしたり。閉店間際のスーパーに二人で行って、あーでもないこーでもないと相談しながら買い物かごに値引きシールの貼られた野菜を入れたり、出かける前はテレビやラジカセなども含めて、冷蔵庫以外の電気コードはコンセントから全部引っこ抜いて待機電力がかからないように工夫したり・・・今思えば、あの時はあの時で結構楽しかったな。喧嘩もけっこうしたような気もするけど。あの頃必要に迫られて、冷蔵庫の残り物でおかずを考える癖もついた。残り食材クッキング、結構自信あるよん。
 そのうち姉妹は帰省のたびに、実家中のつけっぱなしの電気や入れっぱなしのコンセントをチェックして回り、挙句の果てには二つもある大型冷蔵庫の中を隅々までチェックして、無駄が多すぎると母親を説教する、実に可愛げのない娘になっていったのである。今でもそれは変わらない。
 で、あれから十年が過ぎ、妹は結婚していまや二児の母親だけど、どうやら東京での暮らしで身につけた節約癖は健在らしく、さらに磨きがかかって私以上に倹約家らしい。おまけに、妹の連れ合いどのは、妹に輪をかけた徹底した倹約家で、子供の将来第一に考えて夫婦でいろいろ工夫してるんだそうだ。

 その妹と話していて結論づいたのは、「必要にして十分な範囲は、価値観によって決まる」ということ。
 必要以上にモノを持たない、買わない、消費しないという生活習慣は、イコール地球環境にも優しい、イコール人間にも優しい生活習慣なんだということ。けれど必要の範囲は人それぞれ。だけれど、それがないと駄目、ではなくて、それがなくても平気、なきゃないで十分楽しめる、という精神的な余裕があるかないか、がポイントだと思う。本当に欲しいもの、心からそれが必要なものであれば手に入れて大切にすればよいと思う。でも、もし、その欲しいものが、自分の心の中にある何かの代替品であるとしたら、なんだか哀しい。モノに囲まれた場所でなくては生きていけないと思うようになってしまったら、ちょっとツライ。
 ほんとの自分が自分の中のどこにいるのか、見失ってしまったら、苦しいかな。。

 だからね、節約って、結構楽しいもんなのです。

 


2003年06月29日(日) 勉学ノススメ・2

 ・・・というわけで、今は私が知人の大学生に、十数年前に自分が言われたのと同じことを言っている(笑)。
 でも、当の学生にはそれはうまく伝わらないと思う。だって自分が前はそうだったから。
 本当の意味で勉強の楽しさや面白さが分かるのは、実際は、学ぶための組織や枠組みである学校からいったん出てしまったあとなんじゃないかなあ。
 働くというのは、労働力を提供する、経験や能力を外に出す、いわゆるアウトプットの行為。もちろん働きながら身につけていくこともとても多いけど。それを続けていると今度はインプットの行為をしたくなる。無性に。人によって、それは仕事に関係する分野の勉強だったり、資格試験の勉強だったり、芸術方面のことだったり、もっと生活に密着した分野だったりとさまざまだけど・・・義務感からではなく、自分の意思で始めた勉強は、妥協も疲れもストレスもない、自由にとことんできる分楽しいのだなあと、周囲の人を見ていて思う。
 話はちょっとずれるかもしれないけど、私は身の回りのことなんでも学問だと思う。その人が学問だと思えばなんだって学問になるんじゃないか。例えば目の前のストローの包み紙から、お酒の種類まで。カフェで見かける人達の生態について。アイロンのかけ方、江戸時代のやくざの生活、節約術、銭湯の研究、ラーメンの食べ方に性別世代の違いはあるのかとか。狭く深くも、広く浅くも自由自在。自分の興味を持ったことを面白がって追究したり身につけていく、これって学問の王道だし、最高の人生の楽しみ方なんじゃないかなあって思う。。。たまたま歴史もあり多くの人が勉強したい分野は大学などの学校があって、先生と呼ばれる人達もいるけれど、ほんとうは、先生とか教授に値する人達はゴマンといるんじゃないかって思う。肩書きもお給料ももらってないけど。路地裏の教授、路地裏の研究者。好きなこと極めれば誰だってなれるものだよね。
 あれ、話を元に戻さなくては。そうそう、「勉学ノススメ」ですm(_ _)m
 「社会人になっても勉強する」と聞いて、「偉いなあ」と思った方は甘い。偉くなんてちっともないんだもん。苦しいとかラクとか、あんまりそういうレベルの問題でもない。休日に一日中盆栽の前に座り込んでチョッキンチョッキンやってるオヤジを誰も「偉い」などとは褒めない。やってることはそれと同じ。とにかく自分がやりたいから、面白いからやってるだけ。資格試験のための勉強はまた異なるけど、大人になってからの勉強は、趣味との境目がない。
 誰かに言われて始めるのでもない、教科書や試験範囲で区切られてるわけでもなく自分のやりたいところまでとことんできる、人と自分の理解度を比べる必要もない。また、学ぶ場を自分のほうから求めて探すのも楽しいし、受身にならずに且つ自分のペースも守れる。社会人になってからの勉強は、こんなにおトクでわくわくする。もし、毎日つまらないなーマンネリの日々だなーなんて思っている人がいたら、ぜひ何か始めてみることオススメします。楽しめること請け合い。


