あたろーの日記
DiaryINDEX|past|will
帰宅する電車の中で笑いをこらえるのに必死だった。 っていうか、顔は完全に笑っていた。
地下鉄の階段降りてすぐの、一番端の車両の一番階段よりのドアの横に立った。発車を知らせるベルが鳴って、「ドアが閉まりまーす」とアナウンス。 そしたらたたたっと階段をものすごい勢いで駆け下りてきたおじさんがいる。あ、なんとかドア閉まる直前に乗り込めるかな、と思って見ていたら、ドアの手前1メートルほどの位置でおじさん何か落とした!かちゃーん。 。。。諦めるだろう。 と思っていたらさにあらず。 おじさん、あたふたきょろきょろ床を見回して落としたものを半分手探りで探した。 携帯電話!うわー壊れてないよね!? と赤の他人の私まで心配してしもうた。 が。 おじさん、携帯をばっと掴むと、完全に立ち上がっていたらとうてい間に合わないと悟ったらしく、腰をほぼ直角に曲げて半ばかがんだ姿勢のまま、電車に対して斜め45度の角度、肩から閉まりかけたドアに突進してきた! うわっうわっーーー! 思わず後ずさりする私。 周囲もみんな退いた。 しかも、ドアの脇に立ってボー然と見ている私と目が合うと、おじさんは「やったるで、見ときな」ってな感じで私ににやりと笑いかけたんでアル。 やらんでいいーーっ! ほぼ自分の体の幅くらいしか開いてないドアから、おじさんは車両の中に弾丸のように飛び込んで、一気に反対側のドアまですべるように進んでぶつかった。 で、あっけにとられている私の横まで戻ってきて、再び目が合うと、照れくさそうに「な、成功したろ?」とでも言いたげにまたにやりと笑った(照れ隠しもかなりあったかと思ふ)。 だ、だめだ。 ふ、吹き出しそうだ。。。 思わずおじさんに背を向けて声を立てずに必死に笑った。 もう滅茶苦茶可笑しかった。。。
でも、私も人のこと笑えないんである。 だって、昨日の朝、それと似たことやったんだもん。 朝、地下鉄の改札を通ろうとしたら下のホームから発車のベルが聞こえた。 急いで階段を飛び飛び飛びで駆け下りる! 改札通っている時にベルが鳴っても、1秒2秒で明暗は分かれるけれど、間に合う確率もないことはないので、一応必死に駆け下りる。 最後の1段まで来た時に、今にも閉まりそうな一番手前の車両のドアの前で、駅員さんがもうこれ以上乗せないよーってな感じで腕をドアの前に伸ばして人をさえぎるポーズをしてた。 ・・・・ばっばかやってんじゃねえええっ!!あぶないだろーーー!! って。 私はその時ほんとに心の中でそう叫びました。 だって、通常そこまで来れば閉まる直前のドアに十分間に合う位置だったんだもん。 ・・・その後、私は韋駄天のごとく車両に駆け寄り、「すいませーんすいませーん」を連呼しながら、腕を伸ばして通せんぼしている駅員さんのその腕をばっと払いのけてしまったm(_ _;)m 駅員さんとの一瞬の摩擦がアダになって、スピードが落ち、ドアが半分閉まりかけたけど、そこにだだだっと飛び込んでしまった。 腰が挟まれて、なんとか電車の中に入り込んで、ドアがびっくりして一瞬開いたスキに車両の外に置き去りになっていた片足を引っ込めた。 満員電車なのに、私の周囲の人達は退いていた。 空間が出来ていた。 その間ずっと「すいませんすいません」を連呼し、ドアが完全に閉まって電車がそろりそろり動き出しても、ホームでボー然とこちらを見ている駅員さんに何度も頭を下げて、その後振り返って周囲の人達に「すいませんすいません」と言ってくるくる回った。 ・・・吹き出している人がいた。。。 その後しばらくドア側を向いて私は石になりました。
今日のおじさんに、私は昨日の自分を見たのでした。 駅員さん、ほんとうにごめんなさい。 もう、しませんm(_ _)m
