あたろーの日記
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| 2003年06月07日(土) |
シンプルライフ(昔の渡辺謙のCMを思い出してる) |
イラクへ自衛隊派遣って、なんかヘンだ。 自衛隊は軍隊じゃない、って野中氏が言うのももっともだと思う。 自衛隊はあくまで自衛隊であるべきなんじゃないか。イラク復興支援のためになにか形になるものをと思うのも分からないわけではないけれど、自衛隊はよその国で言う軍隊とは違う。日本には反省すべき過去がある。だから国際社会の中で果たす役割の種類も過去の行いに基づき制限される。それでいいじゃないかって思う。できる分野での貢献の可能性を探っていけばいいわけであって、自衛隊の性質を無理やり変質させて近隣諸国との摩擦を生み出すなんておかしい。・・・イラクへの自衛隊派遣が、ほんとうにイラクの復興のためなのか、それともイラクとは関係のないところで何か別の魂胆があってのことなのか・・・なんだか後者に思えてしまうんだけど。
☆☆☆
今年の秋で今住んでるアパートの契約更新を迎えるので、それを機に6年ぶりの引っ越しを計画中。 今いる沿線が好きなので、できれば最寄り駅は変えたくないなあ。 で、今度は家賃をぐぐっと下げて、ちょっと古くても広めで押入れの大きい部屋がいい。今の部屋は洋間6畳だから、押入れが滅茶苦茶小さいのです。布団を入れるのにも苦労する。 で、風呂なし。銭湯通い。ユニットバスもういいや。銭湯が好きで、風呂つきのアパートに住んでるくせに、ちょくちょく銭湯に行ってる。だったらいっそ風呂なしにしちゃおう。そうでないと高い家賃無駄だし。 木造の「寿荘」とか「日の出荘」なんて名前がぴったりの古いアパートがいい。その部屋の古い木枠の窓から、夕焼けを眺めるんである。 生活費に占める家賃の割合も低くしたいというのもあるし、東京での最後の数年間を、趣のある古いアパートで過ごしたい。 東京の次はどこに住むか、決めたんであるよ。 だいたい3年後をめどに。 どこに住むことにしたかは、その時まで秘密です。 それまでに、持ち物を少なくして、資金も少しは貯めないと。 テレビに続いて、上京した当初から使っている洗濯機(いまだに二槽式!)も壊れ始めたから、コインランドリーを視野に入れて、不要な家電製品も処分していこう。電化製品も減らしていく。 もうちょっと身軽になろう。
・・・といいつつ、欲しいものはやっぱり出てくる(笑)。
BBSにいつも楽しい話題を書き込んでくださるまさしの母さまから頂いた虹の写真をしばらくトップページに飾っています。 建物のまばらな九州の大地にくっきりと大きな半円を描いた虹。 母様のサイトに写真日記に掲載されていたのを「ちょうだいちょうだい」とお願いして、送っていただきました。 BBSに「名無し」さんが虹について書き込んでくださって、私も虹について考えてる、今。。。
東京に住んで、毎日地下鉄で高層ビルの下の暗くて長い洞穴を行ったり来たりしているうちに、空を見上げて時間や自然の移り変わりを五感で受け取ることを忘れてしまいそう。 それでも救いなのは、働いているビルの窓から見えるのが球場や競技場で、そのずっと向こうの新宿のビル群に至るまでの間が、他に高い建物で視界をさえぎられていないということ。私の席から見える窓の向こうは、ずっと遠くの建物群まで覆う空。東京の空。 会社から新宿まで、朝と帰宅時はなるべく歩くように心がけている。ちょっと距離はあるけれど。歩いているといつのまにか空を見上げてる。月の形、星の数、雲の流れる速さ、空の青さの度合いに感動もする。 雨上がりには虹を期待することも。 でも、なかなか虹を見る機会はないなあ。 虹の探し方が、ずいぶんへたくそになった。 子供の頃、遠くに見える虹のふもとまで行ってみようと、友達と出かけたことがある。 ずいぶん大きな、くっきりした虹だった。 幼稚園児の足だからたかが知れてるけど、虹が消えないうちにと一生懸命走った、走った。