2003年06月28日(土) 勉学ノススメ・1

 ・・・なあんて偉そうな題つけちゃいましたが。
 BBSに「母さま」が書き込んでくださったこととか、日頃私が見聞きして思ってることとかも含めて、やっぱり今そんな気分です。
 
 義務教育受けてる小中高で、勉強が一番楽しかったのは、小学校1年生の時だったかも。真新しいランドセルと教科書。お道具箱。「こくご」の教科書開いて「あおいそら」ってみんなで声を合わせて読んでいた頃は、次のページに進むのが楽しみで、もう毎日わくわくしながら授業を受けていた。それが、2年の終わり頃からかなあ、算数で九九を暗記しなければならなくなった辺りから、だんだんプレッシャーが出てきて、周囲のクラスメートの理解の度合いと自分のそれとを比較し始める習慣を無意識につけてしまったような気がする。年度の途中での転校も何度かしたから、前にいた学校では習ってないのに転校した先の学校ではすでに授業を終えている箇所もいくつかあったりして、そのたびに帰宅後教科書めくって頭悩ませてた。中学以降になると、今度は試験が加わって、しかも点数順に順位がつく。クラスで何位、学年で何位。なおさら周囲と自分の頭の中を比べる習慣に拍車がかかる。学期末試験の前になると友達と集まってノート付き合わせて傾向と対策を必死にやった。試験日は一夜漬けで眠い頭を互いに笑いあって、「こんなに一生懸命やって頭に叩き込んでも、テスト終わったら綺麗に忘れちゃうんだよねー」と言っていたけれど、回答用紙教壇に出して廊下に出たらほんとにすっきり忘れた。高校もそんな感じ。文部省の意向にのっとった教科書の範囲内で、知識を詰め込み詰め込みして、試験の結果を気にして、点数と順位を競い合っていた、その繰り返しの小中高校時代。・・・今、自分の好きなだけ若返ることが出来ると言われたら・・・私はせいぜい高校卒業直後あたりまでにして欲しい。義務教育と高校の授業はもう二度と受けたくない。現役の小中高生と先生方には悪いけど。
 そういう意味では大学というところは、学ぶ場所としてとてもいい環境なんだろうけど、いかんせん、受験勉強のプレッシャーから解放されたばかりの身としては、そのありがたみまではよく分かっていなかった。バイトの時間を差し引いても、今に比べれば十分すぎるほどの時間があったはず。今思えばもっともっと本も読めたしもっともっと突っ込んだ勉強ができたはず。同じ分野に興味を持った友達もそばに沢山いたんだし。。
 残念なことに、小中高と、教科書と先生の授業の範囲で頭に詰め込む癖がついてしまっていた私は、大学でもやっぱり講師の提示する範囲内でしか勉強できなくなっていたような気がする。期末試験の前にちゃんと試験範囲を先生に示してもらわないと不安だったし。おまけに、これは笑えるんだけど、試験前に友達と自分のノート付き合わせて、互いのノートにないことが相手のそれに書いてあったらそれぞれを写し取ったり。自分が講義を聴いて何をどれだけ得たかは問題ではなく、試験に出るか出ないかが問題(笑)。もちろん勉強したくて入った大学だし、興味ある分野だったから講義は面白かったし印象に残った講義は今でも内容を覚えているけど、やっぱり受身の勉強だったなあ。ああ、もったいない。大学に籍を置いて、勉強を義務のように感じながら続けていたなんて。今思えばほんとにもったいない過ごし方だった。
 あの頃さんざん言われた、社会に出たら思うように勉強できないんだから、今とことん勉強しておいたほうがいいよ、というのは、自分が学生の時はさほど深く理解していなかったもんなあ。
 


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