昨日、今なんていう本を読んでいるのか問われたんだけど、ほんとは正直に答えるのがとても勿体ないような本を読んでいる。 誰にも教えたくないような、秘密にしておきたいような本。 読み終えるのを少しでも遅らせたくて、言葉のひとつひとつをかみしめながら読み進めている本。 たぶんまた本棚から取り出しては、時々ページをめくるであろう本。
黒川伊保子という方の「感じることば 情緒をめぐる思考の実験」(2003年筑摩書房)という随筆集。 私も本屋で書名に惹かれて手に取るまでこの方のことを知らなかったのですが、略歴を転記します。 「1959年生まれ。奈良女子大学理学部物理学科卒業後、コンピュータメーカーでAI研究に携わり、ロボットの情緒を追究。ことばの不思議や、情緒の謎をビジネスに活かすコンサルタントとして活躍中。音相システム研究所主任研究員」 このような経歴・興味の持ち主の書かれる随筆ってどんな感じなんだろう、と思ったのですが、店頭でちょっと読んでみたら、一気にその文章の魅力に引き込まれてしまったのです。 染色家である志村ふくみさんの書かれる随筆がとても好きなのですが、黒川伊保子という方の書かれる文章も、志村ふくみさんの文章を読むときと同じくらいに、独特の世界と言葉の美しさを感じさせてくれます。志村ふくみさんとはまた違った雰囲気なのですが、文章を以ってして人を酔わしめることが出来る書き手はなかなかいないのではないかと思いますが、その数少ない中の1人ではないかと思うのです。私の思い浮かぶ限りでは、作家の古井由吉、川端康成、この方々も、言葉に対する感覚がとても繊細で滑らかであるような気がします。そういう感覚って意図してできるものではなく、言葉を発する前、文章を書く以前の、その人固有のものの感じ方から来るものだから、他人が真似しようとしても、それっぽいのは出来るけどほんとのところは近づけないんじゃないかなあ。羨ましいなあ。。
「感じることば」で黒川さんは、やはりご自分の研究テーマである言葉のもつ「音相」についていろいろ示唆的なことを書かれている。どれもはっとさせられ、深く納得できる。こんな切り口もあったのだ、と驚かされる。文章を読み、言葉のひとつひとつを追っていくそのさなかに、他の書き手の文章では刺激されない脳のある部分が開化していくようで、心地よい。 うーん、もしかしたら、この本の与えてくれる本当の快楽を享受できるのは、男性ではなく圧倒的に女性かもしれないです。 「愛」と「ことば」とのとても密接な関係について、非常に示唆的。 で、彼女の愛する男性と彼女のやりとりがとても静謐で、それでいて情感がこもっていて、いいなあと思う。 でも、言葉に対して敏感な男性なら、同じく、いいなあ、と思うかも。。 ほんとは人に教えたくないんだけどこっそり耳打ちしたい本、でしたー。
あ〜ぁ。 失敗ばかりだぁよぉ。。 経理課の人に迷惑かけちゃうぅょ。。。 酒もザルだけど仕事もザルなんである。 どっちもよくない。
☆☆☆ 昨日の続き。。 だから、人生に行き止まりなんてたぶんないんだと思う。 生きるのが苦しいほどつらい経験をすることもあるけれど、それで人生を自分で終わらせてしまいたいと思うこともあるけれど、自分がこのつかの間の命を祝うために生かされているのだと思えば、まあなんとかまた生き続けてみようか、って思いなおすこともできるんじゃないかな、と。。 そうこうしているうちにその人は、誰もがうらやむような盛大な幸せを手に入れる代わりに、毎日のささやかな日常の一こまや、人の心との触れ合いの中に、自分だけの幸せを見出す能力をいつのまにか身につけていくんじゃないかという気がするのです。。。 なんか最近自ら自分の命に手をかけてしまう人が多いですよね。。 無駄な命なんて、この世にひとつもないのになぁ。。。
|