競争しながら虹に向かって走った。 田んぼのあぜ道を懸命に走って、出発したときに確かに虹のふもとにあった大きな家までたどり着いて、ここが虹のふもとのはずだと思ったのに、虹にのぼるはしごがなかった。予定では、虹によじ登って、向こうのふもとまで渡ることになっていたのに。 もっとがっかりしたことは、虹の中にいるはずなのに、自分の周囲は色とりどりのふわふわの雲で覆われているはずなのに、さっきまでいたところと周囲の空気になんの変化もなかったことだ。 自宅に残った妹には、虹の上までのぼったら手を振るからね、と言って出てきたのに。 しょんぼりしながらもと来た道を歩いて家にたどり着いたときには、虹はもうほとんど消えていた。
今でも虹がすき。 子供の頃よりもっとすき。 たぶん、虹の絵や写真を見ると、幼い頃虹を追いかけて走っていった時の自分を思い出すから、というのもあると思う。 虹がついているものを見るとつい買ってしまう。レターセット、缶バッチ、ハンドタオル。。。 70〜80年代に活躍したバンドに「RAINBOW」がある。もちろん大好き。 そんなに詳しくないけど。 今日のBGMはRAINBOWの「StoneCold」です。 RAINBOWの曲では一番好きかな。
今日はちと疲れちゃったカナ。 ☆☆☆
いろんな人がいて、人の数だけ生き方があっていいんじゃないかと思うんだけど、日本って、人と違う部分があるととっても窮屈で居心地が悪い国なんだなあと感じる今日この頃。 私だけじゃなくて。 私の周囲にもそんな風に感じてる人は多いんだって感じた。 人をだましたり傷つけたりしない限り、どんな生き方、どんな生活があったっていいじゃないか、と思ってしまう。別に学歴や肩書きがなくったって、稼ぎがなくったって、目の前の目標がただ、その日のご飯にありつくこととねぐらを確保することという生活だって、そういう暮らしがあったっていいじゃないか、それを蔑視するのはおかしいんじゃないかって思う。 立派な生き方と立派でない生き方の違いが分からない。 立派な仕事というのがあるなら立派でない仕事もあるというのかな? 誰かを立派な人だと定義づけたら、一方で立派でない人も生まれるということになるんじゃないか。 人が人を評価したり卑下したり、見下したり差別したり、生活の手段を奪ったり、生きるという基本的なレベルでまで規制したり、一体なんの権利があってそんなことをするんだろう。 日本人は特に仲間意識が強いのか、はたまた自分と人とを比べるのが好きなのか、自分がイメージしている範疇から外れている人がいると差別したがる傾向にあるんじゃないだろうか。・・・すべての人がそうとは言えないけれど。 職も家も家族も失い路上で生活を余儀なくされている人も、いつの間にか屋根のない所での暮らしが板についてしまった人も、会社に通って夜家族の待つ家に帰る人も、みんな目の前の生活に一生懸命なのは同じ。周囲の状況によってそれぞれの立場が逆転する可能性だってあるわけだし。 社会の枠組みや組織から外れてる人がいても全然構わないと思う。だって、そこから外れちゃったと誰かが感じるような社会だったら、そんなもの初めから人間の社会じゃない。人間は本来さまざまに個性あって、いろんな生き方、考え方がある生き物だから。都会の中の小さな土地も、本来は誰のものでもない。人間のものでもない。そこに生き延びるためにやむを得ず暮らす人がいようと全然構わないじゃないかって思う。
☆☆☆ 人に対する批判や中傷が先行し、行動するよりじっとしているほうが美徳とされ、信念を貫こうとする人は偽善者と呼ばれ、出る杭は打たれる。 人を傷つけるための行為が正当化され、本当のことはカムフラージュされ、その陰で弱い立場の人達は忘れ去られる。 自分に正直に、まっすぐに生きていきたい人は多いはずなのに、そうするにはあまりにも窮屈な世界。
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